April 12th, 2001
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忍び足で廊下を歩く。
別に忍び足じゃなくたって平気なんだろうけど、たぶん僕自身がうしろめたいからなんだと思う。
こんなとき、足音はいつもより大きく響いている気がした。
「…マッシュ。いる?」
目的のドアを叩きながら呼びかけると、案の定返事が返ってきた。
たぶん次の戦いの作戦を練っているんだろう。
昨日、僕が加えたい作戦がある、なんて突然言い出しちゃったからね。
「あぁ、レイ殿。どうかなさいましたか。今日の軍議のことで何か…」
「うん、それもあるんだけどね。軍議まで時間あるだろ? ちょっとそれまで行方不明になろうかと思って」
「行方不明、ですか」
「そう。もちろんひとりで行方はくらまさないけど。だから今のうちに打ち合わせ終わらせちゃっていいかな」
マッシュは、ただでさえ細い目を細くして笑った。
「もちろん、よろしいですよ」
実を言えば、僕の『行方不明』は決して珍しいことじゃない。
それを言い置いて、ときどき周辺の街に行ったりする。
視察と、仲間集めを兼ねてね。
護衛だのを連れて大々的に「解放軍です」ってやったってかまわないんだけど、そうすると目立ちすぎるから。
下手に帝国と小競り合いをするのは不利だとわかってる。
帝国軍に比べ、まだまだ解放軍の戦力は微弱なものだ。
そんな小さな争いで、戦力を減らしてる余裕なんてない。
僕たちの力はその程度でしかない…今は。
だからこんな手段に出ているわけだ。
……まぁね、息抜きって意味もたしかに含んでるだろう。
それでなくとも、これから大きな戦が続きそうな予感がする。
そうしてそれはたぶん、予感ではすまない。
本格的な『戦争』になる。
そして多くの犠牲がでる。
避けられない、現実だ。
いつもそんな重ったるいことを考えてる。
だから…っていうのは、逃げてることと同じなんだろうか。
その小部屋は、いつもひやりと涼しい。
寒いんじゃなくて、涼しい。
遺跡だとか祠だとか…そんな神聖な涼しさがそこには常に漂っていた。
それがこの『石板』の力の表れなのかもしれないし、もしかすると『番』である彼の魔力に起因するものなのかもしれない。
「ルック」
声をかけるかかけないかのうちに、ルックはぱっと顔を上げた。
どうやら声をかける前に僕だって気がついていたみたいだ。
「どうしたんだい。軍議はまだだろ」
口を開いたとたんにそんなことを言うから、僕は少しだけ苦く笑った。
そうだよね、今日うろついてたらその反応が正しいんだ。
今日の軍議は「僕たちのこれからを決める重要なもの」っていう触れ書きで連絡しちゃったから。
その『主役』でなきゃならない僕がふらふらしてたら、何が起きたかと思うよね。
僕はことんと首を傾げて、ルックの瞳を覗き込む。
「いや。ちょっと外の空気を吸いたいんだけど。付き合わない?」
それを聞いたルックは、ひとつ息を吐いた。
「また『行方不明』?」
「そんなところ」
そういえば、この突発的な外出を『行方不明』って言ってるんだ…って最初にルックに言ったとき、ルックってばあからさまに溜め息ついてたっけ。
まぁルックの性格からすれば当たり前の態度なんだけどね。
でも、そう言いながらいつも付き合ってくれる。
それが嬉しい。
そうしてルックは、今日もやっぱり溜め息をついた。
「…息抜きってわけか」
「この時期にそんなことを言うのは非常識だって? …僕もわかってるんだけどさ」
僕はぼやくように言った。
するとルックはわずかに目を伏せて、
「責めてるわけじゃない。いつも息詰めっぱなしだろ? 当然なんじゃないの」
そう言いながら、さっさと歩き出す。
って、え?
