それもひとつのきっかけ

June 30th, 2007

★ ★ ★







 広い広い大陸を、一頭の馬が進む。
 目的のある旅だから、そうのんびりもしていられない。
 けれどその馬は、どこかのんびりと歩を進めている。
 その背には2つの人影。
 青いジャージと赤いジャージ(ノースリーブ)。
 まったく奇妙ないでたちのふたりを乗せて、面倒そうに馬が行く。





 妹子ぉ。
 うしろの青ジャージが間延びした声を上げる。
 いったい今度は何なんだ、と視線だけを後ろにやり、
「なんですか、太子」
 一応聞く。
「なあ、そろそろ夕飯にしないか?」
「さっき遅めの昼食をとったばかりでしょう。こんなことではいつまで経っても洛陽に着きませんよ」
 それでなくとも、やれ可愛いワンちゃんを見つけただ、やれ花が咲いてるだ、太子が大騒ぎするたびに歩みを止めるものだから、今日はほとんど進めていない。
 まったくこの人は自由すぎるのだ。
 しかし妹子の心の溜息を知る由もなく、太子は騒ぎ続ける。
「な〜、妹子〜。妹子〜」
 延々と名前を呼び、ぐらんぐらんと上体を左右に振る。
 馬が歩きにくそうによろめいた。
 妹子はその首をなだめるようになでてやる。
「いい加減にしてください太子」
「だっておまえ、腹が減っては戦ができないっていうじゃないか」
「どんだけ非効率な胃袋してんですか…」
 これが一国の摂政だというのだから、恐ろしい。
 駄々をこねる子供そのものだ。
 なんでこんなワガママと二人旅になってしまったのか……。
 いや、今はげんなりしている場合ではない。
 これは言い出したら止まらないのだ。
 仕方なく辺りを見回すと、道から少し外れた場所に、寂れた廟がある。
「太子、じゃああそこで少し休んでいきましょうか」
「オホ〜イ」


 葉のよく繁る大きな木に馬をつなぎ、妹子は廟の中を覗き込んだ。
 人の気配はおろか、壁は崩れ、柱の塗りも剥げ、あろうべき場所にこれといった像もない。
 すっかり朽ち果てたそこは、空虚で薄ら寒い。
「ずいぶん汚いんだな」
「そうですね…。もう使われなくなってだいぶ経つんじゃないですか? ちょっと薄気味悪いですね」
「なんだ、妹子。怖いのか?」
「べ、別に怖くはないですよ!」
 ただ、こういった場所はなんとなく人を厳粛な気分にさせる。
 それがこれだけ荒れ果てていると不気味な感じはどうしてもぬぐえない。
 妹子が二の足を踏んでいるのに気付いたのだろう、振り向くと太子が勝ち誇ったように笑っている。
 ……ムカつく。
 さくっと無視して、妹子は軒下に荷物を広げた。
 あえての軒下にまた絡んでくるかと思ったが、どうやら食事の包みを取り出したことでそちらに興味が移ったらしい。
 包みの中身は、いくつかのおにぎり。
 先程立ち寄った村で、長旅は大変でしょうと包んでくれたものだ。
 倭国から遠く離れた誰も知る人のいない土地でこうして人のぬくもりに触れ、自然と頭が下がる思いがした。
「お〜、このおにぎり、珍しい山菜が入ってるぞ。ほら、妹子、見ろ」
「あ、本当ですね」
「妹子のは何だ?」
「僕のは……鮭です」
「そっちもいいな。替えてくれ!」
「は? まだありますよ?」
「妹子の食べてるのがいいんだよ」
 なんだ、それは。
 仕方なく交換してしまう自分は甘いのだろうか。


 遠くで雷鳴がする。
 見上げると、厚く黒い雲が広がってきているのが見えた。
 あっと思う間もあらばこそ。
 突然大粒の雨がざぁあっと音をたてて降り始めた。
「うわっ。急に降ってきたなぁ」
「これは…さっきのまま進んでいたら、次の町に辿り着く前に降られていましたね」
「じゃあ私の判断が正しかったということじゃないか! さすが聖徳ミラクル摂政太子!」
「語呂悪っ。…じゃなくて、さっきはそんなこと言ってませんでしたよ太子」
 雷の音が、少しずつ近くなってくる。
 今日はここで足止めかな、となんとなく考えていて……。
「あっ」
「どうした、妹子?」
「雷です」
「うん、雷だな」
「そうじゃなくて…。雷は高いものに落ちやすいんですよ。大きな木は危ないんです。僕ら、馬を木に繋いできたでしょう」
 あ、と太子がつぶやく。
 妹子は頷いて、
「ちょっと僕、行ってきますね」
 言うが早いか、雨の中を飛び出した。
 濡れるぞ、と声が追いかけてきたが、それどころではない。
「太子こそ濡れますから、中に入っていてください」





 馬は雷鳴に怯えているようだった。
 なんとかそれをなだめ、安全な場所を探す。
 すると廟の裏手に、参拝者のためのものだろうか、古びた厩を見つけた。
 最低限雨風がしのげる程度だが、十分だろう。
 改めてその柱に馬を繋ぎ、廟の入口まで駆け戻る。
「妹子!」
 入口に座り込んでいた太子が、ぱっと立ち上がった。
「そんなところにいたんですか。濡れるから中に入ってくださいって言ったのに」
「だって……馬が危ないってことは妹子だって危ないってことだろ?」
「大丈夫ですよ、まだ遠いですから。僕だってそんな無茶なことはしません。ほら、入りましょう」
 言うと、太子は拗ねたようにしぶしぶ廟の中に足を踏み入れる。
 空が暗くなったせいで廟の中はさらに薄暗く気味が悪かったが、仕方なく妹子もその後に続いた。
 参ったな…と思う。
 この雨でだいぶ気温が下がった。
 荷物の中から布を引っ張り出して濡れた髪や肩を拭くと、よけいに空気がひやりとする。
 寒い。
 そっと、自分の腕を抱いた。


