ON THAT OCCATION
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 ルックが目を覚ましたのはそれから少し経ってからのことだ。
 風が横穴をかすめて、ひゅうと鳴ったその音に気がついて、ルックは目を開けた。
 起きあがろうとして左腕がずきりと痛み、はっと我に返った。
「レイっ…シーナ…っ!!」
 意識は鈍かったものの、ルックには途中気がついた時の記憶がある。
 濁流に押し流されながらレイの体を夢中でたぐり寄せたことも、無理に起きあがろうとしてシーナに抱きすくめられたことも。
 ただ気を失った自覚はなかったから、それで焦りを覚えたのだ。
 痛む左腕を押さえつけながら起きあがると、隣にレイが横たわっている。
 思わず胸を確認して、そこが上下しているのを見てほっとするが、そのレイの息が荒いのにぎくりとした。
 そっと額に手を乗せると、ほんのり熱い。
(…まずい、熱…?)
 怪我から来る熱かもしれない。
 額に触れる自分自身の手も熱いのに気がついてはいたが、それも一瞬で吹き飛んだ。
 何か冷やすもの、と思って周りを見渡したルックは、もう一度ぎくりと体をこわばらせた。
「……シーナ……?」
 ここにもうひとり、いなければならないその人の姿。
 それが見つからないことが、とてつもない不安になってルックにのしかかる。
 立ち上がろうとすると、また左腕が激しく痛んだ。
 この痛みが、もどかしい。
 その時のルックには、自分が魔法を使えることなどすっかり頭から抜けていた。
「シーナ…っ」
 ただ、名を呼ぶことだけで。
 するとそこに、
「はい?」
 のんきな返事。
 ばっとルックが顔を上げると、そこには枯れた枝の束を抱えたシーナの姿。
 声と同じようにシーナはのんきに笑う。
「あ、ルック。気がついた? よかったよかった」
 ほんの短い間でも不安になってしまったルックは思わずカッとなった。
「あんたね…っ、驚かすなよ、僕は、てっきりあんたが…っ!!」
「うん、ごめん。少しでもあったかくしようと思って、木を拾ってきたんだ。けど、できるだけここから離れないようにはしてたんだぜー?」
 そのままの軽い調子で、けれど足取りだけはゆっくりとシーナが横穴に入ってくる。
 そうしてふたりからは少し離れた、けれど暖をとれるだろうところに枝束を置いた。
 すると。
 ぐらり、と。
 その体が揺れた。
「!?」
 反射的にルックは、右手を岩でぐいと押す、その反動で崩れそうになるシーナを支える。
 だがその触れた肩の、熱さ。
「え…っ、あんた、もしかして、熱…っ」
「あー、マジ? そんな気は何となくしてたけど。…それより、早く火を起こさないと」
「そんなの僕がやる! あんたは寝てなよ!!」
 強引にシーナを壁際に押しやった。
 続けて、口の中で呪文をつぶやく。
 ルックの指先がちらりと一瞬輝き、何もない空間からよじれるように炎が表れた。
 それはふわりと指先から枝に移り、すぐに燃え始める。
 ルックはそれを見届け、シーナがうずくまるようにして座り込んだ壁際に歩み寄った。


 シーナが目を上げて笑う。
 しかし、その息は荒い。
 すっとその前に膝をついたルックは、そっとシーナの額に触れた。
「…熱い」
「あはは、ルックの手も熱いよ」
「僕のが全然低いよ。それより、ちょっと痛いだろうけど、ガマンしなよ」
 言って、肩に、腕に慎重に手をやった。
「……ってェ…」
 それでも笑おうとするシーナに、ルックは軽くイラつきを覚える。
 なぜ…どうして、こんな。
「指に、腕に…鎖骨もいってるよ。傷も酷い…なんだよ、この足…っ、酷…っ」
 それ以上言葉にならなくて、唇を噛んだ。
 足の傷からは、まだ止まらない鮮やかな血。
 戦争の中で、傷ついていく人はたくさん見た。
 あの時もイヤな気がしたけれど、それとは何かが違う。
「…………。今、治すから。じっとしてなよ」
「待った」
 詠唱に入ろうとしたルックを、シーナが押しとどめる。
 怪訝に思ってルックが顔を上げると、いつもらしくないシーナのまじめな顔。
「まず、ルックの怪我治して。ルック、腕、やられちゃってるでしょ。……それから、レイを」
「な……っ。だって、あんたの怪我、一番酷いじゃないか! あんた…これで、この傷で、よく…っ」
 白い手を、よりいっそう白くなるほど強く握られたルックの手。
 シーナはふと笑って、その手に自らの手を重ねた。
「どうしたの。ルックらしくないぜ? 物事には優先順位ってモンがあるんだからさ。ルックならわかるよね?」
「……わかる。けど…っ」
 そう、頭では理解している。
 まずは唯一回復呪文が使える者を。
 そして目を覚まさない者を。
 意識がある者は、最後だ。
 戦闘時とは、少しばかり優先順位が違うのだ。
 回復できる者がいなくなってしまえば、魔力が残っていても意味はない。
 目を覚まさないというのは、頭を打っている可能性もあるし、…それに、彼は軍主だ。
 理解していても、納得には直結しない。
 ルックはぎゅっと唇を結んだ。


