贅沢な選択肢

June 25th, 2002

★ ★ ★







 それは、暑い暑い真夏の午後。
 魔物さえだるくて襲ってこないのではないかと思えるほどのうだるような暑さ。
 じわじわと暑い、どころの騒ぎではない。
 暑さが張りついて、脳にダイレクトに来る。
 もしかして少しでも上に行けば風が通るんじゃ、と思ったのだがさにあらず。
 太陽に近いせいなのかなんなのか、やっぱり暑い。
 理由なんてもう、考えられやしない。
「あっつ〜〜〜〜〜」
 窓辺ですっかりのびているのはシーナ。
 少しでも外気に触れればと思ったようだが、その外気自体がサウナ状態だ。
 首元をばたばたとあおいでいるが、それにどの程度の効果があるのやら。
「うーん……今年はちょっとねー……」
 すっかりおなじみとなった赤い上着の前をはだけたレイもげんなりと呟く。
 この部屋の主であるはずのレイが部屋の隅でじっとしているのは訪問者に占拠されたからではない。
 少しでも涼しい空気がありそうな隅っこに避難しているだけの話だ。
 そう、今年の夏はずいぶんと暑い。
 帝都にいた頃はじーわじーわと蝉の声に責め立てられて、いっそのこと湖の上で暮らそうかと思ったほどだが、実際その水の上はこんなにも暑かったりしたわけだ。
「これってマジ、犯罪クラス……」
「ああ、不快指数って奴だよね。不快不快って言うからよっけいに不快になるんだってばー…」
「それ一理あるって絶対」
 会話さえも何となくだれてしまう。
 その論理からすれば「暑い」と言ってしまえば余計暑いはずなのだが、それ以外に言葉が浮かばない。
 まったく、暑さは凶器だ。
「レイ、暑いのダメなんだー」
「…ダメ。だってさ、考えてもみなって! 寒けりゃあったかくなるまで着込めばいいだろ? でも暑いのはいくら脱いでも暑いもんは暑いんだからさ!」
「あー…じゃあいっそここで脱…」
「却下」
 どさくさに紛れたとんでもないシーナの案をすっぱりと斬る。
 やっぱ? と苦く笑うシーナに、当たり前だ、と呟く。
 斬られた方のシーナはねだるような目でレイを見る。
 …が、しかし。


「心配なのは、この暑さでやられる人が出てくるだろうこと。それでなくとも無茶な労働で体力が落ちている人、無謀な税金の徴収でこの暑さに対する対策を立てられない人、この国はそういう人たちで溢れてる。暑いのは誰でも一緒だ。でも僕たちがそれで手を休めていては、圧政を助長することにもなりえる。それを忘れてはならない」


 演説の中でレイがそう檄を飛ばしたのはまだほんの1時間前だ。
 それは暑さのせいで農作物に被害が出そうな地域の様子を見るため、偵察隊を出すその出立前に仲間たちに向かって投げた言葉だ。
 ぴしっと襟を正し、力強い声で。
 そして偵察隊はその姿にまた自らに活を入れ、湖を渡って出かけていった……。
 その場に何となく居合わせたシーナも思わずしゃんとしたくらいだ。
 だが、今のレイは……。
「…ん? なんだよ」
「え? いや、なんでもないけどさー」
 視線を察知して不満げな声をあげるレイにごまかし笑いを浮かべて。
 先程のリーダーっぷりはどこへやら、しっかり暑さにやられている。
 お偉い解放軍リーダー様とは違う、10代の顔。
 それを思っていたのはどうやらシーナだけではなかったらしい。
 そばで黙って本を読んでいたルックがようやく口を開いた。
 もちろんルックの服装は一糸乱れない。
「…まったく。とんでもない二面性持ってるよね」
 呆れた声。
 レイはまったく身に覚えがありません、といった様子で首をかしげる。
「そう? 僕?」
「本当に気がついてないわけ? それはそれで見事なものだね」
 それにシーナも笑って、便乗する。
「たしかに。リーダー様とレイって別人なんじゃないかって思うもんなあ。どっちがホントのレイなんだよ」
 もちろんこれを単独で言ったらレイに睨まれるのだが、ルックが言っているなら怒られることもないだろうし。
 そのあたりは学習能力か。
 実際、その冗談交じりのセリフにレイは睨みもせず、そうだなぁと考える仕草をする。
「……やっぱり、こっちなんじゃない? そりゃまぁ、虚勢張ってなきゃなんない因果な立場だけどね。だってここにはルックとシーナしかいないだろ? 気取ったってしょうがないじゃん」
 ぴたっ。
 シーナがそれを聞いて動きを止める。
 ルックはそっと肩をすくめた。
 それからしばらく、沈黙がその場に降りた。


