時はちょうど黄昏の頃。
家々からは夕食の支度をしているらしい、いい香りが漂う。
どこにでもある、日常の風景。
空にはぽかりと小さな雲が浮かぶ。
それが沈む太陽に照らされて、暖かなオレンジ色。
明日も晴れそうないい天気。
ところが、ある一か所。
雷雨ところにより吹雪をともなった、大雨暴風波浪警報が出されている場所がある。
とあるマンションの、とある一室。
発生源は、ひとりの少年だったのでありました。
〜 第4話 暴風警報、発令 〜
July 1st, 2001
★ ★ ★
最後のひとりが部屋に入ると、場が一瞬ひやりと冷えた。
もちろんそれは水面下の温度が下がっただけで。
だから気が付いた者もいれば、気付かない者もいる。
「うわあ! これ、全部渋沢さんが作ったんですか!?」
「あぁ。藤代と笠井も手伝ってくれてな」
「すごいですね……美味しそう」
「料理は俺の趣味なんだ」
気が付かなかった人物その1とその2がのんきな会話をする。
どうやら渋沢も将も、とりあえずお互いの再会が最優先されているらしい。
“あこがれの先輩に夕食に誘ってもらえた”という将。
“気になっていた後輩を夕食に誘えた”という渋沢。
完全に視点がそこにしかない。
なんともほのぼのした雰囲気だ。
陸上はどうやら春のようだ。
そうしてもうひとり、気が付かなかった人物がそこに割り込む。
「ねー、先輩、早く席座って食べましょーよ。俺、もう腹減って……」
「こら藤代。はしたないぞ」
たしなめる渋沢も、本気でそう言っているわけでもないらしい。
苦笑はしているが、別にとがめている気配はない。
藤代の加入で、陸部は夏モードに早変わりした。
かわって、こちら冬の水面下。
ちらり、と三上が目をあげる。
あげた視線の先には、ひとりの横顔。
こちらを見もしない、ずいぶんと整った顔立ち。
水野はただ何も言わずに渋沢を(あるいは渋沢と話をしている将を?)見ている。
それがすましているように見えて、なんだか無性に腹が立つ。
何より、水野も三上の視線に気付いているだろうにあえて何も言ってこない。
それがいちいち気に障るのである。
「……久しぶりに会う先輩後輩の再会の場にノコノコしゃしゃり出てくる保護者ヅラしたヤツの気が知れねェなぁ」
だからつい、悪態が口をついてでた。
つい、でなくともいずれ言っていただろうが。
すると初めて水野が視線を合わせてくる。
「……人のこと言えるんですか」
「オレは別にあんたのことだとは言ってねぇけど?」
バチバチ、と。
目には見えない火花が散る。
やはり冬だけあって、静電気が酷いらしい。
「三上!」
2人に気付いた渋沢が声で制した。
三上は肩をすくめ、水野が目をそらす。
戦火はぎりぎりのところで抑えられたようである。
「見事に正反対やなー」
あっちゃー、とシゲは頭を掻く。
ここまで気温の変化が激しいと風邪のひとつやふたつ、余裕でひいてしまいそうだ。
自分は高みの見物を決め込み、一応春モードで観戦していたのだが、ここまでくると見事としか言いようがない。
いや、ある程度の予測はしていた。
渋沢の部屋に入る前から、水野が密かに冬の気配をさせていたからだ。
(お、こりゃ西高東低の動きかー?)
