BLACK
<前編>
− 3 −

 数日後。
 天気の良い中、覇気なく歩く背中があった。
「さーあっっっ!!! さっさと終わらしてさっさと帰るぞー」
「もう帰りの話かっ」
 背伸びをしながら明るく言ったセリフは、さらりとフリックにつっこまれた。
 カラ元気でも元気は元気、と自分に言い聞かせてみたりして。


「あの……大丈夫…ですか」
 どこか遠慮がちな声が背後から聞こえた。
 振り向くと鮮やかな髪の色をしたエルフがいる。
 たしか名前はキルキス。
 何度か話はしているけれど、レイと仲がいいみたいだというくらいしか実は面識がない。
 むしろ、男の名前を覚えるのに興味はないし。
 シルビナの恋人だっけと、そちらの方からはなんとか記憶がある程度だ。
 もしかして一緒にパーティを組んだことがあるような気もするが……。
 どうやら心の浮き沈みに敏感なタイプではあるらしい。
 少なくともフリックよりは。
「えー? 別にオレなんともねぇけどな。……たださ。なんだって今回女の子がいないんだよっ」
「は?」
「今回6人も来てんだぜ? だったら女の子ひとりふたり入れてくれたっていいのにさー。なっ、大将」
 いいながら青いマントの肩を後ろからぽんと叩く。
 呆れたような視線が返る。
「おまえなぁ……」
「オレ男ばっかじゃやる気出ないんですよねー」
「ったく。我慢しろ、そんなに長くかかりゃしないだろうから。おまえの働き次第だろ」
「ちぇーっ」
 殊更に明るく振る舞ってはみるけれど。
 いや、たしかにそれも本音だったりはする。
 フリックを将に立ててハンフリーとシーナが補佐に付き、さらに押さえとしてキルキスとフッチが控える。
 それと「あっちの地形が最近変わったとかで」など言ってついてきたテンプルトン。
 合計6名、見事に女っ気がない。
 本当にやる気が出ない。
 つまらない。
「…あー。早く帰りてぇな……」
「だからっ」
 ほんの一瞬、まばたきの間に瞼に映る姿。
 ……ふたりの姿。
 いつの間にこんなふうに強く思うようになったのか、なんて、愚問だ。
 気が付いたらここまで来ていた。
 わずかに離れることすら苦しいくらいに。
 あぁ、オレって立派に青春してんじゃん。
 自分を茶化して吐いた息は、どこか溜め息にも似ていた。





 町に着いて宿を取ると、食事もそこそこにシーナは部屋に戻った。
 財政ギリギリの派兵の副将に個室が与えられるわけは当然なく、年の若いふたりと同室だ。
 それに対して文句はない。
 ないわけではないが、言ったところでどうなるものでもない。
 別に同室がいやなわけではないのだけれど。
「…なんだろなー……こりゃ」
 暗い部屋の窓の下に座り込んで、ぽつりと呟く。
 フッチとテンプルトンはまだ食堂にいるらしく、部屋にはシーナひとり。
 面倒だからと灯りをつけないままでいると、余計にそれを実感する。
 たしか、あちこちうろうろしていたときはひとりだったはずなのに。
 だからひとりでいることは慣れていたはずなのに。
 時々それがつまらなくてどうしようもなくなる時には、好みの女性に声をかけた。
 たとえ落ちてくれなくても、その場しのぎにはなるし。
 他愛のない会話や使い古された口説き文句。
 それを口にしながら相手の反応を楽しんで。
「オレ…楽しかったはずなんだよな……」
 楽しくなかったらとっとと家に帰っていた。
 あれをしろこれをしろで息は切れたが、耐えきれないほどの家じゃなかった。
 それでも戻らずナンパにいそしんでいたのは、そうやっていることが楽しくて仕方なかったからに他ならない。
 …まぁ、勉強の為に旅をしろ、と言ったのはレパントで、それに逆らえなかったというのもたしかに理由のひとつだが。
 だからといって本当にいやなら、あれこれ理屈をこねて戻ることは不可能ではなかったはず。
「……………」
 なんだろう。
 自分の気持ちをもてあましてる、そんな感じ。
 落ち着かない。
 物足りない。
 がしがしと頭を掻いて、シーナは重たげに腰を上げた。
 気分転換が必要なのかもしれない。
 きっとフリックとハンフリーは酒場にいるだろうから、少し付き合わせてもらうか、と軽く考えて。





「…へーぇ。これ、お姉さんが作ったんだ」
「そうよー。見えないでしょ?」
「そうだね、見えない」
「あらやだ失礼ね。あたしこういうコトする風には見えないって言うの」
「あ、違うってば。手作りにしてはすごく上手だからさ。お姉さんの白くて細い指に似合ってる」
「ふふ、ありがと」
「銀細工なんだね。すごく綺麗だ」
「指輪が?」
「ううん、お姉さんがさ」
「本当に口の上手い子ね…。でも駄目よ。あたし、旦那がいるんだから。今日だって旦那と待ち合わせなのよ」
「だろうなあ。だって、お姉さんみたいな美人、男がほっとくわけがないもん。旦那さん、絶対鼻高いだろうな。羨ましいよ」
「ふふふふ。…ほら、噂をすれば。じゃあね、ぼうや。楽しかったわ」
「オレもね。今度は遊んでね」


