〜ことばあそび〜

July 31th, 2000

★ ★ ★







 閉ざされた空間の、音もない部屋。
 君の言葉だけが、ただ反響していた。
 反響? 耳には届かないのに?





 迷路のようなこの部屋。
 ぐるりと見渡しても、僕を捕らえた壁だけしかない。
 隣人の声がかすかに聞こえた気がしたけど。
 ひっそりとした白い壁は決して何も答えない。
 戸惑っていたのは最初だけだよ。
 初めから、こうなることは知っていたんだ。
 いたずらに時間だけが過ぎて、やがて……。
 暗闇に僕だけが取り残されてしまうだろうことは。





 ふいに思い出すのは優しい記憶。
 ただもたれてまどろんでいたあの日。
 輪廻の歯車さえが形を見せていたあの日。
 のどかな時間の中で、僕たちは同じ夢を見たね。
 唇が紡ぐ言葉は、まるで細い絹糸のようだった。
 失ってしまったものの大きさは、失ってからわかる。
 きっとそういうことだったんだ。
 硝子(ガラス)のように、それはとても脆く、簡単に割れてしまったんだ。
 とがったその欠片が囁いて。
 リズムを奏でていたけど。
 もう、決して元通りにはできない。
 どんなに強く願ったって、どんなにそれがキレイだったって。
 世界中が祈りをささげても。
 なんにもならないものなんだね。
 今ようやっと気付いたよ。





 おかしなものだね。
 戻れないとわかったとたん、人って懐かしさを感じてしまうのかな。
 一度もそんなこと思っていなくても。
 でも…たぶん人ってそういうものなんだろうね。
 意識なんてしていないくせに。
 誰もがなくしたものを懐かしむ。
 一瞬の淡い夢だと知りながら。





 手のひらに、白く白く降り積もっていく。
 閉ざされた扉の、鍵の破片が。
 けど、僕はここから出るつもりはないから。
 手招きをされても、もう決めてしまったから。
 いいんだ、もう。
 狂おしいこの迷路の中で、朽ち果てることにしたんだよ。
 ほんの少しだけ後悔してる…君を悲しませたこと。
 仕方のないことだとはわかっているのに。
 必ず、だなんてそんなもの、本当はないんだから。
 罪の色は鮮やかな純白。
 魂と同じ色……ならば、魂を有することは罪?





 伸びきった影は、やがて闇に取り込まれて消えていく。
 走って逃げたって、決して逃れることはできない。
 気付いていた…だけど僕は。
 満ちきった月から逃げたかったんだ。
 覗き込み、心を暴くあの光が、怖かったから。





 今夜、この何もない空の下で、もう一度。
 ことばあそびをしない? ふたりで。
 路地裏のアスファルトに、あの頃と同じ白いチョークで。
 空の闇色に映える白。
 飲み込んでしまったあの日の言葉を使って。
 いちもじずつに、そっと呪文を封じ込めて。
 乗せてゆこう。
 小さな魔法陣。
 できるのならそのまま君をさらってしまいたかった。
 もう一度、ふたりで同じ道を歩いていきたかった。
 きっと僕が願うのは、ただそれだけのこと。
 永遠よりも、君がいる一瞬を。
 手のひらにつかめるだけの幸福(しあわせ)を。
 今でも、願いはそれだけ。
 唇が綴る思い。
 あの日の魔法陣に、全部書き込んでいこう。
 残すことなく、すべてを。





 強くなれただろうか……あの時より。
 君を守れるだろうか……今なら。
 ノスタルジアの辿り着く丘で、君は眠りについているけれど。
 海が満ちては引くように、すべては変わっていくけれど。
 螺旋のように、巡り巡っていくけれど。
 外界(がいかい)から閉ざされたこの部屋では見えない。
 わからない。
 でも、ただ僕は君を守りたかったんだ。





 靴音は消えていき、たぶん戻ることはない。
 だけど、僕は追いかけない。
 決して。
 手が届かないことを知っているから。
 今更遅いことを知っているから……でも、それなのに。
 苦しみは、悲しみは、喜びは、痛みは、けれど君へと還っていく。
 閉じこめたはずの想いさえ。
 君に向かって翼を広げる……あぁ、そうか。
 離れられるはずがなかったんだ。
 君からは。
 ただ、それだけのことに今やっと辿り着いた。
 宵に満ちていく闇の中で、それだけが真実。
 とめどもなく流れ落ちる時の中で、それだけが出口。
 もう、閉ざした遥かな扉。





 似合わないよ、涙なんて。
 ねぇ、目を閉じてごらん。
 難しいことばなんて、ひとつもいらなかったんだね。
 理屈なんて、言い訳にしかすぎなかったんだね。
 逃げられない、逃がさない。
 月の光の中に冴える、この静かな迷宮で。
 ことばはすべて嘘になる。
 海の底のようなこの夜の真ん中。
 閉じこめられたさなぎのように、ずっとずっと一緒にいよう。
 わずかな空の隙間……ほら、見てごらん。





 虹が架かるよ───逆向きの虹が。





End




<After Words>
ことばあそび、でございます。タイトルのそのままですね。一番簡単な暗号ってやつですか?
…そんな高尚なものじゃないですけどね。中身と結構一致して楽しかったです。
元来日本語にはラ行ってないんですよね。だからラ行は一番きつい…いや、マ行もきついかも。
今回はオリジナルですけど…別ジャンルでもこんな仕様ができたらいいな、と思うんですけれど。
難しいかなあ。難しいでしょうねえ。
けど、これはこれからも取り組んでいきたい構成の仕方ではありますね。
とりあえず、暗号でも読んでみてくださいね♪ (大したことないですけど)



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