などと冗談まじりに思っていたのだが……。
最後に藤代という台風が超巨大寒気団三上を連れてきてしまったのだから大変だ。
春も夏も冬も、一度に限定された狭い地域に集まってしまった。
とんでもない天気図である。
(気象予報士のおっちゃん、こりゃ苦労するで…)
シゲは誰ともわからない人間の苦労をそっとねぎらった……つまり楽しんでいるのだ。
春はのどかでいい。
…一見収拾のつかなくなった202号室地方。
が、意外にもその場はたった一言でおさまってしまったのである。
「先輩たち、料理さめちゃいますよ。そろそろ座りませんか」
それはとっとと座っていた残る季節…秋の木枯らしのような、笠井の一言。
「あぁ、そうだな」
「あー、腹減った」
「俺ジュース持って来ますねー」
「ぼくも手伝いますっ」
「じゃあ俺も…」
呆気にとられたように笠井を見ると、笠井は何もなかったように平然としているではないか。
シゲはひっそり、
(やるな、この兄ちゃん)
と思ったとか思わなかったとか。
そうしてようやくパーティが始まった。
……などというわけはなく。
やはり軽く一悶着起こるのである。
さっさと座ったシゲの隣…つまりちゃんと奥に詰めるような形で、将がシゲの隣に座る。
その将の隣の空いた席にさりげなく水野が座った。
それについて藤代が、
「えー、俺風祭の隣がいーなー!!」
と言いだしたのだ。
「ったくてめーは…。ガキかっっっ」
三上が藤代の頭を小突く。
するとまた
「何するんですかぁ、三上先輩───っっっ」
で騒ぎになるのである。
それをまた渋沢が間に入って止めた。
「ほらほら、ふたりとも、やめないか。狭いテーブルなんだから、どこに座っても同じだろう?」
言われて、三上と藤代も渋々席に着く。
…とはいえ、その渋沢はしっかり将の真正面を陣取っていたが。
じゃあ、とグラスを(もちろん中身はソフトドリンクだ)手に取ったのは渋沢だ。
「風祭の引っ越しと、これからの生活を祝して」
「乾杯ー!!」
「風祭将くんようこそーv」
声がそろって、カチーン、と音が響く。
「わっ、てめぇ藤代、もっと静かにやんだよ! こぼれっだろ!!」
「いいじゃないですかー。三上先輩、も1回ー」
藤代の明るい調子に、将も笑う。
「風祭」
左隣の水野が声をかけてきて、将はそちらを見る。
水野は穏やかに笑んでいて、そっとグラスを寄せてきた。
将もグラスを寄せる。
チン、と静かで澄んだ音がした。
グラスの中に浮かべた氷が、からんと位置を変える。
「……なんだかずいぶん仰々しくなったな」
「だね」
首を傾げるようにして、将は、でも、と続けた。
「ぼくなんかのためにこんなにみんながしてくれて……なんだかもったいない気がして」
ほんの少し戸惑っているような口調。
まっすぐで素直な将だから、たぶんこんなに歓迎されて嬉しいはずで、同時に相手のことを気遣ってしまうのだろう。
自分のために、時間を割かせてしまうことに対して。
けれど、そんなことはないのだ。
「…気にすんなよ。集まらなきゃいけないで集まってるわけじゃないんだから。風祭を迎えるために、こうして自分から来てるヤツばかりだろ?」
何より、自分がそうだ。
その言葉は無意識に飲み込んで。
「…そうだね。ごめん」
そうして将は、またぱぁっと明るい笑顔に戻る。
水野もそれに頷いて答えて、……けれどまったく逆のことも考えている。
───すぐにこうやって、誰ともうち解けて仲良くなれる将。
渋沢は将のことを知っていたからだとしても、初対面の藤代とも十年来の知り合いのように喋れる(もっともこの場合、藤代の性格も大きく関わってきているのだろうが)。
ふっと遠い目をした水野に気付いたのだろうか。
「水野くん?」
心配げに将が顔を覗き込んでくる。
はっと水野も我に返って、
「なんでもない」
と笑ってみせる。
「ほんと? …それならいいんだけど」
「あぁ。そうだ、そこのオードブル取ってくれるか?」
「あ、うん。1コでいいの?」
そのまま輪の会話の中に、ふたりは戻っていく。
それを将の反対隣から見ていたシゲは、やれやれと肩を落とした。
一度盛りあがりだすと、収拾がつかない。
渋沢が恐ろしい手際の良さで作り上げた料理の数々が、それ以上のスピードで消えていく。
まったく成長期の少年たちの食欲というものは、侮れない。
そのスピードではしゃべる暇もないというものだ。
…が、実は一度も会話は途切れていない。
藤代が常にくるくると話題を変えるせいだ。
シゲは藤代と波長が合うらしい、藤代が発したセリフに打てば響くような反応をする。
それもまた漫才でも見ているようで、ちっとも飽きない。
飽きる暇もない、と言った方が正しいかもしれないが。
めまぐるしく変わり変わっていく話題の中は、このマンションの他の住人の噂話や目撃談を経て、やはりお約束の「お引っ越し前はどうだった?」という話題に移っていた。
「へぇ、お兄さんとのふたり暮らし?」
