〜しあわせのたまご〜

August 8th, 2001

★ ★ ★







 雲がどんよりと立ちこめる夏の午後。
 じわと熱い風の中を、散歩がてら買い物に出かけた帰り道だった。
 蝉の声がじーりじーりと降ってくる。
 せっかくの夏休み、せめて晴れていれば木々の緑も鮮やかで綺麗だろうに。
 買ったばかりの洋服の入った紙袋をゆらりと揺らしながら歩くと、町の時間さえもがゆっくりと流れていくようだ。
(あぁー…暑いなー…)
 曇っているんだから、少しは涼しくなるんじゃないかと思っていたのだが、そうでもなかったらしい。
 こんなことになるなら上着を羽織ってくるんじゃなかった、と思う。
(コンビニに寄ってアイスでも買ってこ)
 そんなことをふと考えて、ちらりと横を見る。
 そこはあまりの暑さに人の気配の絶えた公園だ。
 自宅近くのコンビニに立ち寄るには、この公園を通るのが近道なのである。


 噴水の横を通り抜け、蝉時雨の木々の下を辿る。
 さああぁ、と落ちる水の音。
 心地よいハーモニー。
 けれどなんだか最近、ほんの少し憂鬱だった。
 別に何か原因があるわけじゃない。
 たぶん暑すぎるとかやることが何もないとか、あったとしても些細なことで。
 そんなふうに苛ついたままだと、とたんにすべての現象がつまらなく思えるから不思議だ。
 そうして思っていれば、さらに考え方は悪い方へと向かって行くもので。
 悪循環だ。
 そうは思っているものの。
 どうにもならないから悪循環を引き起こすのだ。
 …と。
 こつん。
 白いサンダルに何かが当たった。
 驚いて振り返ると、足元には白い卵。
 ……卵?
「えっ……?」
 しかも普通の卵じゃない。
 よく見る鶏の卵よりも、それはずいぶんと大きい。
 形こそ卵そのものだが、バレーボールほども大きさがある。
 一歩歩いてみると、ころり。
 もう一歩歩くと、ころり。
 なんとその卵、ついて来るではないか。
 じーじりじー、蝉の声の中での、おかしな遭遇。





「えー、それでそれ、持って来ちゃったの?」
 遊びに来た友人は、そんな素っ頓狂な声をあげた。
 机に頬杖をついて、ひとつ息をつく。
「だって。ついてくるんだもん、しょうがないじゃない」
 その卵はころりころりと転がって、いつまでもついてきたのだ。
 いくら追っ払ってもついてくる。
 挙げ句の果てに、家までついてきてしまった。
 卵に向かって追っ払う、というのもおかしな話だけれど。
「でもさ、実礼(みらい)。それって落とし物でしょ。警察とか持ってった方がいいんじゃないのかな」
「うーん、やっぱ物…だよね。なんか勝手に動くけど…」
「じゃあ生き物?」
「それとも違う気が…」
 2人は、ふぅ、と同じように息を吐く。
 その元凶はといえば、今も実礼の足元に転がっている。
 白い白い卵。
 大きな卵。
「一体これ、なんなのかな」
 困ったように言って実礼はひょいとそれを持ち上げて、あ、と声をあげた。
「…あれ。これ、あったかい…」
「へ? じゃあ生きてんのかな」
「なのかな。…うん、それにちょっと、重いよ?」
 軽く振ってみる。
 それはなんの音もしなくて、当たり前だがなんの反応もない。
(そういえば、中で生きてるんなら心臓が動いてるかも…)
 理科で習った知識から、頭上に持ち上げてあかりに透かしてみる。
 ところが、殻は固いのか、鼓動どころかちらりと透けさえしない。
 すっかり悩み込んでしまった実礼が仕方なくそれを置こうとすると。
「あ!」
 いきなり友人が声をあげた。
「え? なに?」
「なんかそれ、底のところに手紙みたいのがついてる!」
「手紙ー?」
 不審に思って裏返してみると、…なるほど。
 カードサイズの白い封筒がぺたりと貼ってある。
 それを剥がそうと爪を立てたが、手紙は難なくぽろりと実礼の手に落ちた。
 ずいぶん小さいが、ちゃんとした封筒のようだ。
「ねぇねぇ、中、なんて書いてあるのかな。ね、早く開けてみようよ!」
「ちょっと待って、今…」
 洋封筒の貼り合わせた蓋をそっと剥がす。
 ぺりぺり、と乾いた音。
 卵から取ったときのように、ずいぶん簡単に開く。
 開いた中身は、白。
「なーんだ、カラ?」
「! ううん、カードだよ。白いカードが入ってる」
 実礼は、厚紙でできた小さなカードを封筒から引っ張り出す。
 そこには青い色で縁取りがしてあって、黒い文字で、
「…“ご使用説明書”…」
「はぁ?」

