〜ほしのかげ〜

July 16th, 2000

★ ★ ★







 手のひらからこぼれた光が、夜の底に光溜まりをつくる。
 静かに満ちてゆく闇の中で、それはとても眩い。
 家々の輪郭を縁取り、溶けるように明るく、冴々と。
 その光はやすらぎの証。
 遠く昔に失った胎内のぬくもり。
 眠りを抱く大きな腕(かいな)。
 その中央に踊る影は、本当はなんのかたち?
 手を伸ばせば届きそうなのに、手はいつも空を切る。
 だからみんな、それにあこがれたの?
 でも、それを隠すものはなに?





 闇の触手はそっと気配を絶ち、いつも僕たちの後ろに潜んでいる。
 かえりみち、足首をつかんで引き留める。
 触手は夜に動き出す。
 そうして淋しい誰かを戻れない暗闇に引きずり込む。
 それだから僕たちは、サヨナラを言うんだね。
 夜に捕らえられてしまわないうちに。
 捕らえられて、あの妖しい光に心を喰われてしまわないうちに。





 あの球の、ふしぎな魔力を知ってる?
 君は僕にそう聞いたけど。
 でもそんなこと、知ってるよ。
 暗闇にぽつんと浮かぶ輝きは、人の心を知らぬまに支配しているから。
 よく言うでしょう?
 人の身体のサイクルは、あの光の満ち欠けと同じリズムだって。
 光の波動は心と奇妙なくらいに同じ動き。
 だから、満ちきったあの光の塊は、心にそうっと囁きかける。
 そう、誰にも聞こえない秘密の呪文。
 生きとし生けるものに与えられた、密やかな呪いの詞(ことば)。
 狂気(ルナティック)の名に相応しい狂宴の夜。
 心に巣くう魔物は、その夜ふいに目を覚ます。
 本当はそれはいつも心の中にいて、普段は眠っているだけなのに。
 昼のあいだは何気ない顔をしているだけなのに。
 みんなそれに気付かないふりをしているんだね。





 今宵、黄金(きん)の花が開く。
 孤高な金の色。
 あたたかな黄金(こがね)だけれど、ぬるい空気の中でそれは鈍い色。
 天空(そら)をゆっくり泳ぐ、同じ色の翼。
 残像をベールのようにはためかせて。
 夜の女神が忘れていった、一粒の鉱石。
 いったい誰が掘り当てたのだろう。
 そして誰が磨いたんだろう。
 わたし、と小さな声が聞こえた。
 悲しい涙で、わたしが磨いたの、と。
 あぁ。
 だからあの冴えた光は。
 あんなに淋しい色をしているんだね。





 触手。
 闇の触手。
 じわじわとあの光を消していく。
 音もなく。
 声もなく。
 悲鳴さえも聞こえない。
 そうして穏やかな夜を、
 何もない深淵の暗闇へと誘(いざな)うのだ。
 少しずつ、少しずつ。
 丸く切り取るように。
 そこに確かにあるはずなのに、
 闇だけを残して。
 赤い影だけを残して。





 夜のひかり。
 優しいひかり。
 眠りを誘うひかり。
 誰もが知っていたひかり。
 それが今、消えていく。
 誰が消したの?
 淡い輝きを。
 昔このホシから離れていったという、
 あの“月”の輝きを。





 ……あぁ。
    月(きみ)を消したのは。
    そうか。
    地球(ぼく)だったんだね。





End




<After Words>
いやあ、晴れましたね!! 雨だっていっていたのに。
天気予報はずれましたね!! 見事な晴れ!!
そんなわけで無事月蝕を眺めることができました。綺麗で、とても神秘的でしたね。
このクラスの月蝕が次に起こるのは、3700年代のことだとか。
さすがにそれまでは生きていらんないでしょうからねえ。
あとは、生きているうちに皆既日蝕が見てみたいんですけどね。どうでしょう。



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