〜トライアングル14〜

June 2nd, 2003

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 薄く空を覆っていた雲が、少しずつ晴れていく。
 淡い光に縁取られたその雲の端から、星がぽつぽつと覗きだした。
 僕は、ぼんやりとそれを見ている。
 今日は風が強いから、流れていく雲も早い。
 あっという間に流されて、月のない空は星で溢れていく。
 このごろ夜に時間が空くと、僕はこうして屋上に来ていた。
 別に何か目的があるわけじゃない。
 ただ何となく、こうしてひとりで考え事をしているのが癖になってた、それだけだ。
 考えることは……ただひとつ。
 いつだってそのことは頭から離れたことはなかったけど、僕はなるべく表に出さないようにしてた。
 だって、僕の目的がどうあれ、僕は解放軍の『リーダー』だから。
 僕の私情で動くわけにはいかないから。
 組んだ指に、僕は力を込める。


 強い風の中に、ふいに異質の力を感じた。
 背後に感じたそれは、よく知っている力だ。
「…レイ? またここにいたんだ」
 僕が振り返るよりも早く、ルックがそう声をかけてきた。
 ルックの声は不思議なくらいに沈黙を壊さない。
 静かな部屋に何かしら音がすればそれは大きく響いてしまうだろうけれど、ルックの声には静けさに調和する何かがあった。
 僕はそうして、思い出す。
 僕が『リーダー』だのといわれて、この城を本拠地にしてまもなくのこと……あの日も僕は屋上に出てて、そこにルックが来たんだ。
 あぁ、……あのときも同じことを考えてたな。
「…どうしたの、とは訊かないつもりできたけど。………僕でよければ、話しなよ」
「え?」
 隣に並んだルックを見て、僕は目を瞠(みは)る。
 ふと視線を僕に合わせるルックは、とても静かな表情をしていた。
「今、新解放軍発足の宴の夜のこと…思い出してたろ? それを話したい、って顔をしてる」
 …僕は、目を伏せる。
 広く眼下に広がる、湖の闇。
 城を囲む岩に打ち寄せる波が、白く何度も繰り返す。
 溜め込んでいた息を、そっと吐いた。
「……うん。同じこと考えてたな、と思ってさ。でも、たぶん僕の中で何かが違うんだけど」
「そう…」
「あの時もそうだったけど、今はすごく時間の流れが速い。1日1日があっという間に過ぎてくんだ。やるべきことがたくさんあって、それをこなそうと思うと、必然的に時間が流れてく。本当に早いと思う」
 でも。
 もう一度、手に力を込める。
 いつの間にか外さなくなってた手袋が皺を作った。
「1日は……こんなに早いけど。……だけど……300年、って時間は……途方もないよね」
 あの時、別れの時、聞いた言葉…。
 300年の間、ずっと逃げてきたって……。


「…そうだね。普通は実感のわく時間じゃない」
 間をおいて、ルックはぽつりと言った。
「だけど…ああやって本当に『過去』を目の前にすると…実感、というものとも違う…なんだろうな、奇妙な現実感に襲われるね」
 過去……星辰剣に飛ばされた世界で、僕たちが見たもの。
 たしかにルックの言うとおり、それは本当に奇妙な現実だ。
 そう、つい十数日前のことだ。
 僕たちは吸血鬼ネクロードを倒せる武器が眠るという洞窟に入って…その剣の力で、過去に飛ばされたんだ。
 そこで見たものは……300年前の『ソウルイーター』の継承の場面。
 僕が今まで知らずにいた、親友の姿がそこにはあった。
 ……紋章を狙う者。
 紋章を護る者。
 その間に起こる、戦い。
 流れる血。
 消えていく命。
 それでも、紋章を護るために、幼い子にすべてを託して。
 そして子供は、そのすべてを背負って生きることを強要される。
 最初に聞いた『300年』には感じることのできなかった、その重み。
 村の人たちをすべて殺してもなんのためらいも抱かないほどの、この紋章への執着。
 ウィンディをそこまでして駆り立て、テッドを追いつめ続けた、『ソウルイーター』。
 それは今は僕の手にある。
 一体これがどんな力を持つのかはわからないけれど。
 ………僕は。
 ふと、思った。
 ウィンディはこれが欲しかった。
 そのためにテッドの村を滅ぼした。
 そうして今、ウィンディはまたこれを狙ってる……国をひとつ動かしてまで。
 ならば、この、戦いの原因は……これなのか?
 テッドが『呪いの紋章』と言ったこれこそが、この戦いを起こしているのか?
 こんなもののために?
 僕は、この戦争を終わらせるために戦ってる。
 そのはずだ。
 でも、その僕の手には、戦いの元凶がある……。
 つまり僕がこれを持っている以上、ウィンディは僕を狙って、戦いをやめることはない。
 僕が原因になっている?
 どうすればいいんだ?
 ああ、だけど、その前に。
 そんなことよりも。
 僕が思うのは、ただひとつ……。
 テッドが…無事でいてくれさえすれば…!
「……レイ」
 僕ははっと顔を上げる。
 ルックが僕を見ていた。
「僕は…何となくだけど。初めて会った時…レイが仕官して初めての命を受けた時だっけ? あの時…予感はしてたんだ」
「予感?」
「予想、って言った方が正しいかもしれない。テッド…だっけ、あいつから感じた紋章の気配……あの不吉な感じで、たぶんすぐに状況が悪い方に一変するだろうと思ってたよ」
 ルック……。
 ルックの言葉はいつもよりも感情が見えない。
 淡々と綴られる言葉。
 でもそれで僕にはかえって、ルックの気持ちが伝わる。
 僕を…支えてくれてる。
「ごめん…そうだね。終わってしまったわけでも、取り戻せないものでも、まだ、ないんだ。こんなことじゃいけないね」
 そういうと、ルックはわずかに瞳の光を和らげる。
「落ち込みたい時は落ち込んでいいと思うよ。ただ…なにも言わずに落ち込まれるとね。……シーナが心配してる」
「え。やっぱり僕がしょっちゅう夜中に屋上に来てること……」
「あいつが気付かないとでも思ってた?」
 いや……。
 いつも気付いて、くれてた。
 ふたりとも。
「まだわからないよ。これからだ。……きっと無事だよ」
「うん………」
 諦めるわけには、いかないね。
 僕には大切なものがたくさんあるんだから。