●◎○ ご使用説明書 ○◎●
このたびは、当社特製『しあわせのたまご』をお手に取っていただき、まことにありがとうございます。
この『しあわせのたまご』は、あなたにしあわせをお届けするたまごです。
一晩あたためてお休みくださいませ。
きっと素敵なことが起こるでしょう。
あなたにしあわせがおとずれますように。
ゆめのたまご社



 それにはそれだけあって、他には何も書かれていない。
「えー? 『しあわせのたまご』? うさんくさいよ。第一、こんな“ゆめのたまご社”、なんて聞いたことないし…」
「うん…」
 友人の言葉を聞いているのかいないのか、実礼は曖昧な返事をする。
 友人ははっとして、
「まさか、実礼! あっためてみようとか思ってんじゃないでしょうね!」
「んー…ちょっとだけ…」
「ちょっと、やめなって! 何が起こるかわかんないよー?」
「ん…」
 何が起こるかわからない。
 だから興味を持ったのだ。
 その“何”がなんなのか、確かめてみたくなった。
 “しあわせ”になってみたいとか、そんな抽象的な思いじゃない。
 それに、その真っ白な卵にはいやな感じがしない。
 だから大丈夫だ、という気持ちが、なぜか胸のどこかにあった。





 ベッドの中で抱え込んだその卵を撫でると、ツルツルとなめらかだった。
 風呂あがりですぐにあたためたせいだろうか、卵は人肌ほどにあたたかい。
(まだかな…)
 一晩、というからにはまだまだなのだが、それがとても待ち遠しい。
 一体その卵の正体がなんなのか、ということよりも、今の実礼にとってはそこから生まれるものがなんなのか、ということの方が大切だった。
 ぎゅっと抱きしめ、体温を移すようにあたためる。
(早く生まれてこないかな…)
 わくわく、する。
 こんなにわくわくするのはどれくらいぶりだろう。
 忙しい毎日の中で、そんな心は忘れていた。
 どきどき高鳴る心。
 いやがおうにでも期待が高まる。
 何か生き物でも生まれてくるだろうか。
 それはどんな生き物?
 犬みたいな?
 猫みたいな?
 それともウサギみたいな?
 実礼の腕の中、卵はまだ何も反応しない。


 1時になり。
 2時になり。
 さすがに実礼もうとうとしだす。
 卵に変化はない。
 かちこち、時計の針の音。
 電気を消した部屋の中はいつもと同じ自分の部屋。
 かちこち、かちこち。
 その音以外には何も聞こえない。
 沈黙に音というものがあったなら、きっとその音が耳にうるさかっただろうに。
 かちこちかちこち。
 とうとう時計は3時半をさす。
 何かをしていれば平気で起きていられるのだが、ベッドの中でうとうとしているのはさすがに辛い。
 実礼はふっと目を閉じた。
 その時だ。
 腕の中で何かがもぞりと動いた。
 がばっ。
 実礼は勢いよく起きあがる。
 何かが?
 今夜実礼の腕の中にあるものと言えば、例の卵に決まっている。
「…あっ」
 実礼は卵を見て思わず声をあげた。
 卵は手のひらの上で、ほんのりと優しい光を放っている。
 それはとてもあたたかな光だ。
「えっ?」
 もう一度声をあげてしまったのは、卵がふいにふるふると震えだしたからだ。
 ふるふる、ふるふると身をよじっているように震えている。
 と思うと、今度はちりちり、ぱり、と音を立てた。
 ぱり、ぱりぱり、ぱきん。
 手の中で、卵が揺れて。
 ぱんっ。
「……わぁ」
 実礼はそれきり言葉を失った。
 卵には、…羽が生えていた。
 うすい水色の、柔らかそうな2枚の羽。
 鳥の羽とは違う。
 鳥と同じなら、それは一枚一枚小さな羽が集まって翼を作っているはず。
 だが卵から生えるその羽は、細かい毛が生えていて、まるでぬいぐるみのようだった。


