トライアングル10
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 やがて、何度目かの角を曲がる。
 そこには階上へ向かう階段があった。
 わずかに光がさしているのが見える。
 それは小さな明かり取りの窓から射し込むわずかな光なのかもしれないけど、暗い地下を進んできた僕たちには救いに見えるほど明るい。
 緊張は解けないけど、でもなんとなく息が軽くなったのはたしかだ。
 そうすると目の前のことでいっぱいだった頭にも少しだけ余裕ができる。
「…あいつ。大丈夫かな」
 そのつもりはなかったのに、僕の口からそんな言葉が漏れた。
 ミルイヒ将軍がおそらくこの先に仕掛けているだろう罠。
 僕たちは彼がどんなことを仕掛けてくるかはわからない。
 けれど、罠があることはおそらく間違いない。
 伊達に何度も戦を繰り返してきたわけじゃないんだ、帝国はそれだけ強大で脅威だ。
 北……若干騒ぎは少ないけど、帝都に近い地域。
 誰が…帝国将軍の誰が出てきてもおかしくはない。
 こぼれた言葉は小さな声だったはずだけど、ルックにだけは聞こえていたみたいだ。
 ルックは小さく息を吐いた。
「わからない。そこまでこっちの動きを読まれてたら、危ないんじゃないの」
「動き……」
「…レイ。大丈夫だよ。あいつは僕たちが思ってるよりしっかりしてるよ」
「………うん」





 地上に戻ってきた僕たち。
 急いで出ようとして走り出した僕たちは、1階に出てすぐにあった小さな部屋で足を止めた。
 よく見知った顔。
 ―――――ミルイヒ将軍。
 まさか、将軍がじきじきに顔を出すとはね……。
「お久しぶりですねぇ、レイ君。まさかこんなところでお会いするとは思いませんでしたよ。お父上はお元気ですか?」
 僕はその言葉を聞き流す。
 まともに聞いちゃダメだ。
 僕の感情をあおっているだけだから。
 将軍はわざと鷹揚に、部屋の奥のドアの前に立っていた。
 奥のドア……出口に続く唯一のドア。
「……そこを通してください」
「なぜです? 私にそんな義務があるとでも?」
 簡単にどいてくれるわけはないか。
 だろうな。
 不穏な空気は変わらない。
 この部屋にあるふたつの扉…今将軍が前に立っている扉と、僕たちが入ってきた扉。
 僕たちが入ってきた方の扉は、この部屋にあるレバーでしか開閉ができない。
 あれを支配されて、この小部屋に閉じ込められてしまったら。
 それはまずい。
 同じことを思ったのか、グレミオがそっとそのレバーに手をかけるのが見えた。
「ミルイヒ将軍…あなたともあろう人がどうしてですか? 今の皇帝は…僕があの頃話に聞いた、同じ人とは思えない。あなたがそれでいいと思うとも思えない」
 届くかどうかわからないけど。
 けど、届いて欲しい。
 それが無駄だろうとは…わかっていたけど。
「……いいえ。あなたこそ、レイ君ではありませんでしたね。今のあなたは、解放軍とやらを気取って帝国公領に忍び込んだ単なるネズミの親玉でしたか」
 グレミオが浮き足立つのを、僕は目で制す。
 挑発だ。
 僕たちが動かないのを見て取ると、将軍はすっと目を細めた。
「…なるほど。ずいぶんと冷静なようですね。飛び掛ってきたらこれを使うつもりでしたが……」
 言って、将軍は袖口から小さな瓶を取り出した。
 黄色の瓶…いや、黄色い粉みたいなものが詰まってるんだ。
 一体…?
 当然のように、僕たちの視線はその瓶に集まった。
 すると将軍は得意げな笑顔を浮かべる。
「珍しいでしょう。これを作るのは大変でしたよ。そうです、これはわたしが苦心して改良した胞子でしてね。肉も、血も、骨も、髪も、綺麗に食べてくれるんです。実験のたびに餌をひとりふたり使うので、それが苦労した点ですね」
 …………え……?
 それは……まさか……?
「てめぇ…正気か!!!」
 ビクトールが怒鳴る。
 僕は理解できずに…呆然とその瓶を見つめた。
 肉も…血も…?
 餌……?
 将軍の笑顔が、邪悪にゆがむ。
「あぁ、そうですね。せっかくですから、これを皆さんに差し上げましょう。そうだ、逃げてみますか? ここを閉めてしまえば、地下は行き止まり……。逃げ道なんてありませんけどね」
「おい、待て!!!!」
「言ったでしょ、私にあなた方の言葉を聞く義務はありませんよ。大丈夫です、痛みはまったくありませんから。……ごきげんよう、皆さん。レイ君、短い再会でしたね」
 将軍の手が、うしろのドアにかかった。


 パリ―――――――ン


 長く、高い音が響く。
 将軍の手から滑り落ちたそれは、床に当たってこなごなに砕けていた。
 そこから舞い上がる、黄色い胞子。
 とっさに飛び出したキルキスが、将軍の消えたドアに飛びつく。
「! ダメです、開きません!」
 割って入るようにビクトールがドアに体当たりを食らわせる。
 どん、と鈍い音がしたけれど、ドアはびくともしなかった。
「ちっ、見た目以上に頑丈な作りしてやがる……!」
「どうする、ビクトール!」
 走って来て剣をドアの隙間にこじ入れようとしていたフリックが怒鳴った。
 ビクトールが怒鳴り返す。
「どうするって、どうするもこうするもねぇだろう! どうにかしてここから逃げねぇと、俺たち全員食われちまう!」
 ふと僕は足元に目を落とした。
 黄色い粉……床にじわじわと……広がって…?
「…みんな! こいつ……増殖してる!」
 僕の声に、全員がはっとして視線を胞子に向ける。
「……空気で増えんのか!? あぁ、もう、そんなことはどうでもいい、よけいヤバくなったってことだけはたしかだな!!!」
 どん、どん、がりがりがり、部屋の中は怒号とドアを破ろうとする音であふれる。
 その中で、やけにはっきり声が響いた。
「皆さん、他に道はありません!! とりあえず、奥へ!!!!」
 それにまず反応したのがビクトールだ。
 ビクトールがキルキスを促してうしろのドアへ駆けて行く。
 フリックがリュウカンさんを引きずるように部屋の外へ連れて行くのが見えた。
 僕?
 だって…この部屋を閉じてしまうには……。
 少しだけ迷った。
 迷ったけど、それだけしかないなら。


 でも、
 すぐに声がして。
「ルック君!!! ぼっちゃんを!!!!!!」
 無反応だったルックが。
 その声にはっと弾かれたように顔をあげた。
 そして僕もルックも、たぶん何かを考えてる暇もなかった。
 ルックが僕の手を引っ張って駆け出した。
 僕は勢いにつられて足を踏み出した。
 誰かの
 誰かの優しい手が
 僕の背を
 そっと


 押した。





 ドアが閉じた。
 時間が、歪んで止まった。





Continued...




<After Words>
かなり脚色してます。
けど、まぁ、ここに辿り着いてしまいました。
しかし、何をコメントしたらいいかわかりません。
ええと…じゃあ…「シーナがいないトライアングルってはじめてかも」
このくらいでいいですかね? 今回は次回作同時アップなので、
ますます泥沼ですが次へどうぞ…。



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