 柔らかく振られる手に笑顔で答える。
 やけに背のあいた赤いイブニングドレスが視界の端から消えるまで、なんとなく手を振る。
 彼女が腕を絡めた男性は、さほど目立つタイプでもなく、ルックスも十人並みでどこにでもいそうなタイプだ。
 言っちゃ悪いが、美女と野獣といった感じ。
 ふう、とシーナは息を吐いた。
 こういうやりとりは今まで何度となく繰り返してきたはず。
 けれど、絶対遊んでもらおうとか、その気にさせてみたいとか、そんなふうにはあまり思わなかった。
 ひとりでうろついていたときにはわりと本気で口説いていたものだけれど。
 今の会話は、ただの暇をもてあました冗談の飛ばしあい。
 お互いの言葉に、なにひとつとして本気の言葉はなかった。
 そうしてまた、何か物足りない、と思う。
「……よくもまぁあれだけ言葉がぽんぽん出てくるもんだな」
 溜め息混じりの呆れた声。
 軽く息を吸って、シーナはいつもの笑顔で振り向く。
「え? そうかな」
 うしろのテーブル席がやけに静かだと思ったら、聞いていたのか。
 カウンター席から立ち上がり、複雑な顔のフリックと何を考えているのだかまったくわからないハンフリーのいるテーブル席に移る。
 フリックは気まずそうに「あのな、」と切り出した。
「別に聞き耳を立ててたわけじゃないんだけどな。あれだけ堂々としゃべってりゃ、この位置で聞くなって方が無理だろ」
「まーね」
 たしかに、ハンフリー相手では会話が弾むともあまり思えないし。
 ひとりで飲んでいるようなものかもしれない。
 それにシーナも気分を盛り上げる為にあえて声のトーンを上げていたのだ。


 移ってきたシーナに、フリックはどう話しかけたものか迷っている様子。
 だからといってこっちから振るほどの話題はないから、黙ってテーブルの上のナッツに手を伸ばす。
 妙な間だ。
 どうしたもんかと思っていると、ようやくフリックが口を開く。
「あのさ……おまえって本命の子っていないのか?」
「なんで?」
「あんなふうに知らない女に歯が浮くようなセリフ並べ立ててるところを見るとな。本命ってそう簡単に口説けるもんじゃないだろ?」
「んー…そうかな」
 曖昧に答える。
 フリックは続けて、
「まあ……そういうことは、焦って捜すもんでもないんだろうが。気が付いたら、そばにあるんだろうし…。おまえいくつだっけ?」
「16だけど」
「それじゃあまだまだだな」
 それに対しても、シーナはただ頷いて返す。
 たしかに、たくさんの女性に声をかけてきた。
 別にどんな選択基準があるとかではなく、ただそのときにその場にいただけ、それだけだ。
 だから本命だなんて言われても困る。
 すれ違いざまにふと視線が合ったような、それだけの関係でしかない。


 ……ふと。
 シーナの脳裏にひとりの女性のことが浮かんだ。
「……あのさ」
「ん? なんだよ」
「どんな人だったか、聞いてもいい? オデッサさんて人のこと」
「!」
 フリックの手がぴくりと止まる。
「あー…ごめん。聞いちゃまずかったかな」
 彼が、最も愛していた人。
 そして彼が、喪ってしまった人。
 しばらくテーブルの木目を見つめて黙り込んでいたフリックは、ゆっくりと首を振った。
「…いや。いいさ。……そうだな…眩しい人だったな」
「眩しい?」
「ああ。まっすぐに、ひたむきに、ただ己の信念に向かって進んでいく姿……オレは、憧れていたのかもしれない。本当は傷つきやすいくせに、先を見据えようとする瞳が好きだった」
 ぽつりぽつりと言葉を重ねる。
 ハンフリーが、ふと視線をそらせた。
 旧解放軍時代を思い出したのだろうか。
「……オレは。たしかに、この手ではオデッサを守れなかった。それは今でも後悔しているし、きっとこの身が朽ち果てるまで後悔し続けるんだろう。……だが…それ以上に、……愛しているこの気持ちは、消えない。もうオデッサはいない…それでも、オレの気持ちは変わらない」
 トーンを抑えた、けれどかみしめるような強い言葉。
 誰かを愛する、ということ。


 まっすぐなひと。
 運命に立ち向かう、強いひと。
 刃のような風の中で、それを真正面から受け続けるひと…。
 本当は弱いくせに。
 ひとつひとつの悲しいことに、いちいち傷ついているくせに。
 それでもまだ前に向かって歩こうとする……真っ白な心。
 小さな背中、細い肩、そこに全てを背負わすふたり。
 それを思うとき、胸の奥がずきりと痛む。


 フリックはその場を、
「……ああ、ずいぶん酔ったみたいだな。忘れてくれ」
 と言って締めくくった。
 まだ何かを迷っているような口調だった。
 そうだろう、いくら気持ちが変わらないとしても、愛する者を失った気持ちが簡単に癒えるはずはない。
 だからシーナもそれ以上は訊かなかった。
 部屋に戻ると、相変わらず灯りはなくて真っ暗だったが、さっきとは違って小さな寝息が聞こえる。
 なんとなく外の灯りが差し込む窓辺へ歩く。
 見下ろす道には人っ子ひとりいない、静かな夜。
 つまらないのは。
 やる気が出ないのは。
 もちろん、その理由なんてとっくに気付いている。
 今頃は眠っているだろうか。
 それともまた、眠れずにいるんだろうか。





「…………あー……会いたいなぁ………」





Continued...




<After Words>
遅筆を極めろ!(待て)
そんなわけで久し振りの本編です。
4か月ぶりかよ……本当に自分でびっくり。
今回のお話「BLACK」は前後編なんですが、前編だけで
2か月かかってしまっているとはこれ如何に。
おかげで話の方向が定まっていない気がしてますが、
気のせいにしておいてください。ねっ?
話の内容には…そうですねぇ、あまり触れないでおきます。
タイトルの由来も後編で明らかにいたしますのでー。
って、たいした由来はないんですけどね(汗)。
次回、後編アップ(あくまで予定)!
もう少々お待ち下さいませー。



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