 ふわり……。
 実礼の手から、重さが消えた。
 あっと思うと、卵はふわりと宙に浮いている。
 夢じゃない。
 目の前で、卵が浮いていた。
「…すごい……」
 やんわりと光る卵、羽も動かさずふんわりと飛ぶそれは、とても心の安らぐ光景。
 心の中が、何かで満たされていく。
 あたたかいものでいっぱいになっていく心。
 それは、何か…。
 とても…。
 この気持ちを表す言葉があるとしたら……。
 ふうっと。
 風が吹いた。
 どこから吹いたのかわからないほどのゆるやかな風。
 しかしその風は、たしかに実礼の部屋の窓を開けた。
 かたん、という小さな音を立てて。
 実礼は導かれるようにそちらに目をやった。
 窓の外…星の光。
 ありとあらゆる色にさざめき、輝く、幾多数多の穏やかな光。
 そこにすうっと一筋の白い光。
 あ、流れ星。
 そう思うと、流れ星がまたひとつ。
 いや、ひとつじゃない。
 次から次へと落ちてはまた現れる、星のシャワー。
 光の洪水。
 何も言えない。
 この壮大な景色を目の前にして、言葉が見つかるはずもない。
 心が、洗われるようだと思った。
 魂が、どこまでも澄んでいくようだと思った。
 そう…。
 この気持ちを、表す言葉があるとしたら……。
 ふいに、卵が強い光を放った。
 目を開けていられないほどのまばゆさ。
 それはどんどん強くなって、やがて、
 ぱんっ。
 大きな音がした。
 するととたんに、意識が遠くなっていく。
 そうして意識が途切れる瞬間、


     しあわせに、 なった?


 たしかに実礼は、か細いそんな声を聞いていた。





 翌朝目が覚めると。
 部屋は普段と変わらない夏の朝。
 割れたと思った卵の欠片はおろか、あの説明書も見つからない。
 まるで昨日、あの卵に出会ってからすべてが夢だったような。
 けれど、不思議なことに、それがちっとも残念ではない。
 心がほかほかとあたたかくて、なんだかとても嬉しい気分だった。
 実礼は思いきりのびをして、そうして窓の外を見る。
「あー…晴れたんだぁ」
 空はどこまでも澄んだ青だった。
 澄んで、綺麗で、濃い夏の色。
 今日も暑くなりそうな空だ。
 でも、そんなふうに晴れている空が、それだけのことが、こんなに嬉しい。
 さりげないことだけれど、とても嬉しい。
 小さなことも、思う心次第でこんなに明るくなれるのだ。
「なんだか…しあわせな感じ。よォし、今日は歩いて遠出しちゃうぞー!」
 そう。
 小さなことも、しあわせに思える。
 その心を持つことこそが、本当のしあわせなのです。


「おかあさーん、出かけてくるねっ」
 晴れた空に、明るい声が吸い込まれていく。
「はいはい、気をつけてね。遅くならないのよ」
「はーい!」
 なんとなくテレビをつけて洗濯物を干していた母親が、実礼の背中に向かって微笑みながら声をかけた。
 卵?
 夢だったかもしれないけど、ちゃんと生まれたよ。
 しあわせな心、がね。





『続いてのニュースです。
 今朝未明、観測史上初となる大量の流星群が見られた件について、
 天文学の権威である××大の○○教授は、
 「有り得ないことだ」とコメントし────』





End




<After Words>
そういったわけで(どういったわけでしょうか)桂月玲様のお誕生日に、捧げます。
お、おかしいな、わけのわからないお話になってしまいました…。
どうやら風音、ほんわかしたものを書こうとすると調子が狂うらしいです。
え? それはいつものことだろうって?
ああ…うん。まったくその通りなのです。
しあわせ…また難しいテーマを…。いずれ別ジャンルでも書きたいこのテーマ。
たまごシリーズでちょっと書けるかもしれない…とも思ってみたり。
なにはともあれ、玲様お誕生日おめでとうございますv



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