〜A LUNAR ECLIPSE〜

August 15th, 2000

★ ★ ★







 あの日────月は紅い血を流して泣いていた。
 うつむき、ただ声もなく。
 あのまま死んでいった月。
 屍の、淡い色。





 海が見える切り立った崖の上に、いつもその子はいた。
 そばにそびえる高い木の枝に腰掛けて、足をぶらぶらと揺らしながら。
 私は、いつもその子を眺めていた。
 危ないなあ、どうして誰も注意しないんだろう、と思っていた。
 そういえば、いつからあの子はあそこにいるんだろう。
 私はずっとここに暮らしている。
 でも、昔の私にはあの子の記憶はない。
 じゃあ、最近のことだった?
 そう思ってみると、急に昔からいたような気がしてくる。
 不思議な感じ。





 夏休みももう半分が終わろうとしている、ある日の夕方。
 一緒に遊んでいた友達と別れて、私はその崖に通りかかった。
 ふと目をやると、今日もその子は木に座って海を眺めていた。
 私は一度通り過ぎかけて───でも、無性に彼のことが気になった。
(もう夕方なのに……いつまであそこにいるんだろう)
 そう思って。
 私は彼に近付いてみることにした。
「……ねぇ、君。何、してるの?」
 夕暮れに染まるオレンジの海は、鮮やかに色輝き、彼の姿をはっきりと浮かび上がらせる。
 遠目で見ていたときよりも、何故かもっと遠い気がした。
 彼はほんの少し間をおいたから、私は少し怖くなる。
 本当は声をかけちゃいけない───そんなことをずっとわかっていたのに声をかけてしまったような、そんな気持ち。
 そんな私の心を見透かしていたんだろうか。
 彼が、ゆっくりと振り向いた。
「───空をね。見てるんだ」
 ふわ、と。
 とても暖かい、包み込むような微笑み……。
 黒い前髪の奥で、真っ黒な瞳が夕日にキラキラ光っていた。
 私と同じくらい……ううん、もう少し年下の……?
 その不思議な微笑みに、私は泣きたいような気持ちになった。
 どうして?
 そんなのわからないけれど。
「ふうん……僕に声をかけてきたのは、君が初めてだよ」
「え?」
「誰も、僕に気付かなかったから」
「え……でも」
 彼は、笑った。
 それ以上を私に言わせまいとするように。
 何もかもを浄化してしまうような、綺麗な笑顔で。
「ねぇ、君。早起きは平気?」
「早起き? う、うん、大丈夫よ。それが……」
「そう。じゃあ、明日太陽が昇るより早く、海岸においでよ。誰にも内緒で、ね」
 そういうと……彼は、ふわりと地面に降り立った。
 まるで羽でも生えてるみたいに軽やかに。
 そしてぱたぱたと靴音を鳴らして、私の横を通り過ぎていった。
 私は動けなかった。
 何故…って。
 彼がそこから降りるのを、私は初めて見たのだから。





 次の日、たぶん私は早起きをしたのだと思う。
 思う、っていうのは、気が付いたら真夜中の海岸にいたから。
 きっと寝ぼけていたんだ。
 なにせ、まだ10をようやく過ぎたばかりの私には、その時間は未知の時間だったのだ。
 あたりは闇だ。
 けれど見上げれば、そこには宝石を砕いたようなあかりが散らされている。
 だからちっとも暗い感じはしなかった。
 月はもう反対の山の方に沈みかけ、うっすらと薄い天の川が大地を吊すようにかかっている。
 砂を踏んで、波打ち際まで歩く。
 彼は、使い古された木の舟に腰をかけ、私を待っていた。
「ああ。来てくれたんだね」
 夕方と同じように、微笑んで彼は言った。
 でも違う。
 あの時よりも、いっそう不思議な感じのする笑顔。
 星座をそのまま、降ろしてきたような。
「あの……どうして私を誘ったの?」
「うん、君にね、見せたいものがあったから」
「見せたいもの?」
 彼は頷くと、こっちにおいでよ、と言った。
 私は言われるがままに、彼の隣に座り込む。
 その古い舟はぎぃ、と軋んだ。
「美優(みゆ)ちゃん。この前の月蝕、見た?」
「月蝕? うん、見たよ」
「キレイだったね───赤銅色に染まって」
 きれい?
 私は……とても怖かったけど。
 見ている私の目の前で、どんどん欠けて、消えていく光───。
 残った紅い月は、抜け殻のようだった。
 ぬけがら? ───ううん、違う。
 なきがら、のよう……。
「───大丈夫だよ」
 え?
 彼を見ると、彼は慰めてくれるように笑っていた。
「消えた月は、やがて現れる」
 私が問い返そうとすると、彼は目をそらした。
 広い広い空。
 輝く星のおかげで、いつもより広く見える空。
 星がちらついて、眩しいくらいの空。