 遅いから出立は明日にしよう、という結論で、ぽんと時間が空いた。
 そりゃ、初めて行く場所に踏み込むのに夜じゃちょっと分が悪いからね。
 それでなくとも竜騎士団領って初めての場所だし、城に帰ってまた来たり、で体力使ったし。
 さすがに少し疲れたかな。
 だけど「ちょっとだけ、外、行かない?」ってシーナの誘いは素直に受けた。
 ルックもなにも言わずについてきた。
「すごいよな〜」
 上から眺めて、シーナ。
「ああ…そうだね、すごい光景だよね」
 僕も同意する。
「シーナは、竜って初めて?」
「んー…いや。遠目で見たことあったけど。なんでだっけかなぁ…親父にくっついてって見たんだっけかなぁ。だけどどっちにしたって、こんな近くで、こんなたくさんの竜を見るのは初めてだぜ」
 感動してるのかしてないのか、いまいちつかめないシーナの口調。
 珍しがってるのはたしかみたいだけど。
「それでも、眠ってるんじゃ迫力も半減するね」
 ルックもそう言って頷く。
 うん、身体を縮めて眠ってるから、余計だろうね。
 どうやら竜たちは眠りの毒を飲まされてるらしくて、それで目を覚まさないんだそうだ。
 そんなことまでわかるんだから、リュウカンさんはすごいよな。
 僕たちがここですべきは、解毒に必要な月下草を取りに行くこと。
 恩を売って、竜騎士の力を借りようって魂胆だ。
 個人的にはあんまり乗り気はしないけどね、それが策略って奴だから。
 少しずつ慣れては、きた。
「…なんかさぁ」
「ん?」
「静かな、夜だよなー」
 急になにを言い出すんだよ、シーナ?
 シーナは頭の上で腕を組んで、大きく背伸びをする。
 そして、僕をちらりと見た。
「なんかさ。こういう風に静かな夜の中にいると、本当に今が戦争中なのかどうかって、わかんなくなるよな」
 …そうだね。
 普段だったら城の中を警備して回る人の気配がするけど、今夜はそれがない。
 もちろんこれは出先だからでもあるし、眠る竜の気配が不思議な静寂を生み出してるせいもあるかもしれない。
 本当に静かだ。
 戦争か……。
「本当に、全部夢だったらいいのにね」
 僕の代わりにルックが言った。
「夢かあ……」
「うん、そうだったらどんなにいいだろう。この国の、たくさんの人が感じてる哀しみが、全部夢だったらね」
 たとえどんなに悲しくても、それが夢ならば、覚めてしまえばただの夢だから。
 夢の中で泣いていて、目が覚めても泣いてても、それは決して現実の世界じゃない。
 そんなふうに、すべてが精算されてくれればいいのに。
 そんなの、虫のいい話だって僕たちはみんな思っているけど。
「…あー、でもなぁ」
 シーナが困ったように顔をしかめた。
「全部が夢だったら、オレ、ふたりに会ったのも夢ってことにならない? それはちょっとやだなぁ」
「別にね。僕はそれでもいいけど?」
「僕も」
「えええ〜?」
 いつもみたいな軽口をたたき合う。
 だけど、シーナ。
 僕はシーナの言葉で、ちょっと複雑になったけどね。
 ……僕たちは…戦いがあったから、戦争になったから、出会えた……ってこと?



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