 そんなときだ。
 何を思ったか、ルックがぽつりとこぼした。
「………何がいい?」
 聞き取れないくらい小さな声。
 ぱっと顔を上げたレイとシーナに、ルックはちらりと目をやった。
「だから。もしもひとつだけ、たったひとつだけ願いが叶うとしたら、何がいい?」
 特に、後に視線をもらったシーナはそれからもじっとルックに見つめられ、うろたえたように視線を泳がせる。
「え、ええっと……ひとつだけ、願い?」
 それはルックの口からは滅多に聞けない(どころかこの気温に関わらず雪が降りかねないほど珍しい)言葉だったせいもある。
 その上ひとつ限定と頭から決められて、つい考え込んでしまった。
 一体何が欲しかったかな…こういう時、とっさに希望が浮かばないのが人間というものだ。
 あれが欲しいこれが欲しいと思っていても、「何か好きなものあげるから何がいい?」と聞かれたら思わず躊躇してしまう。
 難儀な思考回路を持った生き物だ。
 もちろん欲しいものはあるわけだし、常日頃から欲しいものには遠慮せず手をつけているし。
 ああ、なんでも手に入るから特別に願いなんてないのかな……。
 ついシーナがその結論に達しそうになる。
 が、ちょっと待て。
 願い……。
 欲しいもの……。
 そういえば、願っていながら手に入らないものがあるではないか。
「……うん。あるなぁ」
 言いながら、満面の笑みになるシーナ。
 願ってやまぬもの。
 それって、目の前に存在していたりする。
「オレねぇ、ひとつ願いが叶うなら、ルックと一緒にいられて、レイと一緒にいられるのがいいなv」
 これぞ渾身の出来、な願い事。
 もちろん、直接本人たちに言うのだから効果は2倍なはず。
 しかしシーナは忘れていた。
 その「本人」たちが一番の難関であることを。
 それでなくとも嫌味だけは人よりも口数が多いルックが難癖をつけないはずがない。
「ふぅん……僕といて、レイといること?」
「そうv」
「どっち?」
「は?」
 間髪入れないルックの問いに、再びシーナがきょとんとする。
「どっち…って?」
「だから。僕が聞いたのは、『たったひとつだけ願いが叶うとしたら』。今のあんたの回答じゃ、2つだろ。答えになってないよ」
「えええっ!? それってカウント2つになるのっ!?」
「あたりまえだろ」
 きっぱりと。
 シーナが言葉に詰まる。
 ルックといること。
 レイといること。
 どっちがいい?
 そんなこと聞かれても……。
「あのー…それって、ルックとレイ、どっちを選ぶか…ってこと?」
「そういうことなんじゃない?」
「うっわー……それ、人類史上まれに見る大難題だってば…」
 困り果てるシーナ。
 が、そこで追及の手を緩めるようなルックではもちろんなく。
「どっち? 答えようによっては僕もレイもそっぽ向くけど?」
「えええええっ」
 それでなくとも暑いというのに、さらにシーナは頭を抱え込む。
 もっとも、難題を目の前にして「暑い」だのはシーナの頭からは完全にすっ飛んでいるようだが。
 そこにさらに追い打ち。
「それで? 僕とレイ、どっちを選ぶわけ?」
 シーナはすっかり降参しました、という顔で、
「そんなの選べるわけないじゃんか〜〜っ!! だってオレ、ルックのことも、レイのことも、ものすっっっごく大事だから! どっちか、なんて、そんなの無理だってば!」
 と喚く。
 だがルックはお構いなしで。
「じゃあ……」


「ねえ」
 そこに口を挟んだのはそっちのけ状態だったレイだ。
「ルック、そのくらいで許してやんなって」
「レイ〜〜〜〜〜vv」
 助かったー、とでも言わんばかりのシーナが甘えた声を出す。
 レイは片膝を抱えた格好で苦笑した。
 止められたルックは不満げだ。
「なんで止めるわけ。ここからがこいつを追い落とす策略の本番だったんだけど」
 しかもさらりと言うその目がマジだったりする。
 もしかしてオレ、今ものすごい窮地に立たされてた? と改めて気付くシーナ。
 レイはそのシーナにもほとりと首をかしげて笑った。
「シーナ、ルックに勝てないね」
「そりゃもう……今んとこ全敗」
「これからもでしょ」
「そうかも…」
 多分ルックにもレイにも、口では勝てない。
 力では?
 いや、もちろんシーナがふたりに対して本気の力で戦いを挑めるはずがない。
 とすれば、これからも見えたようなものではないか。
 と、ルックが今度はレイの顔をじっと見る。
「じゃあレイは? ひとつ願いが叶うとしたら」
 同じ質問。
 けれどレイは、いたずらっ子の目で、小さく笑う。
「もちろん。『3人で一緒に』いたい」
 あ、とシーナがぽんと手を叩く。
「レイも? じゃあ僕もそれで」
「気が合うねぇ、ルック」
「だね。誰かさんとは大違いだよ」
 慌てたのはシーナ。
 そう、その選択肢もあるのだ。
 一番贅沢な選択肢。


「暑いから、何か冷たいものでも飲みに行かない?」
「そうだね。無駄話したから喉も渇いたし」
「あああっ、待って、ふたりともっ」
 レイが立ち上がり、ルックが立ち上がるのにシーナが慌てて倣う。
 それを迎撃するのは今度は笑顔のレイ。
「なに? だってシーナは僕かルックか、でいいんだろ? 両方じゃないんだよね?」
「あっ、違う、それはちょっとした言葉のすれ違いで……っ」
「ほっといて行こうよ、レイ。…で、あんたはどうすんの」
「行く〜〜〜〜〜v」
 抱きつく勢いでシーナが駆け寄った。
 ルックの穏やかな溜め息。
 レイのくすぐったそうな笑顔。
「それじゃ、行こうか」
 照れたようなレイの言葉に、ルックとシーナが頷いた。
 シーナはつくづく思う。
 ───これは、これから先も一勝も出来ないよな……。


 ぱたん、閉じた扉。
 その向こう、楽しげな話し声が少しずつ遠ざかっていく。
 ほんの少し隠していたコトバがこぼれてしまったのは、きっとこの暑さのせい。
 湖の上を、緩やかに風が渡りはじめていた。





End




<After Words>
化都井様にいただきものをしてばかりのわたし……。
先日も2周年のお祝いをいただいてしまいました。
で、それを受け取った瞬間、「書かなきゃ!」モードになりまして。
そんなわけで、創作時間約2時間の駄文ができあがりました。
……あああう。わかってます!
せっかく素晴らしいものをいただいたのに、お礼がこれじゃ、
恩を仇で返すようなものですよね……。
精進します!!!!



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