February 18th, 2003
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レイは、棍を2、3度振った。
手に残る鈍くしびれるような感覚。
まばたきもせずに、レイはじっと足元の姿を見ていた。
「……レイ?」
剣を鞘に収めながら、シーナが近寄る。
「今の…きつい戦闘だったな。怪我とかないか?」
「あぁ、うん。僕は平気」
振り向きながら笑うその顔は、「平気」というわりには暗い影がある。
その正体を知っているから、だからシーナはわざと明るく笑ってみせる。
「そっか、じゃあとっとと用事済ませて帰ろーぜ。ルックも疲れてんのか機嫌悪くてさぁ」
「えー? シーナがまた何かしたんじゃないの?」
「いやオレはいつもどおりだぜv」
「それが原因でしょ」
少しずつの言葉だけれど、レイの口調がわずかに柔らかくなっていく。
それをシーナは内心ほっとしながら見ていた。
……そこへ、高らかな蹄の音。
はっとして振り返ると、何者かがものすごい勢いで馬を走らせてくる。
シーナがとっさにレイをかばうように前に出た。
けれどその何者かは、その手前で馬を下りると、レイの足元に駆け寄った。
いや、正確に言えば……レイの足元に横たわる、姿に。
少女のようだった。
少女は横たわる姿に甲高い悲鳴をあげ、すがりつく。
薄い青のマントに、紅いまだら模様が広がっていくのも厭わずに。
そうして、少女は顔をあげた。
涙でぐちゃぐちゃになったその顔で、まっすぐにレイを見ていた。
「ひとごろし!!!!」
レイは、すっと視線を下げた。
騒ぎを聞きつけたフリックたちが慌てて駆けつけ、今にもレイに飛び掛らんとする少女を押さえつける。
小さく…レイは頭を下げ、くるりと少女に背を向けた。
そうしてそのまま歩き出す、すれ違いざまにシーナは呟くような声を聞いた。
「……そうだね。否定はしない」
最上階の渡り廊下にふたりの姿を見つけた。
シーナは「お〜い」と明るい声をあげて手を振った。
気付いたふたりは振り向いて、呆れた顔をする。
「そんな大声出さなくたって聞こえるよ。一体何千歩離れてるつもり?」
「あはは。まあ、心の距離は常に密着なんだけどさv」
「何か言った? 遠すぎて聞こえない」
冗談と冗談のような応酬。
でもオレは冗談じゃないんだけどなぁ、という言葉はこつんと頭を叩かれて否定された。
「それにしても、大変だよなあ、会議」
シーナが大仰に溜め息をつく。
どうやら軍議場で行われていた会議はついさっき終わったようだ。
今階段を昇ってくるときに降りてくるレパントと鉢合わせしそうになって慌てて隠れた。
また何だかんだ小言を食らいそうな気配だったし。
そんなシーナをレイはちらりと横目で見た。
「あのね、シーナ? 別にシーナが出ちゃいけないってことはないんだよ? 第一さ、ときどき僕たちにくっついて会議にだって出るじゃないか」
「うー……たまには…な。そりゃ、オレだってレイたちと一緒にいたいけど……」
「僕はあんたが出ないほうがいいけど?」
「ルック〜」
「あんたがいると調子狂うんだよ」
肩をすくめながら、ルック。
せっかくだからと抱きつこうとしたが、またもや頭を叩かれた。
しかもタイミングがいいのか悪いのか、軍議場の方からクレオが歩いてくる。
「ああ、レイ様」
何? とレイが首を傾げる。
「物資が届いたそうなのですが。どこだかの名士からの寄付だそうで、使者の方が…」
「僕に会いたいって? わかった、今いく」
言うと、レイは上着の襟を正した。
とたんに顔つきが「リーダー」になる。
レイは歩きかけて振り返り、そのときだけいつもの笑顔で。
「ごめん、ふたりとも。ちょっと行ってくるね」
その背中。
ルックはただ黙って、シーナは小さく手を振って見送った。
レイの姿が見えなくなっても、シーナはずっとその角を見つめ続ける。
時々思い出したように目線を下げては、また角に目をやる。
ルックはそれを見て、深い溜め息をついた。
「………昨日のこと…まだ気にしてるわけ?」
ぽつりとルックがこぼす。
シーナがはっとしてルックを見た。
「え…っ。いや…オレは」
慌てて言い繕おうとして、けれど相手を見てやめた。
相手はルックだ。
ルックに今更体裁を取り繕ったところで、見抜かれるのが落ちだろう。
「……そうだなぁー……。やっぱ、気になるなぁ……」
長く息を吐きながらシーナは呟く。
昨日…仲間になってくれそうな人の情報を得て、最小限の人数でその人がいるという町に向かった。
その行きの道でのことだ。
思いもしない場所で帝国兵と鉢合わせた。
いや、思いもしない、もなにも、どこに敵兵が潜んでいるかはわからないのだけれど。
当然のように戦闘になった。
しかも相手の数はこちらの数より多く、また精鋭部隊だったらしく腕も立った。
お互いが剣を持ち弓を持つ以上は、死をかけての戦いにならざるをえない。
だから武器を振るって……「勝った」。
けれど、そこに浴びせられた言葉は。
────人殺し!!!!