 横穴の中は、穏やかな光であふれていた。
 その色は淡いグリーン。
 ちらちらと光りさざめいて、岩壁に水面のような模様を作る。
 光の中心では、唇を小刻みに動かして何かを一心に唱えるルックの姿。
 指がシーナの腕にそっとかかり、そこがもっとも強い光を放っていた。
 ルックの額がうっすらと汗を刷いている。
 被術者であるシーナは、その様子を心配げに眺める。
 と、その光がふぅっと消えた。
「……こんな、ものかな…」
 ようやく息に乗せたような声。
「ごめんね、ルック。大丈夫?」
「…うん。僕の魔力をナメてるわけ? こんなの何ともないよ」
 言ったルックも、言われたシーナも、そのセリフが強がりなことに気付いていた。
 ルックも酷いのは左腕だけだがそれ以外の場所もダメージを受けていたし、レイは足を完全にやられていたし。
 もちろん、それだけじゃない。
 ふたり分の治癒魔法は、それだけに結構魔力をくってしまったのだ。
 だからシーナの傷を完治させる頃には、ほとんど魔力を使い果たしていた。
 呪文を使った場合でも、じっくり治癒をした方が治りはいい。
 そのために念を入れて呪文を唱えたせいで、ルックの体力は限界に達していた。
 それでなくとも、急流の冷たい水はルックから体力を奪っていたし、魔法の持続は瞬間的な呪文に比べて力の消耗が激しいのだ。
「けど、熱までは取り除けなかったから、今晩一晩は安静にしとくんだね」
「ルック、優しーねv」
「うるさいな。目の前でそんな血だらだら流されちゃ迷惑だってだけだよ」
「それでも嬉しいv」
 無駄口が、さっきより調子が軽い。
 そこでようやくルックは心を落ち着けることができた。


 今度は、すっくと立ち上がってレイのそばにより、その額に手を当ててみる。
「レイ、大丈夫そう?」
 壁際のシーナが問いかけた。
 ルックは首を縦に振ると、
「大丈夫だよ。熱も下がったし。じきに目は覚ますと思う」
「そっか。…うん、よかった」
 シーナの、本当に安心したような声。
 そのままレイのそばに座ったルックがちらりと窺うと、念のために薬を塗ったシーナの足の白い包帯が目に入った。
 両方ともレイの荷物袋の中に入っていたものだ。
 防水加工の箱にしっかり入れられていたので、ギリギリ水難を免れたらしい。
 その白さが、痛々しい。
「…あとは、僕が起きてるよ。シーナは少し寝ててよね」
「えっ。でも」
「僕はもう平気。けどあんたは一度も休んでないんだからさ」
「そうは言うケドさぁ」
「…あんたが明日までそんなふらふらじゃ、僕たちが迷惑するって言ってんだよ」
 ルックが言うと、シーナはぽかんとした顔をする。
 そして、すぐに笑った。
「うん、わかった。ちょっと休むよ。…もし、モンスターとか来ちゃったら、蹴飛ばして起こしていいからね」
「そのつもり、だよ。…ほら、さっさと寝なよ」
「うんv」





 シーナはその会話のあと、すっと引きずり込まれるように眠りに落ちていった。
 当然だ、と思う。
 シーナ本人には言わなかったが、その全身の怪我の程度は、「動いていられる方が奇跡」のようなものだったのだ。
 普通なら倒れて当然だし、下手をしたら……。
 そう思ってぞっとした。
 レイだって、肋骨が折れていた。
 うまいこと臓器を避けていたようだが、あれが肺を傷つけていたりなどしたら。
 本当に、命の危機にさらされていたことに、否応なく気付いてしまう。
 ルックにしても、シーナがいなければ…。
 ルックは、眠るシーナの顔をじっと見つめた。
 そうして小さく、
「……ありがとう」
 それだけをようやく口にした。


 ぱちぱちと、燃える火が音を立てて。
 なにか、清浄な空気があたりに満ちる。
 そしてルックは、その空気の中でぼんやりと思っていた。
 自分でも気がつかないうちに、崖に飛び込んでいた自分。
 もしかして、
 もしかすると、
 もうこの中の…誰が欠けても、嫌…かもしれない。
 その時、レイの手がぴくりと動くのが目の端に見えた。





Continued...




<After Words>
うげ。ここまで長くなるつもりじゃ。
というわけでお待たせをいたしました〜。
サブタイトルは「その時何が起きたのか」って感じですか。
トライアングル5と6の間に当たるお話ですね。
レイが気絶している間のお話…てまるでシナルクやん。
レイ様、ちと立場ございません(笑)。
そうして、この手の話はやはり書いていて楽しいのですが。
ダメですか? せっかくRPGなんだし、戦闘だったりピンチだったり。
書く方は楽しいんですよ〜。



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