「よくお兄さん独立許したなー」
功の話になって、思わず三上が顔をしかめる。
この中で唯一功に会ったことがある三上だ(引っ越し前の挨拶には将の都合で功が来た)。
(あんな長男じゃ、弟も大したことねぇだろうと思ってたのにな)
つい、ひとりごちる。
「で? 風祭って今までどこに住んでたの?」
「そんなに遠いところから引っ越してきたわけじゃないんだけどね。駅で言うとここから……」
突然同居人の話から家の場所に話が移り変わる。
藤代の突拍子もない話題転換に、将だけが嬉しそうに返事をする(残りのメンツは呆れている)。
やっと追いついたらしい渋沢が、将の言った駅名に頷いて、
「あぁ、そうか。あのあたりが校区だったからな」
「はい!」
すると今まで黙っていた三上が、ちらりと顔をあげた。
「……ってぇと、オレの実家の近くか」
「え! 三上先輩あちらに住んでらっしゃったんですか?」
「まぁな。駅からは反対方向だったけどな」
「じゃあ近所だったんですね」
「つまりそーいうこった。…どうだ? 今度遊びに来るか?」
言いながら、ちらりと三上は水野を見る。
ぴくり、と水野の肩が反応する。
「え、いいんですか!?」
あからさまに水野の動きが止まった。
(……ふーん)
面白ぇ、と三上は思う。
追い打ちをかけようと口を開きかけたが、
「……でも三上先輩。今はこのマンションに住み込みなんだから実家に連れていっても意味ないんじゃないですか」
と、笠井の適切なつっこみ。
話の腰を折られて、三上がじろりと目をやるが、笠井はのんきに渋沢の入れた緑茶をすすっている。
(ちっ。せっかくあのいけすかねぇヤツをからかってやろうと思ってたのによ…)
だが気が付くと話はまた別の方向に動いて行ってしまっている。
三上は舌打ちして、皿の上のミートローフをかっこんだ。
「しっかしまぁー…あんだけの時間でよォこんだけ美味いメシが作れるもんやなー」
しみじみと、シゲ。
「キャプテンのレパートリー、まだこれでも一部なんだぜv」
藤代が自分のことのように胸を張る。
将はこくこく、と首を縦に振ってそれに同意した。
「本当においしいです!」
突然言われた渋沢は驚いた顔をして、すぐに笑った。
「そうでもないさ。まだ未熟だよ」
「でも、本当においしくて…渋沢さんのご馳走をいただけるなんて、嬉しいです!」
「…そうか? 風祭にそう言ってもらえて、俺も嬉しいよ」
その会話に、ふと目をあげた水野。
すかさず、
「俺も美味いと思います」
と口を挟む。
渋沢は笑顔で、
「ありがとう」
と返した。
本人らは無自覚だが、気温が一気に下がる。
シゲが、「げ」という顔であたりを見やる。
三上が、ちらりと将の方を窺う。
笠井が、その輪を肩をすくめて眺める。
藤代が、元気よく声を上げた。
「キャプテーンv デザートにしましょーよー♪」
歓迎会のような宴会のような祭りのような、大騒ぎの『風祭将を迎える会』は、そんな感じで夜更けまで続いた。
渋沢は自分ひとりで片付けると言ったが、そういうわけにもいかない。
結局全員で(三上はぶつくさ文句を言っていたが)後片づけをしてから解散となった。
渋沢の家を出た時点で2階に住む笠井と藤代、1階の管理人室に戻る三上とわかれた。
そうして、買いモンがあるから、とコンビニに出かけていったシゲを階下に見送ると、水野と将がふたり取り残される。
並んで階段をのぼり始めたふたりだが、一歩ずつ将が遅れている。
ふと将を見ると、将はどうやらぼーっとしているようだ。
「風祭?」
声をかけると、はっと気付いたように顔をあげる。
「あっ、ごめん!」
「どうした?」
「……ううん。ずいぶんと今日1日でいろんな事があったなぁ、と思って」
「あぁ、…そうだな。疲れたろ?」
「大丈夫。ぼくってこう見えてもけっこう丈夫なんだよ」
将が笑う。
本当にまっすぐに。
だから、水野は、何も言えなかった。
気が付くと、303号室の前。
「それじゃあ……水野くん、今日もありがとう。おやすみなさい」
「……おやすみ」
がちゃん、と背の後ろで重いドアが閉じた。
将はそれにもたれかかる。
なんだか急に静かになったような気が、する。
そうしてひとつ、大きく息を吐いた。
なんだかやたらとせわしなかったけれど、楽しかった、と思う。
(みんながぼくのことを、あんなに歓迎してくれるなんて……嬉しいな……)
なんの曇りもない心で、本当に思う。
(ぼく、ここへ越してきて……本当によかった)
ほんの少し濡れた目元を、そっとぬぐう。
目の前で閉じた扉に未練を残すように、水野はしばらくそこに立ちつくしていた。
言いかけた言葉は結局言わなかった。
そうして、何が言いたいのか自分でもよくわからなかった。
(風祭……)
胸の奥でその名を呼ぶ。
(気が付くと、あいつが中心にいる。みんながあいつのそばに集まってくる。それはいいことなんだ。いいことなんだろうけど、でも……)
戸惑う気持ち。
この気持ちはなんなのだろう?
