BLACK
<前編>
− 2 −

 広げられた地図の周りを取り囲み、ああでもないこうでもないと繰り返される論議。
 慎重論と積極論がぶつかって、行ったり来たりになることもある。
 それでも、前よりはちゃんと聞くようになった。
 出る気など全くなかった頃と比べれば、それは天と地ほども違う。
 本当は小難しい話など眠くて仕方ないし、軍議だなんて重苦しいものは自分の性格上耐えられないはず。
 そう思っていたのだが、シーナにとって、その議論は日に日に意味を持っていった。
 ……国の命運ではなくて。
 その議論の果てに、失策が待っていたとすれば………最悪、軍主は。
 考えかけて、慌てて首を振る。
 そうならない為に、ここにいる者たちは進んだり戻ったりしながら議論を戦わせているのだから。
 もっとしっかりしなきゃな、とシーナは人知れず拳を握った。


「ところで、東の森のことなんだが」
 ようやく次の戦の布陣がほぼ決まったところで、声をあげた者がいる。
 ぼんやりしていて誰の声かわからなかったシーナが首を巡らせると、どうやらその主はフリックらしい。
 最近になって、だいぶレイに対する態度が軟化してきた、やたらと青い人物。
 彼に対する認識はそんな感じだ。
 前解放軍リーダーであるオデッサのことをずっと引きずっているようで、一応認めたらしいとはいえ先日までレイにトゲ付きのセリフを投げていた。
 もちろん、レイはそんな彼を否定しなかったが。
 オデッサを喪った意味、それがレイには痛いほどわかるのだろう。
 レイを見ていたから、シーナにもなんとなくわかる。
 たぶん、なんとなくでしかないけれど。
「……東の森」
「あぁ。帝国の脱走兵が群れて山賊崩れのような集団を作って略奪を行ってるそうだ」
「それは…やっかいだね」
「だろう? たいした勢力じゃないが、ほっとくと不意をつかれる可能性もある」
「たしかに騒ぎが大きくなり始めていたみたいだけど、そうか、組んだか」
 そのふたりが、地図を指さしながら話すのをぼんやりと聞く。
 誰かがそこに行って鎮圧することになるのだろう。
 フリックの話す山賊の勢力ならば、将をひとり置いて副将を2名ほど配置すればどうにかなる。
 これ以上大きくならないうちに叩いた方がいい。
「なら、フリック。誰が行く? この時期にそう大人数は割けない」
「だろうな。…オレが行く。なに、すぐに片を付けて帰るさ」
「わかった、この件は任せる。けどひとりで行くわけにも行かないだろ」
「さすがにな。ハンフリーを付けさせてくれるか」
「あぁ、そうだね。あとは………シーナ?」
「へっ?」
 突然名前を呼ばれて我に返る。
 この場所で名前が出るだなんて、まったく思っていなかったから、すっかり気を抜いていた。
 呼ばれたのが自分の名前であることを反芻し、それが紛れもなく自分のことだと確認してもう一度驚いてから返事をする。
「な、なに?」
「東の森の討伐隊に同行して欲しい」
「え?」
 聞き返すが、レイは冗談を言っている顔ではない。
 この場所で冗談を言うなどとは端から思っていないが。
 けれどそれはあまりに突拍子もなくて。
「オレが?」
「うん。いくら山賊と化しているとはいえ、元帝国軍兵士だからね。腕の立つ相手もいるだろうし…。出来るだけ精鋭で固めておきたいんだ」
「シーナか。そうだな、結構腕も立つし。ついてきてくれるか?」
 とっさにいやだ、と思う。
 けれど。
「あ……わかった。了解」
 そう、答えていた。
 自分でも意識はしていなかったのだけれど。
「ありがとう。フリック、よろしく頼むね。……シーナも、気を付けて」
 念を押すようなレイのセリフ。
 わけもわからず、シーナはただ頷いた。






 軍議場を出たところで、呼び止められた。
 部屋に向けて速めた足を、止める。
「…今日もまた、長引いたね」
 静かな口調。
 レイはそれに苦笑を返した。
「長引いたね。まあ、人が増えれば意見も増える。当然だろ」
 言うと、仕方なさそうに肩をすくめる。
 そうしてゆっくりとルックが歩き出すから、レイも足を踏み出す。
 自然、並んで歩く形になる。
 しばらく黙り込んで歩いたあと、ルックが顔を上げた。
「……驚いたよ」
「え?」
 驚いたのはレイの方だ。
 なにせ、ルックのセリフはレイが想像していたどの言葉とも違っていたのだから。
 いや、それより、驚かせるようなことを言っただろうか。
 考えてみるが、今の会話の中に思い当たるものはない。
 それどころか会話といえるほどの会話はしていなかったはずだ。
 とすれば軍議の時か?
 それにしたってルックとのやりとりで不自然な点はなかったと思う。
 首を傾げると、わずかに言い淀んで目を落とす。
 なに、と問おうとすると。
「…珍しいと思って。レイが……自分から外に出すなんて」
「?」
 外に?
 あ、とレイは目を見開く。
 それのことか。
「僕がシーナを遠征に出したこと?」
 頷くだけの返事。
 少し悩んで、なんとなくトレードマークになったバンダナの両端を握りしめる。
「……いや。シーナの奴、ちゃんと実力つけてきてるし。小隊の指揮を執ってもらったこともあるし。信頼できる…し。性格的にフリックともバランス取れそうだろ?」
「本気でそうとだけ思ってるんなら手持ち無沙汰そうに喋らないでくれない?」
 言い返されて、詰まる。
 たしかに、この仕草は雑念があると取られても仕方ない。
 そして実際、………。
「まぁ…レイのことだから、それも本当なんだろうけどね。議論してた連中の一部じゃあいつの実力に疑問符つけてるのもいたみたいだけど、僕もそうは思わないし。けど」
「けど…?」
「………正直、あんたがシーナを出すとは思わなかった。これは本音だけど。危険な場所に行かせることを、レイは怖がるんじゃないかって」
 ルックと視線が合う。
 凛として整った見事な無表情。
 けれど、心配の色を濃く落とした瞳。
「レイ……あんた、まるで」
「…うん」
 レイは次の言葉を待つ。
 否定する為ではなく、まっすぐに受け止める為に。


 と。
 …ルックが大きく息を吐いた。
「……いいや。別に。今言わなきゃならないことじゃないし」
「え? ほ、本当にそこでやめちゃうの? 気になるじゃないかっ」
「じゃあ、せいぜい気にしてて。それじゃあね」
「ルック!!」
 引き留めた声に、ルックはほんの少し振り返る。
 しかし、すぐにすっと歩き出してしまい…レイはもう一度呼び止めるタイミングを外してしまった。
「えっ…と。何が言いたかったんだろ……?」
 ルックは時々、含むような物言いをする。
 聞く方としては気になって仕方ないのだが、ああいった以上ルックは喋らない。
 レイは小さく息を吐いた。





 怖い……か。
 ルックのセリフを胸の奥で呟く。
 生きるということ。
 死ぬということ。
 生と死の狭間。
 戦うことは、それを見つめることだ。
 どんな形にしろ、命を奪うということだ。
 その、一番前で。
 立ち止まってルックの背を見送っていたレイは、今度は大きく息を吐いた。
 生きるということ。
 死ぬということ。
 生と死の狭間。
 そんな場所で、出会ってしまった。



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