 ……そこに。
 ふわりと肩に掛かるなにか。
 と、……カレーの匂い。
 一瞬、思考が止まる。
「あったかいか?」
「いや臭いです」
「おまっ」
 咄嗟に答えて。
 なんだよおまえはまったくもって云々と騒ぐ太子と、自分の姿を見比べる。
 上半身裸の太子と、自分が羽織った見慣れてきてしまった青いジャージの上着を。
「……っ、太子!」
 思わず、鋭い声を上げる。
 太子は驚いたように目を瞠った。
「なんだ? 匂いについての苦情は受け付けないぞ! なにせ極上の聖徳ブレンド」
「キモいですよ…………ってそうじゃなくて! いやキモいのはたしかなんですけどそうじゃなくて!」
「……2回言うなよ……」
 一体、何を考えているんだこの人は。
 妹子は青いジャージをぎゅっと握りしめる。
「僕に気を遣う必要はないでしょう? 太子は自分がどういう立場なのかわかっていますか」
「そりゃ、わかってるさ。摂政だもん。偉いんだ」
「そうです。倭国にとって、太子は、重要な人なんですよ!?」
「だけど、その私にとって、妹子は、大切な人なんだぞ!!」
 !


 はっとした太子が口に手をあてた。
 突然挙動不審になり(いつものことだが)、わたわたと奥へ走る。
 そうして、比較的塗装の残った壁際に座り込んだ。
「こっ、ここの寝やすそうな一角は私の陣地だからな!」
 妹子はそれを呆然と見ていた。
 今、何を?
 これは、どういう?
 わからない、頭の中がぐるぐると回る。
 聡明だと称えられた思考をもってしても、答えがまとまらない。
 ただ、ひとつ。
 その言葉に対して今ある心は、決して、
 嫌悪ではない。
 これは……?
 しかしその真意を測りかね、妹子は大きく息を吐いた。


 訳がわかりませんよ、太子。
 本当に貴方は、何を考えているんですか?


 その次の行動は、自分でも理解しかねるものだった。





 そのまま羽織ったジャージを太子の肩にかけるように、抱きつく。
「い……妹子!?」
 何をしているんだろう、僕は。
「……妙な誤解をしないで下さい。このままじゃふたりして風邪をひくことになります。バカは風邪ひかないっていうからあんたは大丈夫かも知れないけど、バカが風邪をひくともっと厄介なんです」
 そう。
 それだけだ。
 他に理由なんて…ない。
 あるはずがない。
 と、頭上で笑う気配。
 見上げると、太子がにへら、としか表現しようのない顔で笑っていた。
「顔が崩れてますよ。二目と見られないくらいに」
「んー? こういうの、いいなぁって。…いや君、一言余計じゃない?」
「正直気色が悪いです」
「がーんっ。一言どころじゃなかった!」
 太子はそれでも嬉しそうに、おずおずと背中に手を回してきた。
 どこの乙女だ、と思うが、今ここでそうツッコミを入れると、さらに一回り大きな墓穴を掘ることになりそうだったので、やめた。


 窓の外からは雨の音。
 なぜかそれが心地いい。
 ……きっと雰囲気に流されているんだ。
 ぼんやりと思い、それからふと気が付いた。
「太子。…すみません、これじゃ、太子の背中が寒いですよね」
「ふむ。じゃあ妹子、おまえのジャージ貸せ」
「へ?」
 いや…それはちょっと色々とマズいんじゃないか?
 何がどう色々とマズいのかよくわからないが。
 しかし考えているうちに太子が早く早くと騒ぎだし、慌てて上着を脱いだ。
 それを渡すと、太子は妹子のジャージを羽織り、自分のジャージを妹子ごと引き寄せてまた肩にかける。
「コレで完璧。な?」
「……なにか…ものすごく恥ずかしい体勢な気がするんですが」
「気のせいじゃないか?」


 気のせいなもんか。
 肌と肌が触れあう、吐息が触れる、心臓の音が聞こえる。
 この状況をどうやって気のせいにすればいいんだろう。
 さっきから激しく脈を打つ心臓を、どうやっておさめればいいんだろう。


「妹子……」
「はっ、はい!」
 自分を呼ぶ、柔らかな声。
 ひとしきり大きく、心臓が跳ねた。





「おまえのジャージ、袖がないからスースーする……」


「……って!! それはあんたのせいだろーがぁっ!!!」





End?




<After Words>
うへ。
やっちゃったぜ。
とりあえず、日和最初の更新で死にネタだけにはしたくない!
そんな思いだけで、いわば勢いだけで書いたモノでした。
えー。
初日和ノベル。
いかがでしたでしょうか。
テンポとか、ネタとか、正直増田先生は偉大だと思いました。
「続く」的な流れにするのか、最初予定していたとおりにするのか、
悩んだ挙げ句当初通りのラストにしてみました。

このノベルができたのは、ひとえにコレが目的だったんだ、
という蛇足説明が次のイラストページであります。
へなちょこ絵ですが、よろしければ…こちらへどうぞ



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