〜雨の音が聞こえる〜

October 2nd, 2001

★ ★ ★







 しとしとと、雨の音。
 見上げた灰色の空には切れ目がない。
「なんだか全然止まないねー」
 隣で同じように空を見上げてたタカがつまらなそうに言う。
「せっかくこれから出かけるところだったのに」
 あたしはそんなタカをちらりと見て、
「雨が降ってたって嬉しいくせにー? ぼーさんとデートだもんねぇ」
「やだっ、麻衣! そんなんじゃないんだってば!」
 はいはい、わかってますよ。
 ぼーさんのライブとやらがあるんだよねぇ。
 それにでかける、っていうんでしょー。
 もう2か月も前から聞いてるよ。
 しかし、ぼーさんがステージに立つ、っていうのはいまだにあたし、しっくり来ないんだよね。
 やっぱりなんかこう、琵琶かなんかで…しかもそれが実は似合うんじゃなかろうかと思うのはあたしだけかな?
「…あ、そういえば麻衣、知ってる?」
「なにをかなー?」
「雨の日ってね、恋が成就する日なんだって」
「へ?」
 あたしはタカの脈絡のないセリフに、首を傾げる。
 恋が成就〜!?
 聞いたことないぞ、そんなの。
「ほら、雨の日って外に出かけられないじゃない。だからいつもより話がたくさんできて、お互いのことがよくわかるようになる…って」
 逆もあり得ると思うぞ。
 お互いのことがわかっちゃって、嫌気がさすっていうこととかね。
 世知辛い世の中だしね、などと言ったら、タカに笑われた。
「なーに年寄り臭いこと言ってんの。だから今日は法生といっぱいおしゃべりするんだってば〜」
 あぁ…そういうことか。
 けどライブ中じゃおしゃべりもできないんじゃないのかなぁ…。
 それでも、うん、麻衣ちゃんは愛しいタカちゃんの恋を応援しちゃうぞ!
「頑張ってきてね、タカ! いつでも麻衣ちゃんはあなたの味方よ!!」
「ありがとう! 頑張りますわ!!」
 そういって笑い転げるあたしたち。
 あたしはちらりと奥のドアを見た。
 最近はこのくらいじゃでてこない。
 たぶん、呆れ果てたってとこだろうなぁ、あのお坊ちゃんは。





 最近めっきり涼しくなってきて、デスクを磨くのにも水じゃ冷たくてやってられない。
 とくに今日は朝から雨が降りっぱなしで、ちっとも気温が上がってこない。
 湿気があっても暑くはないからじめじめしなくていいんだけどね。
 今日は土曜日、学校も午前中で終わって、午後はしっかりバイトを入れた。
 なのに、全然やることがない。
 だからしょうがなくこんなふうにデスクなんか磨いちゃってるんだけど。
 なんだかここのところぽつんとこんなふうに時間が空いちゃうんだよねぇ。
 もうデスク磨くの、何度目かな。
 そのうち磨り減っちゃうんじゃないの、ってタカが呆れてたっけ。
 そのタカも今日はライブにお出かけしてしまい、あたしは広いオフィスにぽつんと取り残された。
 黙り込んでぞうきんがけなんかしてると、さすがに雨のうっとうしさにやられて、おしゃべりで気を紛らわせたくなるんだけどね。
 そんなことできないもんな。
 人がいないわけじゃない。
 とはいっても、…いくら暇だからって、おしゃべりに付き合ってくれるような人たちじゃないし。
 あんなに口開かなくて、よく耐えられるよねって、感心しちゃうよ。
 ふう、とひとつ息をついた。


 …とそこに、当の人たち(の片割れ)がドアを開けてでてきた。
 あたしは慌てて笑顔を作って、
「あ、リンさん。お茶ですか?」
 そう聞いた。
 しかしリンさんは相変わらずの無愛想で、
「いえ。ちょっとでかけてきますので」
 そう言ったが早いか、表へと続くドアから出ていってしまった。
 リンさんが外出かぁ。
 こりゃめずらしい。
 雨でも降るんじゃないの?
 …待った、もう降ってるんだった…。
 あたし、何をボケかましちゃってるんだろ。