ついあっけにとられてその背を目で追っていると、ルックはふいにぴたりと立ち止まり、振り返る。
「何してんのさ。でかけるんだろ?」
ぽつん、と。
僕だけひとり取り残されて。
なんだかおかしくなって僕は笑った。
誘いに来たのは僕なのに。
ルックが先に部屋を出ていった…。
それだけのことが無性に嬉しい。
「で? どこ行くの」
僕の先を歩くルックがそう切り出す。
うーん…。
別にどこにどうってわけじゃ……。
「今日は軍議もあるから、対岸、くらいかな」
「ずいぶん近場で済ますんだね。どうせ『瞬きの手鏡』使えば一瞬で戻ってこられるんだろ? 僕だっているんだし」
それはそうなんだけどね。
僕は肩をすくめてみせた。
「心理的な不安、てヤツだろうね。実際には距離なんて関係ないのに、遠くなればなるほど心配になっちゃうんだからさ」
「…レイって結構軍の連中に対してハッタリかましてるよね」
ああ、裏ではめちゃくちゃ不安なのに、表では自信ありそうにしてたり、とか?
そうなんだと思うよ。
僕がおどおどしてたら士気にかかわる。
だからね、いつの間にか当然のようにハッタリかましてて、それが普通なんだとみんなに思われるまでになったってことは、一応ハッタリも成功してるってことだ。
けど、僕の自信がハッタリだなんて大勢にばれたら…マズイよなあ。
だけど。
「ばれてんのはルックぐらいだから。いいんじゃない?」
そう笑いかけると、ルックはちらりと僕を見て、すぐにそっぽを向いた。
でもそれって、僕の言葉を否定してるわけじゃないんだよね。
どころか、肯定してくれてる。
…だから、ルックといるとほっとするんだ。
「じゃあ行くよ」
「うん」
ルックがすっと手を動かした。
白い袖がさら、となびく。
次の瞬間現れたのは、光だ。
あったかい光…いや風?
それが僕たちを包み込む。
気持ちがいいな、と思ったときには、ふわりと浮遊感を感じていた。
空はよく晴れて、色鮮やかに澄んでいた。
そこはなだらかに広がる草原地帯で、遮るものがない。
だから空がめいっぱいに続いているんだ。
その綿毛のような雲がぽつりぽつりと浮かぶ空の、深い深い青を身体中で受け止めているようで、ものすごい解放感。
「うわ…気持ちいい……!」
思わず背伸びしながら呟くと、隣に立っていたルックが肩をすくめた。
「今のレイの気持ちからすると、町で人集めよりもこっち…だろ?」
へぇ。
ルック、ずいぶんと僕のことわかってくれてるんだ。
それって嬉し……。
「いやー。それにしても、ホント。気持ちいーなー」
…………。
僕はルックを見る。
ルックも僕を見る。
今のセリフ…僕たちじゃないぞ。
じゃあ一体誰が?
…って、悩む必要もないか。
僕たちは渋々振り返った。
「よっ」
やかましい。
なんだよ、ノー天気にへらへらしちゃって。
ったく、こいつは。
「無視」
「当然」
「あ〜、酷いなぁ。オレに気付いてるくせに」
気付いてるよ。
っつうか振り向く前に既に気がついておりましたとも。
というより気付くなって方が無理じゃないか?
「……いつの間についてきてたんだよ」
溜め息と一緒に吐いた僕の呟きに、シーナは満面の笑みで(腹立つ)。
「レイが部屋出たときから。足音立てないようにすっげぇ慎重に歩いてたから、またでかけんだな、と思ってさ」
こっ…こいつ…っ。
僕の行動、しっかり読んでやがる…っ。
しかも、今の会話の流れからすると、アレだろ。
こいつ、僕がしょっちゅう出かけてること、前から知ってたんだ。
…あれ?
そのわりにはついてきたりはしなかったな。
シーナのこの性格なら、どんな時でも無理矢理ついてきそうだけどなぁ。
ちょっと意外。
「レイ。飛ばして、いい?」
横からルックのとことん機嫌悪そうな声。
どうやら気付かないうちにシーナが転移に紛れ込んだのが悔しいらしい。
だろうね、僕だって思いっきり尾行されてたんだから、すっっっっごく悔しいんだ。
人や敵(モンスター)がいるときは、必ずその気配を感じられるのに。
なのにシーナは、僕を尾行(つけ)てて…あまつさえ前から知ってた、だなんて。
「まぁまぁ。せっかくこういうトコに来たんだからさ。のんびりしようぜ、3人でさ」
おまえが言うな、おまえが。
……やれやれ…。
「…やめときなよ、ルック。魔力のムダ」
「それは言えるね」
飛ばしたところで懲りないんだからさ。
本当にこいつの図々しさはある意味尊敬にすら値するよ。