シーナは少女の必死な形相を思い出して頭を振った。
「オレ…聞いたんだけどさ。あの子、あの兵士の恋人だったんだって。あの子が止めるのも聞かずに志願して兵になって……ようやく特別部隊に選ばれたその矢先だったって。それでその部隊が偶然彼女の村に駐留するって手紙が来て、それで迎えに出てみたら……」
「やめなよ」
小さな声でルックが押しとどめる。
シーナは続きを言いかけて、言葉を飲み込んだ。
「…あんたが言いたいことはわかる。わかるけど。でも、それを言って今更どうなるんだよ」
「あぁ…」
「それに。あんただってわかってるんだろ。こういうものなんだって」
「わかるよ」
戦争、というもの。
意味の上では「誰かの正義」と「誰かの正義」が戦うこと。
けれど本当は、その影に多くの命の犠牲がある。
もちろんそれは理解していたつもりだ。
そしてその犠牲が、ただの「犠牲」だけでなく、その者を愛する者にとってはどれだけの重さを持つか。
グレミオを失い、父を失ったレイの姿に、その重さを見ていたはずなのに。
しばらく黙ったあとで、シーナは壁に寄りかかった。
「…でもさ。ショックだったんだ。オレは…オレたちはレイのことが好きで、一緒にいる。この軍にいる連中はたとえば最初は反発しててもさ、結構レイに惹かれてっちゃうんだ。だから……レイって、誰からも愛されてるのかな、って…なんとなくそう思ってた」
ルックは目を伏せ、同じように壁に寄りかかる。
だからシーナは仰のいて天井を見つめ、その先を言った。
「だって、それ……レイを否定する言葉じゃん。レイを、憎んでるってことじゃんか。レイを…憎むやつがいるんだって……それが……」
「それが、ショックだったんだろ。…言われなくてもそうだろうと思ってたよ」
シーナが驚いたようにルックを見る。
が、ルックならばそうだろう。
もう一度シーナは天井を見る。
「そっか……」
「うん。あんたは時々、考えすぎるからね。そりゃあシーナから見れば、レイを憎むなんて信じられないだろうね。それは、僕から見ても、同じだ」
「…ああ」
窓から風が入ってくる。
湖面を渡って、冷えた風。
湖の真ん中にそびえるこの城は、こんなに寒い。
ほんの少し間を置いたルックが静かな声で続ける。
「でも、事実はどう? レイは実際に人を手にかけてる。僕たちもそうだ。それに戦に出て指示を出す、ってことは自分が討って出なくても間接的に人を殺してることになるだろ? 何、レイが『否定できない』って言ったって? そうだろうね、否定しようとしてもできるはずもない」
シーナは唇を噛む。
そうだ。
事実だ。
それを変えられるなら、誰も悲しんだりはしない。
過ぎたものを取り戻せるなら、誰も苦しんだりはしないのだ。
「…レイは…それを、『戦争だからしょうがない』って諦められないんだ。だから自分に罪を見る。よけいな負担を自分にかけてる。僕はそれをバカだ、って言ってやりたいけど、それもレイはわかってるんだよ」
少しだけ迷うようなルックの口調。
ルックも何かを把握できていないのか、それきりで口を閉じた。