 がちゃり。
 それから何十秒とかからないうちに、もうひとつのドアが開いた。
 誰だろうなんて思わない。
 だってもう、オフィスにはあたし以外に彼しかいないんだから。
 けどそれがあんまりリンさんが出ていってすぐだったもんで、ちょっとびっくりしたけどさ。
「何やってるんだ?」
 驚いた顔で振り向いてしまったあたしに、呆れた声で溜め息がひとつ。
 …悪かったね、そういつもいつも呆れさせてさ。
 だってナル、滅多に出てこないじゃないかっ。
 そりゃあナルはいつだって突拍子もなく出てくるけどさ、他に意識が行ってるときにいきなりドアを開けられるとびっくりもするんだいっ。
 あたしはあんたと違って繊細にできてるんだからね!
 言おうとしたあたしだけど、すんなりとナルのセリフで遮られた。
「麻衣、お茶」
「…はーい」
 そうですよ、あたしゃ被雇用者ですからね。
 ボスのお言葉には逆らいませんとも。
 第一、ナルの溜め息でいちいち腹を立ててちゃ身も持たないし。
 あたしにだって学習力はあるんだい。


 あたしがお茶の準備をし出すと、ナルはそのままソファに座る。
 あれ、めずらしい休憩かな。
 と思ったけど、その手にはしっかりと仕事用のファイル。
 まったくナルらしい。
 ったく、いつ休んでるんだろうね。
 根を詰めてるのを見ると、思わず心配しちゃうんだけど、本人気にしないんだもんなぁ。
 ほんと、仕事バカなんだから。
 なんだかほとんど母親のよーな心境になりながら、あたしは紅茶をカップに注ぐ。
 こぽこぽ、と気持ちのいい音がして、香りがあたりにふわりと広がる。
「はい、ナル」
 ナルの前にカップを置く。
 ナルはそれをちらりと見て、またファイルに目を落とした。
 …本当に礼のひとつもないのな。
 いいけどさ、ナルにお礼なんて言われたらかえって気色悪いもん。
 だからこんなふうにカップを置いたら、あたしの仕事はそれで終わり。
 あたしは再びデスクを磨きに行く……。
 のが普段なんだけど。
 今日はめずらしい、ナルが声をかけてきた。
「麻衣も座れば?」
 ……へぇ?
 な、何?
 台風、来てたっけ!?
 それとも突発的な天災が!?
 思わずあたしはそんなことを思っちゃうよ。
 だって、ナルがこんなふうに声をかけてくれるなんて、天変地異の前触れとしか思えない。
「はぁ…それじゃ失礼します」
 あたしはなんだか変に緊張して、そんな素っ頓狂な返事をしてナルの前に座った。
 対してナルは、何も言わない。





 しぃん、としてる。
 ただ窓を雨粒が叩いて、ぱたぱたと小さな音を立てていた。
 たぶんそれは、気にしなければ耳に届かないほど小さな音なんだろう。
 だけど身じろぎすらしない部屋の中では、気にしようとしなくても聞こえてくる。
 ときどきナルがファイルをめくる音がして、それが雨音と重なって不思議な和音を作る。
 不思議なほど静かだと思う。
 音は全然ないわけじゃないのに、無音の時よりもずっと静か。
 だからあたしは、音がないことが静かっていうわけじゃないんだな、なんてなんとなく思った。
 窓の外は水滴にぼやかされて、この世の景色じゃないみたい。


「……全然雨、やまないね」
 あたしはぽつんと言う。
 本当はこの静かさを壊したくなかったんだけど、もしかしたら時間が流れてないんじゃないかってちょっと心配になったから。
 だから自分の声が耳に聞こえて、ちゃんと時間が流れてるんだってことを確認して少し安心する。
 なんでそんなこと、思ったのかはわかんないけど。
 そう、別に、それだけだったから。
 ナルの返事を期待したわけじゃない。
 なのに。
「あぁ。そうだな」
 短くて素っ気ない言葉。
 だけど、ナルが答えてくれた言葉。
 あたしはほんの少しびっくりして、それから嬉しくなった。
 本当に些細なこと、なんだけど。
 些細なことでもほうっとあったかいものをあたしは感じてた。
 それであたしは、言葉をつなげる。
「ナルさっきからずっと書類読んでるけど。飽きない?」
「飽きないな」
「ふぅん。あたしだったら飽きちゃうけど」
「麻衣とは頭の出来が違う」
「…さいで」
 そりゃあね、一緒だとは思わないよ。
 ナルに比べたらあたしなんてホントにお馬鹿だもんね。
 けど、今日のナルの声には刺がない。
「でも、目だって疲れるでしょ?」
「僕だって人間だからな」
「ならちょっと休んだっていいのに。よっぽど仕事が好きなんだね」
 あたしがそう言うと、ナルはふと目をあげる。
 その目が少し優しくて、あたしはもう一度びっくりした。


