− 3 −

 ノックをするのも忘れて、シーナは扉を開いた。
 鍵はかかっていなかった。
 息せき切って駆け込むと、窓辺に細い肩。
 俯くように、窓の外の湖を眺めている。
 それが湖を眺めているのではなく、自分自身を責めているのだとわかっていたが。
「……ルック」
 ごめん、シーナがこぼす。
 それでなくとも苦しいはずなのに、それをさらに苦しめたのはシーナだ。
 そんな思い、させたくないと、ずっと思っていた…思っているのに。
 ルックは振り返らない。
 けれどその背に荒れた様子はなく、いつもと同じような落ち着いた雰囲気だ。
 そうしてこちらを見ないまま、ルックは小さく息をついた。
「………いい。あんたにぶつけたって、しょうがないだろ。…僕こそ、あんたにあんな言い方するつもりはなかった」
「けど、オレは、ルックの気持ちも考えないで」
「人の心は、他の人にはわからない。そういうもんだよ。僕は……僕自身がいらだたしいだけだ。大嫌い」
 自分自身に向けた言葉。
 それは今まで聞いたルックの言葉のどれよりも、暗くて重い。
 それに答える言葉を探してシーナが迷ううちに、ルックは言葉を続ける。
「…そうなんだ。僕はあの瞬間、あの部屋に残ろうとした。全員部屋から叩き出して、レバーを引きたいと思った。誤解しないで欲しいのは、それはレイのためじゃない。……僕のためだ」
「ルック」
「それでも…そうしたら、レイはどんな顔をするだろうか。そして、僕がレイを失うことになるんじゃないか。そう考えたら、体が動かなかった。それでもいいと思ってたはずなのに、とっさに動けなくなったんだ」
「たぶんだけど、それって、やっぱり……人間として、それは仕方がないんじゃないか? 生き物は、どうしたって自分の命を惜しむだろ?」
「人間として、か。でもグレミオは…それを当然の如く、迷いもなく行動に移したんだ」
 言うと、ルックは弱々しく首を振る。
「でも、それだけじゃないんだ。ねぇ、シーナ。僕は……瞬間移動を使えるんだよ……」
 はっとシーナは息を呑んだ。
 あの場所で。
 もっと早く。
 その胞子が広まるよりも早く。
 瞬間移動ができていれば。
 そうしたら。
「僕……中途半端なんだ。いつだってこうだよ。前に川に落ちた時だって、レイとシーナをつれて、瞬間移動すればよかったんだ。けど、いつもとっさに出てこない。僕は、自分が嫌いだ。大嫌いだ…!!」
 ルックの肩が、小さく震えていた。
 後悔とやるせなさを精一杯の力で耐えているように見えた。
 シーナにはまだ言葉が探せない。
 こんなときに気の利いたセリフも言えないなんて。
「……シーナ」
「なに…?」
「行ってやれよ、レイのところ。僕はいいから」
「でも」
「はっきり言おうか? ほっといてよ。ひとりに、して」
 今のルックをひとりきりにしてはいけない…そう思う。
 けれど、それはレイにも同じことがいえるのではないか。
「ルックは?」
「…行けない。今レイの顔を見て、僕は何を言ったらいいかわからない」
 振り返る気もないルック。
 シーナはもう何も言えず、扉を開けた。
 外に出て、それを閉じるとき…その瞬間、ルックの姿がちらりと見えた。
 けれど扉は、すぐに隙間を消した。


 最上階の、奥の部屋。
 きちりと閉められた扉。
 この中にレイがいるのだとはわかっていた。
 けれど……たしかにそうだ。
 ────何を言ったらいいかわからない。
 ────人の心は、他の人にはわからない。
 何かを失ったことのない自分。
 その自分に、何が言えるのだろう。
 扉を叩きかけて、シーナは腕をおろした。





 見えない暗い縁に立ったふたり。
 どちらかに手を伸ばせば、どちらかを失ってしまいそうで。
 そこで初めて、思う。
 ひとりで、ふたりのひとを思う、その意味を。


 手をかければ開くはずの扉が、
 こんなにも遠い。





Continued...




<After Words>
この話を書くのに当たって、わたしは特に何も考えてませんでした。
ほぼ浮かぶがままに指を動かしていました。
だから、ルックがあんなに長ゼリフを吐くとは…己の気持ちを吐露するとは、
正直自分でも想像していませんでした。少し驚いてます。
不思議と客観的な気持ちなのはどうしてなんでしょう…。
ただわたしもふたり同様、どうしていいか、何を言ったらいいかわかりません。
……ホントにどうしよう。
3人がどう判断を下してどうなっていくのか…わたしにもわからなくなってきました。
もしかしたら次回作を一番楽しみにしてるのはわたしかもしれない。
でも乗り越えろっていうのは、酷だ……うーん。
こんな雰囲気で終わってしまってアレなのですが、次回へ続きます。



戻るおはなしのページに戻る