February 5th, 2003
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「レイっ!!」
うしろから僕を呼ぶ声。
僕はとっさに振り返って……その姿を見つけた。
なぜか…久しぶりに会う気がしてる。
長い時間を、隔ててしまったような。
「レイ……オレ…っ!」
立ち止まり、肩を上下させて僕を強い瞳で見る、シーナ。
シーナに腕を引かれてきたらしいルックが、少し戸惑ったような顔をしてる。
僕は少し首を傾げて、部屋の扉を指した。
「入りなよ」
言葉は、それだけ。
シーナは無言で頷いた。
誰もいなかった部屋は、しんとして寒い。
けれど踏み込むと、それだけで少しあたたかい気がした。
部屋に入ったときシーナが、
「……こんな…軽かったんだな、扉」
とぽつんと言ったのが妙に印象に残った。
なに? と目で問うと、なんでもないってふうに首を振ってたけど。
僕はなぜか灯りをつけようかどうしようか迷って、結局つけずにふたりに向き合う。
月の灯りがあって、それが十分明るかったから。
…やっぱり。
少しだけ、緊張する。
あたりまえのように一緒にいた僕たちが、同じ城の中にいながら顔も合わせなかったんだから。
そう、一度もね。
それってすごい確率だと思うよ。
そんなに広くない城で会わないなんて、どれくらいの確率なんだろう。
実際、僕はふたり以外のほとんどの人と顔を合わせてたわけだしね。
それが……僕がふたりを避けてたのか、
ふたりが僕を避けてたのか、
それはどっちなのかは僕にはわからない。
たぶんその両方なんだろうし、僕はそれに気付かないふりを貫いたから。
シーナは、すぅっと大きく息を吸って、そして吐いた。
それから、僕を見る。
「……レイ。まず……ごめん」
シーナ?
びっくりした。
何でシーナがそこで謝るわけ?
別にシーナが何をしたってわけでもないのに。
「ちょっと待って。何でそこで『ごめん』が来るの? 僕、シーナに謝られるようなことされてないけど」
「うん、そうだな。オレ、何もしてない。……ごめん、はそのこと。何もしなくて、ごめん」
そんな……。
まっすぐな目で僕を見るシーナ。
シーナが頭を下げるのを、僕はただ驚いて見てる。
だって、そんなこと…。
「オレさ…偉そうなこと言っておきながら、言葉だけだった。本当にレイがつらいとき……それは…きっと、今でもそうなんだろうし……つらいことを重ねて、よけいつらいんだと思うけど……でも、そこで言える言葉がなきゃいけなかった」
「シーナ…」
「そう、オレは…かける言葉が探せなかった。でも、それって、何もできなかったんじゃなくて、何もしなかっただけなんだよな」
迷わない言葉。
それは静かな声で、でも、すごく強い。
「ここんとこ、部屋に閉じこもって、ずっと考えてた。オレはどんな言葉をかけるべきなのか、ずっと…ずっと考えてさ。普段使わないところも使って考えたから…脳が沸騰しそうだったぜ」
言って、少しだけ笑いを浮かべる。
けれど悲しそうな色も見える笑顔だ。
シーナのそんな顔…見たことないよ。
シーナは、すっと視線を落とした。
「だけどさ……やっぱり見付かんねぇや。オレはレイじゃないから。レイのことを思えても、レイの気持ちとすべてが一致するなんて…無理だった。だからオレ、やっぱ何言っていいかわかんないんだ」
けど、とさらにシーナは続ける。
「けど、ずっと考えてみて…。ひとりで考えてみて、よけいにラチあかなくなった。それでさ、結論」
視線を上げたときには、いつもの笑顔。
ぱっとあたりが明るくなるような、偽りのない笑顔。
「言葉が見つからないならさ。黙ってでもそばにいればいい! オレはレイにはなれないけど、レイのそばにいることならできる。……つか、オレはレイのそばにいたい。それだけなんだよな」
…シーナらしい、強引な論理。
僕は呆れて……だけど胸が熱くなる。
今度は、僕が視線を落とす番だった。
胸のあたりまで上げた手のひらに目をやる。
そうしてそっと手袋を外すと、机に置いた。
手のひら……ずいぶん小さく見える。
「………僕は……ひとりで立とうと…思ってた」
呟くような大きさで、僕は言葉を綴る。
「グレミオが…いなくなったんだ。僕は、ずっと、小さい頃からグレミオと一緒で。だからこれからも一緒なんだって思ってた。でも、いなくなった」
僕…ずっとグレミオに支えられてた。
どんなときだってグレミオがいてくれた。
それどころか仕官した時だってついてきたし。
そして、こんなふうに帝国を追われ、解放軍を率いるようになっても…変わらずそばにいた。
グレミオがいない。
それは今までいた誰かがいなくなった、その意味以上に何かを僕から奪った。
もしかすると、足元にあった大地さえが消えたように思えた。
僕は…ひとりで立たなきゃいけないと思った。
立たなきゃいけないことはわかっていながらも、今までずっと支えに寄りかかってきたから。
そうして……僕は。
自分の足で…立って。
この手で…………父さんを。
「手のひらが…赤く、染まってくのがわかるんだ。今までもそうだったけど、それ以上に。グレミオが死んで、父さんを殺して。その赤は、たぶん染み付いて…永遠に消えない。それが、わかる」
紅い靄。
それはたぶん、僕が僕自身に課した罪の色。
流れた血と同じ量の。
「僕もね。考えてた。このまま戦いを続けて、命を奪い続けて、本当にいいのかって。でも……続けなければ、別のところでたくさんの命が奪われてしまう。言い方はおかしいかもしれないけど、小さな犠牲で大きなものが救えるのなら…どっちを取るかってことなのかもしれない。小さな犠牲がどんなに悲しくて、どんなにつらくて、どんなに重くても……それで大きなものが救えるなら、僕たちはこの手が血で汚れるのを恐れていちゃいけないのかもしれない。たとえその犠牲が、本当は僕自身なのだとしても。……後の世に、僕の名が『悪』として残ったとしても」
僕は…それを恐れていたのかもしれない。
逆賊として名を残すことを。
そんなこと、ちっぽけなことなのにね。
名前がどう残ろうが、僕が僕であるためにそれを貫くなら…それでいいのに。
そうして僕は、同時に自分が何かを無くすことを恐れていたんだ。
でも、たぶん、それはそれでいい。
僕が失いたくないものの選択を間違えなければ。
きっと何かを壊そうとするよりも、何かを守ろうとする力のほうが強いはずだから。
僕は、目を上げた。
ふたりの顔をまっすぐに見る。
シーナ。
ルック。
「……僕は。これからもひとりで立っていきたいと思う」
告げる。
大丈夫、迷わない。
「でもね……たぶん、僕のことだから、ふらつくと思うんだ。僕って周りから見るとしっかりしてるように見えると思うけど、結構足元、弱いからさ。……だから…僕も…そばにいてほしい。そばにいて、ふらつく僕を支えてほしい。わがままばっかり言うけど…諦めてね、これが僕だから」
僕は…笑った。
シーナの笑顔が、応えてくれた。