「麻衣は、勉強が好きか?」
 へ?
 何をいきなり言い出すんだ。
「…うーん…そんなに…好きじゃない、かなぁ…」
「じゃあ中学生の頃はどうだった?」
「大っ嫌い、ってほどじゃなかったけど。今より嫌いだったかも」
「それと似たようなものだな」
 ……ん?
 似たようなもの…って。
 ええっと。
「すいません…それってどういうことでしょーか」
 ナルが、口元をわずかにほころばせる。
 …うわあ。
 世にもめずらしいものを見てしまったかも。
「麻衣が勉強を好きじゃないのは、それを強制されているからだな」
「強制?」
「そう。やらなければならない、とな。厳しい言葉で言うなら“押しつけ”だ。例えば麻衣は国語が好きで、数学が嫌いだったとする。だから国語だけをやっていたいんだが、学校ではそうもいかない。数学も必ずやらなければならないんだ」
 そうだね。
 将来役に立つ、って言われるし、それはもちろんわかるんだけど。
 頭ごなしにいわれるもんね。
「数学は嫌い、やりたくない。だが教師たちはどうしても数学をやらせる。すると勉強というものに対しての耐性が生まれてしまう。反抗、といってもいいかな。そうすると、数学だけに限らず、国語にも理科にも同じ耐性ができてしまう。従って、“勉強は嫌い”」
「はにゃ?」
「麻衣のためにもう少し簡単に言うと、“勉強しろ”といわれてする勉強より、進んで勉強をする方が楽しい」
「…ああ、そっか」
 先生に調べろ、っていわれると調べるの億劫だけど、自分から面白そうって調べるとさくさく進んだりするしね。
 そういうことなんだなぁ。


「あ、じゃああたしが中学の時の方が勉強が嫌いだったのって?」
「麻衣はどうだと思う?」
「…ええと。あたしが大人になったから…?」
「それもあるかもしれないな。…強制力が小さくなったからだ」
 なんか引っかかる言い方だな。
「中学というのは必ず行かなければならない。対して、高校は自分の意志で行くものだ。それに麻衣には、高校に行くことに対する責任感があるだろう」
 なるほど…そっか。
 あたし、自分で決めて高校に行ってる。
 誰も決めてくれる人なんていなかった、おとーさんもおかーさんももういなかったし。
「自分がやりたいことなら、多少の苦労なんてものともしないだろう」
「だね。…あ、じゃあナルが仕事好きなのもそれと一緒?」
「その一つ上」
「上?」
「さっきの例えの続き。麻衣は数学が嫌いだ。…そこに、いきなり国語だけをやってもいいといわれたら?」
「…そりゃあ嬉しくて…寝ても覚めてもやっちゃうかもね」
 ナルが目元を和ませる。
 …うわああああ。
「僕はもともとこういうことが好きだったから。だから研究できるのが嬉しくて仕方ない。それは仮に目が疲れたとしても、止められないくらいなんだ。僕がこんなに熱中してるのはおかしいと思うか?」
「う、ううん! 思わないけど」
 ちょっと意外かな。
 ナルって、あたしたちが大騒ぎするものにも無関心だったりするじゃない。
 だから、関心持ったりすることって仕事くらいかぁ、って思ってたんだけど。
 そうなんだよね、ナルって仕事が趣味と同じなんだ。
 あぁ、でも、好きなことが仕事なのって…いいよね。


