October 23th, 2002
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「…アレだな。たらいまわしってこういうことを言うのかもな」
ぽつり、とフリックが言った。
誰からともなく、僕たちは苦笑い。
そうだよね、行く先々、ポイントをついて邪魔が入る。
それってわりといつものことだったりするからあんまり気にしないけどさ。
でも……なんていうのかな。
導かれてる…って言うより、おびき出されてるって言葉の方が合うかもしれない。
それはミルイヒ将軍にじゃない。
もっと何か、別の、大きなモノ……。
それが僕たちを引っ張って、引きずっていくような、そんな気が…心の隅でしていた。
僕たちの目の前には、大きな灰色の城。
窓の少ない、堅牢な牢獄。
ソニエール監獄…。
僕たちは、ここに侵入する。
いつもながら、マッシュの策にぬかりはない。
偽の手紙を用意した僕たちは、驚くほどすんなりと監獄の中に入った。
牢があるのは地下部分、ここはまだ兵士たちが使っているフロアのはずだ。
なのにどうしてか、ひんやりとして居心地が悪い。
「とにかく……リュウカンを助け出すことが目的だ。他のことは一切考えない方がいい」
いつになく慎重なビクトールが小声で言った。
嫌な空気に、僕は無言で頷く。
必要以上に響く靴音がよけいに重苦しい。
もちろん、ここは牢獄だから。
気持ちがいいはずなんて当然ない、それはわかってる。
でもそれでも息ができないほどの息苦しさを感じるのは……この、異様に厚い石壁のせいなんだろうか。
「大丈夫ですか?」
ぼっちゃん、と言いかけた声をグレミオが飲み込む。
たしかに、その呼称じゃバレるからね。
「…うん。空気がよどんでるのかな。気持ちは悪いけど…たいしたことはないよ」
「そうですか。もし調子がお悪いのでしたら、すぐにおっしゃってくださいね」
「うん」
いつもと同じような、グレミオの顔。
僕が緊張してるときでも、大抵グレミオはこんな風に笑ってる。
だからそれにつられて気持ちが和むんだよね。
僕はまだ大丈夫だって、そう思える。
……あぁ、でも。
何日か前…近くの町で僕たちは宿を取ったんだけど、その夜……。
グレミオ、僕に何か言わなかった?
そのとき僕は夢を見ていたんだ…でも、グレミオ、おまえの声がした気がする。
何か僕に言った?
それとも僕は、夢の続きを見ていただけなんだろうか。
なんだかとても淋しかったような……そんな気がしたんだけど。
「…行こう、グレミオ。ミルイヒ将軍のことだ……すぐに戻れる場所に捕らえてはいないと思うから」
「ですね。あの方はとても慎重な方ですから…」
うん、今はいいや。
気を抜いたら、この重苦しい監獄につぶされそうだから。
帰ったら問いただすからね。
地下に降りると、息苦しさはめまいに変わった。
いっそう重い空気、風も通らないからまとわりつくように濃い。
そしてそのせいで湿気が酷い。
掃除は一応してあるみたいだけど、カビと埃のにおいがあたりに充満していた。
明かりは壁にさげられている小さなランプだけだ。
ほんのわずかに周囲を照らすだけで、少し離れてしまえばそれはどうにも心許ない。
真下を通っても足元はもう薄暗いから、何かが置いてあったらつまずくところだ。
けど、何もない。
殺風景な石の通路。
両側に整然と並んだ鉄格子。
やけにすさんだ印象を与えるくせに、その鉄格子だけがよく磨かれて鈍く光っているのが、よけいに不気味だ。
「……酷いところだね」
さっきからずっと僕の隣を歩いているルックが、法衣の袖で口元を覆いながら言った。
「人がいられる環境じゃないね。……だから罰になるんだろうけど」
「うん。風がないって、こういうことなんだね……。人が秩序を守るために定めた掟に反したからの、罰則なんだろうけど、でも…」
言葉が止まった。
でも、の続き……僕は自分で何を言いたかったんだろう。
何か考えていたはずで、けれどそれを言葉になる前に見失ってしまった。
ルックがちらりと僕を見る。
「『でも、こんなところに人を閉じこめるなんて』?」
「! ……ああ、うん。そうかもしれない」
いきなり指摘されて、僕は呆然とルックの視線を受け止める。
ルックは何か言いよどむように視線を落とした。
そうか。
僕が思ったのは、それか。
掟に反して罰せられるのは、当然のことかもしれない。
けれど初めて本当の牢獄に足を踏み入れて、空気に触れて…これが罰なのか、と正直ぞっとした。
だから多分そう思ったんだ。
だけど僕はそれを言葉にする前に消した。
それを消したのはたぶん、……『リーダーとしての僕』。
誰かが秩序を乱したら。
罰さなきゃいけないのは、僕だ。
僕が?