閉まった扉をちらりと見やり、水野はそっと自分の部屋へと歩き出した。
煌々と灯るコンビニの蛍光灯の下で雑誌を立ち読みしながら、シゲは溜め息をついた。
(タツボンもあないな人種やったんやなー)
付き合いは短くないはずなのだが、あそこまで思い入れている水野は初めて見た。
なんでオレがこんなに気ィ遣わなあかんねん、が正直な感想ではあったが。
ほっとけないのがシゲの難儀な性格である。
(……ま、えぇわ。あのポチっちゅうヤツ、今時珍しい純粋培養やで。ほんまおもろいやっちゃ。気に入ったで♪)
読んでいた雑誌をラックに戻す。
バイトの店員がこちらをちらりと見たようだったが、気にしない。
新しい雑誌を手に取った。
さっきとはうってかわって、しんとして音もない室内を、渋沢の静かな瞳が見渡す。
予想以上の大人数だったが、すべてつつがなく終了した、といってもいいだろう。
終了?
…いや、始まったばかりだ。
(風祭……)
ひとつ年下なだけのはずなのに、自分よりずいぶんと小さな姿。
そのくせ存在感はとてつもなく大きくて、気が付くと目で追っている……その眩しい笑顔を。
(…本当にあいつは変わっていないな…。また会えてよかった…)
ふとうつむき、渋沢はそっと微笑を浮かべた。
バスルームのドアを音をさせて開ける藤代は、上機嫌だ。
ショートの髪をバスタオルで適当に拭きながら鼻歌を歌っている。
つけ放したテレビからは、深夜特有のばかばかしい笑い話が流れてくるが、別にそれを見ている様子でもない。
ただ単純に機嫌がいいのである。
(風祭かー。えっへー、気に入っちゃったなーv)
目を上げると、そこには大きな写真入りのカレンダー。
あちこちにお出かけの予定が書き込まれている。
(あっ。そうだ。今度風祭誘ってどっか遊びに行こうっと♪)
ベッドに思い切り寝ころんで、三上は舌を打つ。
行くつもりもなかった歓迎会とやらに引っ張りだされて、機嫌が悪いというのもある。
だが、過ぎたことだ。
それに対してどうこう言うつもりはない。
だが……。
(いけすかねぇヤツだとは思ったけどよ……なんなんだよ、あの保護者ヅラはっ!)
どうやら水野のことらしい。
保護者、と悪態をついたのは自分だが、いざそれを目の前で実践されると腹が立つ。
(ちっ……なんだってあぁも風祭にべたべたすんだ。てめぇのモンじゃねぇだろうがよ。……あぁ、気にくわねェ!! 今日はもう寝るっっ!!)
勢いよく、三上は布団をかぶった。
どうやら三上も、自分の足下にあいた大きな穴に気付いていないようだ。
ソファーにもたれるように座った笠井は、薄めのコーヒーを飲みながら手のひらでダーツの矢を玩ぶ。
(……ずいぶん波乱含みな展開だな)
考えているのは、先ほどの歓迎会のことだ。
なんだか一見すると和やかで仲睦まじい会だったが。
傍観に徹していた笠井にはその実状がありありと見えていたのだ。
(先輩たちも…水野ってヤツも、みんな風祭将に惚れてるってわけか。一目でわかるんだから、大概わかりやすい人たちだよ)
笠井はかすかに笑って、ダーツの矢を投げた。
とす、と小気味のいい音をさせて、矢は見事中央に突き刺さる。
(これは、荒れるな……)
忍び笑いが、空調の音だけがする室内にこだました。
それぞれの思いで更けていく夜。
しかし、波乱は当然それだけではすまないのでありました。
continued ♪
<After Words> |
三上マンション第4話をお届けしまーす。 はふう、ようやっと「前回ほどお待たせしない」を到達できましたv よかったー。って、前回は4か月だったしね…。 恐ろしい…。 …恐ろしい、といえば、今回軽くひとり恐ろしい人が(笑)。 まさかあんな人だとは思いませんでしたけどねー…あはははは。 そして、次回物語に動きが!? お楽しみにねv …って、期待せずにお待ちくださいませ♪ |