 それでも。
 ナルは好きだからやってる、っていうけど。
 本当はそれだけじゃないんじゃないのかな、ってあたし、なんとなく思った。
 だってナルは、みんなとちょっと違う。
 きっとナルにはそういう言い方は失礼だと思うけど、でもそれってやっぱりそうなんだと思う。
 人にはないような力があって。
 人には知り得ないものが見えて。
 リンさんが、ナルはポルターガイストを起こす子供だったって言ってた。
 だとすれば、ナルは小さい頃からその力と向き合って生きてきたんだよね?
 なら、ナルはその力があったから、研究をしようって思い立ったんじゃないの?
「…ねぇ、ナル?」
「なんだ?」
「もし…もしもだよ? もし、ナルにPKとかの力がなかったら…ナルはやっぱりゴーストハンターになってた?」
 ナルはわずかに首を傾げる。
 うん、わかってる。
 あたしの問いかけは、とっても不毛だ。
 もしも、だなんて考えても意味がないことなんてわかってる。
 でも……。
 ナルは、そんなあたしを見て、仕方なさそうに溜め息をついた。
「……馬鹿」
「わかってらい」
「今の僕があるのは、力のせいでもなんでもない。何がなくても、今の僕は変わらない。…回答になってるか?」
「うん……」
 あたし、次に何を言ったらいいのか完全にわかんなくなった。
 目を落とすと、ナルの置いた白いカップ。
 得に意味もなくそれを見ていたあたしの頭の上に、いきなりぽんと重みがかかる。
 ……え?
「麻衣、お茶のおかわりをもらえるか?」
「…あ…うん」
 あたしは慌てて立ち上がった。
 どうしちゃったんだろう、ナル。
 熱でもあるんじゃないのかな。
 だって、こんな優しいナルなんて…めずらしい、どころじゃないかも。
 だけど、でも、……嬉しいかも。


 ナルが窓の外に目をやった。
 つられてあたしもそっちを見る。
「たまには雨も……いいな」
 たぶんあたしに向けられたんじゃない言葉。
 それでも、それはあたしに向けられた言葉みたいに思える。
「…だね」
 頷くかわりに、あたしはそう短く答えた。
 雨の音がぱたぱた響く。
 静けさが綺麗だ。
 静けさって、こんなに穏やかなものだったんだ。
 灰色の空…いつもなら沈んだ気持ちで見ているのに。
 優しい灰色。
 雨の音が聞こえる。
 ……ごめんね、真砂子。





「もう、もう、もう、すっごいかっこよかったのーーーーーーーーー!!!!」
 翌日。
 遅番だったタカとお昼ごはんを食べにあたしたちは外へ繰り出してた。
 たまには外食も悪くないもんね。
 とはいえ、やっぱりタカは大暴走。
 ファーストフードの紙コップを握りしめて絶叫するタカは、周りの皆さんから珍獣でも見るような視線を頂いた。
「タカってば、落ち着いて」
「だって、法生ってば、こっちにウィンクしてくれたんだよー、かっこいいっ!!!」
 あたしの頭の中では、袈裟を着て琵琶をじゃんじゃか掻き鳴らすぼーさんが、キザにウィンクなぞをしていた。
 …ごめんタカ、想像が追いつかない。
 ギャグにしかなんないよ。
「でもね、あんまり昨日はしゃべれなかったんだ。かっこよかったからいいんだけどさぁ」
 ……あ。
 それで思い出したよ。
 なんだっけ、“雨の日は恋が成就する”。
 雨の日は出かけられないから、いっぱいしゃべれるってあれだよね。
 ……ん?
 待てよ?
「…あってるかもね」
「え? 何が?」
「ほら、昨日タカが言ってた…お互いのことが云々って」
 めずらしくたくさん話すナル。
 優しい顔。
「…ふーん」
 ……はっ。
 今あたしは何をっっ!!
「あれから何かあったと見た! さーあ、何があったのかなー? おタカさんに話してごらんっ」
「べ、別に何もないってば!!」
「何もないなら話せるでしょーが!!」
「何もないから話せないってー!!」
 そうしてあたしたちはやっぱり大騒ぎになっちゃうんだよね。
 ああ、お店にいた人たち、ごめんなさい……。





End




<After Words>
つ、つい出来心で書いてしまいました。時の庭園完成記念ゴーストハント。
しかもジーンがいることをわかっていながらナルと麻衣。
だって、ジーンと麻衣も好きなんだけど、ナルと麻衣のほうが好きなんだもの…。
今までは書かなかった、というより書けなかったのですよ。
いや、今でもちゃんと書けるとは思ってません。
どころかしっかり書けてない、って思ってます。
だって…主上(小野不由美先生のことですよ)のパロディなんて!!!
主上はお話も文章もとんでもなく素敵なので、わたし程度の文章力では
とてもではありませんが、パロディなんぞできるはずがないのです。
主上はものすごい方ですもの。
だって、ジャンルごとに文章のテイストが全然違うのですよ〜!
でも主上のカラーは決して失ってない。わたしがもっとも尊敬する方であります。
人生の目標は主上かしら。
たぶん500年かけても無理だと思いますけどね。



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