…今更ながら、それが重い。
「レイ。考え込むなよ。…あんまり、深く考えない方がいいから。そうじゃないと、君は深みにはまる」
少しずつ切りながらルックが言った。
僕はそれにうなずいて、でも、
「……わかってるんだけど。だけど、いつかそれに直面すると思う……」
「だろうね。それだけは僕にもわかる。けど、そのときにどうすればいいのか…僕にもわからない」
「やっぱり、難しいね」
「だから歴史の中でも、普通の人間よりリーダーの方が少ないんだよ。それだけ難しいってことだから」
「うん…」
どっちからってわけでもなく、会話が途切れた。
僕たちはしばらくそうやって、ただ並んで歩いてた。
灰色の通路は、永遠に続きそうなくらいに長い。
リュウカンさんは、牢獄の一番奥に捕らえられていた。
ランプの明かりさえギリギリ届くか届かないかくらいの、暗い牢の中。
やはり僕たちに同行することを最初は渋っていたけれど、結局連れ出すことには成功した。
とにかく、ここに長いこといるのはよくないだろうし。
ビクトールが先頭に立ち、しんがりにはフリック、その前にリュウカンさんを支えながらグレミオとキルキスが続く。
僕とルックがその前で、あたりの気配をうかがっていた。
「あとどれくらいだ?」
フリックが誰ともなしに問いかける。
「たぶん……あと少しで上にあがる階段があるはずだ…ったと思う」
歯切れの悪い答えはビクトール。
このふたりでさえ距離の感覚が狂うほど、鉄格子とランプの並ぶ機械的な光景。
なんだか無限に続くみたいだ。
どこかで道に迷った気がしてしまう。
道に迷う?
ほとんど1本道なのに。
全員の口数が少ない。
任務中だから当然なんだけど。
それぞれがこの空気の重さに辟易して、その正体を探ろうとしているように見えた。
静けさ…。
音といえば僕たちの足音だけ。
牢の中の気配も探りながら、僕はそっとルックを見た。
表情を消したルックの顔。
「……ルック」
「なに?」
「人の気配が…なさ過ぎるね」
それは、最初から感じていた。
たぶん僕の想像は合ってるんだろう。
こんなもの合ってなくていいのに。
おそらくルックも…誰もが同じことを考えていたはずで。
「……罠」
ぽつんとルックが言った。
僕も頷く。
「策としては悪くなかった。相手が一枚上手だったんだろうね。……あの花将軍とかいうやつ、見た目を裏切るタイプなんだろ、どうせ」
「うん。誠実で、忠実な人だった。思慮深くて、鋭い目をもってる。趣味は合わなかったけど」
「だろうね。僕だってアレはごめんだ」
「ただ…でも」
僕は記憶を探る。
ミルイヒ将軍も国の中枢に近い人だ、いつも忙しそうに仕事をしていた。
父さんほど家にいないわけじゃなかったけど、それでも家を留守にしてることが多かった。
あの人の家は子供の目から見たらものすごく珍しくて面白そうで、何度も遊びに行ってはお茶をご馳走になった。
最初は将軍のいでたちに驚いたけど、付き合ってみるとものすごく優しくて純粋な人だった。
僕が遊びに行って将軍が家にいると、将軍は皇帝の素晴らしさを僕によく語ってくれたっけ。
それを思い出して、僕は僕の直感が正しいだろうことを改めて思う。
「…でも、あの人は皇帝を敬愛してて……皇帝が作る素晴らしい帝国に誇りを持ってる人だったんだ。その将軍が、こんな…荒れていく国を見て平気だとは…自分から荒らしていくとは……どうしても、僕には思えないんだ」
ルックの曇りのない目が僕を見る。
「……ブラックルーン……」
ルックが呟く。
それは、ウィンディの仕掛けた力。
クワンダ将軍も、それに操られていた…。
「たぶんそうなんだろうね。…一体どこまでの人が操られているんだろう」
「さぁね。ただ、それを考えない方がいい。そんなことを考えてたら、僕たちは何もできないよ」
「…そっか…そうだね……」
そのあたりを、割り切らなきゃいけない。
問題は、どこまで許せばいいのかということだ。
簡単なようで、それはとても難しい。