 しばらく何も言わなかった彼が、ふと口を開いた。
「北の方……Wの形が見える?」
「え? うん。あれ、カシオペア座でしょ」
「そう。じゃあ、そのもう少し下……天の川に沿ったあのあたり。大きい弓の形。人、っていう字にも似てる」
「あぁ……見える。あれは何?」
「あれが、ペルセウス座」
「ペルセウス?」
「うん。彼はね、神様と王女様の間に産まれた男の子。真ん中にある明るい星がアルゲニブ……それで、その少し下にある青白い星がアルゴル。悪魔って意味だね」
「悪魔……」
 彼は私の方を見て、ほんの少し肩をすくめた。
「メデューサって知ってる? ゴルゴンっていう、髪の一本一本がヘビでできた怪物の姉妹の、1人なんだけど。なんでも、目に魔力を持っててね。目が合ったものを全部石に変えちゃうんだ」
「聞いたこと、ある」
「でしょう? メデューサはね、ありとあらゆるものを石に変えちゃって。神々はみんな困ってたんだ」
 彼は、そうしてまた空に目をやった。
「そこに都合よく現れたのがペルセウスなんだ。神はペルセウスに力を貸し、彼は見事メデューサの首を落とす───」
 私はびくりと肩を揺らす。
「そこからね、血が噴き出した。たくさん、ね。その血を浴びた石……メデューサに石に変えられてたものが、みんな元通りになったんだ」
 だから、彼はそう繋げる。
「死んだはずのものたちが、血によって蘇ったんだよ」
 じゃあ、メデューサの首が、あのアルゴル?
 そう思って見上げた私の視線の先。
 メデューサの首から、一筋の光が流れた。
「……あっ。流れ星!!」
 ひとつじゃない。
 四方八方に、大きな、小さな、いくつもの星が流れ落ちる。
 メデューサに落とされた首から飛び散る、生き血のように。
「……そう。あれはメデューサの血。死んだ者を蘇らせる、生き返りの光なんだ」
「うわあ、きれい……!」
「あの光で、死んだ月も蘇る。月蝕と共に死んだ者も蘇る」
 でも、
「それだけだと思う?」
 え?
 振り返る。
 そこに彼は、もういなかった。
 ただ、寄せては返す、波の音─────。





「───ゆ……!? 美優、美優!?」
 声……?
 私はそっと目を覚ます。
 見慣れない白い天井。
 寝慣れない固いベッド。
「あなた、美優が、美優が……!!」
「おお、美優……!!」
「意識が戻れば……もう大丈夫です。娘さんもよく頑張りました」
「美優……!!」
 私は枕元で聞こえる、その方に顔を向ける。
 お母さん?
 お父さん……。
 それに、お医者さま……?
「美優、わかる、お母さんよ!? あぁ、1か月も目を覚まさないから……も、もうだめかと……!!」
 ……あぁ。
 そうか。
 そうだった。
 私は1か月前交通事故にあって、意識不明になっていたんだ。
 そう、月蝕の夜に───。
 ……え?
 どうして私はそんなことを知ってるの?
 そして、私が夢の中で出会った、あの子は一体誰だったの?
 でも、そんなことは、もういい。
 私はこうして戻ってこれたんだ。
 ペルセウスが倒したメデューサの血で、生き返ることができたんだ。
 今夜は満月───。
 今夜蘇るはずの、あの月と同じように。





 ─────死んだ月も、月蝕と共に死んだ君も蘇る。
        でも、



        それだけだと思う?





End




<After Words>
777(スリーセブン)ゲットおめでとうございますーー!! お祝いにこんなお話をプレゼント。
月蝕もの、がお題だったはずなんですけど、どっちかっていうとペルセウス座流星群に偏ってる気がする……。
しかも、このお話って、不可解と言うよりは、ホラーではないでしょーか……。
だってなんか妖しいですよねえ、あの子供。意識不明の少女が見る夢って、それだけならいいですけど。
「それだけだと思う?」って。一体何が蘇るって言うんでしょーね。
そんなあたりがちょっとホラー入ってる……。
書き込めばもうちょっといろんな展開見せられるお話だったかもしれませんね。怖い方に(笑)。
んんん、茜ちゃん、こんなのでごめん!! また懲りずにキリ番踏んでリクエストしてねーー!!!



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