トライアングル14
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 シークの谷、というんだそうだ。
 水晶の巨大な結晶が至る所に乱立してて、この世のものとも思えない景色。
 夜でもないのに薄暗いせいか、余計に神秘的な感じがする。
 昨夜の話じゃないけどさ、まるで夢の中の風景みたい。
 こんな時じゃなかったらみとれてしまうくらいに綺麗だ。
 でもこんな場所にもやっぱりモンスターはいるんだよね。
 あっちこっちの水晶の陰からツタだの岩だのが襲いかかってくる。
 息つく暇もないってこういうことだね。
 あげく、馬鹿でかい水晶の親玉みたいな奴まで現れたからやっかいだった。
 何とか倒したけど……。
「はあ…。なんとかならないの、このモンスターの量は。…悪いけど、魔力、尽きかけだよ」
 フリックたちが離れた隙をついて、ルックが溜め息をつく。
 僕も乾いた笑いを浮かべた。
「うーん…。なんとかなるもんならいいんだけどね…。だいぶ奥まで来てるから、もう少しじゃないかなって思うけど」
「ルック体力もないもんね。背中、貸そうか?」
「結構」
 ルックがその提案に乗るはずはないと思うけどね。
 でもシーナ、一応言うんだ。
 ほんとに、懲りないよね。
 ………そんなふうに。
 変わらないやりとりを、している時だった。
 なんの前触れもなかった。
 突然、背筋が冷えた。
 なにか、近付いてはいけないものに近付いたみたいに。
 そして、右手が、熱くなった。
 いきなりルックがばっと天を仰ぎ見る。
 シーナが慌てたように、
「レイ!? ルック!?」
 僕たちの名前を呼ぶ。
 ルックは空を睨み付けたまま、低く抑えた声で言った。
「…来てる。邪気だ。………歯車の回る、音だ……」


 その魔術師は、僕たちを見下ろしながら嫣然と微笑んだ。
 でもその笑いは、どこかぞっとするものがある。
「まずは、ここまで来られたこと……褒めてあげようじゃないか」
 笑いながら、魔術師…ウィンディは言った。
 僕たちは知らず息をのむ。
 こんなところで真打ち登場とはね…。
 まさか、とは思ってたけど、そうか。
 竜騎士団領の竜が眠らされていたのは、こいつの仕業ってわけか。
「せっかくだけど、月下草は持って帰らせるわけにはいかないねえ。素直に帰った方が身のためよ」
 そうは言うけど。
 無事に帰す気はないだろうな。
 今までのことを考えれば…負ければ殺されるんだろう。
 もちろん勝ったところで、相当の痛手を喰う。
 なにせ相手は、一国の命運を握って離さない。
 それだけの力を持っているんだ。
 目の端で、フリックが剣の柄を軽く引く。
 僕は棍を握り直した。
 その僕に、すうっとウィンディの視線が辿り着く。
「…そうね。坊や。おまえには用があるのよ」
 来たか。
 目的は僕なんだろうと見当はついてた。
 いや、違うか。
 僕、じゃない。
 僕の右手に宿る、この紋章だ。
「……心当たりはありませんが?」
「ふふふ、とぼけようって言うのかい? わかっているよ、その右手……。その紋章を、渡してもらおうかしらね」
 もちろん、それでごまかせるとは最初から僕も思ってない。
 それから、渡す気も当然ない。
 たとえ差し違えても、僕はこれを渡さない。
 それが、約束だから。
 大切な親友との、約束だから。
「どうしたの。さあ、渡しなさい」
「……渡せません」
「おまえごときにその紋章が使いこなせるとでも?」
「そうじゃない。約束だから……あなたには渡さない、と」
 けれどウィンディは、余裕の表情を崩すそぶりすら見せない。
 何かあるっていうんだろうか。
 だろうな、策は二重三重に巡らせてるだろう。
 まさか単身乗り込んでくるともさすがに思えない。
 人間か?
 モンスターか?
 それとも、両方か?
 僕はいつでも飛び出せるように、上体を低くした。
「そうかい。…これはわたしからの頼みじゃないんだけどねぇ。もともとの持ち主がそう言ってもかい?」
 ………え?
 もともとの持ち主?
 ウィンディのセリフに、僕は目を見開いた。
 一瞬頭が真っ白になった。
 持ち主…。
 僕が知る持ち主は、ふたりだけ。
 そのひとりは、300年前に亡くなった。
 そう、それこそ、紋章を護るために……。
 なら、答えはひとつなんだ。
 ひとつだ、けど。
「おいで、テッド」
 ……これは?
 これは、なんなんだ?


「久し振りだな、レイ」
 聞き慣れた声だ。
 でも……何かが…。
 それが何かは、僕の頭では一致しない……頭の中が、ぐちゃぐちゃだからだ。
「まさか、ほんとに俺を置いて逃げちまうとは、びっくりだよな。あんだけ仲良かったのに、裏切られるなんてさ。おかげでその紋章を返してもらうのに、こんなに時間がかかったよ。…まあ、いいや。あの時のことは水に流すよ。だから、それ……返してくれないか」
 テッド……。
 あれだけ、会いたいと願った友が、目の前にいる。
 だけど、なに?
 なにかが…警鐘を鳴らす。
「ほら、レイ。返せよ」
「テッド…僕は……」
「俺はその紋章で今まで生きてきたんだよ。それを奪おうってのか?」
 ………僕は…。
 テッド!
 僕は…手を、のばしかけた。
 テッドが僕に向かって伸ばしかけてくる手、それを取ろうとした。
 けどその僕を押しとどめるのも、僕自身。
 どうしたらいいのかわからない。
 どうしたらいいのかわからない。
「レイっ!!」
 声…ルックだ。
 僕はそっちを呆然と見る。
 ……僕は……どうしたら……。


 ────レイ!!!


 っ!
 僕ははっと我に返る。
 声が聞こえた、外からじゃない、僕の中から…。
 ────レイ、聞こえるか? レイ!
 え……テッド?
 ────そうだ、俺だよ。よかった、届いた……。
 どうして……。
 ────…いいか、レイ。俺にはもう時間がない。手短に言うから、聞いてくれ。
 ────俺は、ウィンディに支配の紋章で支配されてる。
 ────どうやら、元の持ち主である俺とその紋章には、まだつながりがあるみたいだな。
 ────だから、何とか今はこうやって紋章を通じておまえに話しかけることができる…。
 テッド!
 じゃあ、その支配の紋章がなくなれば、テッドは…。
 ────……。いや。もう無理だよ。俺が完全に俺じゃなくなるのも時間の問題だ。
 テッドがテッドじゃなくなるって…それは…。
 待って、それって…。
 嫌だ、テッド!
 ────うん。…レイ、今も言ったけど、俺には時間がない。
 ────俺がこれからすることは…俺の意思だ。
 ────誰かに操られてるんでもなんでもない、俺が決めた道だ。
 ────だから……わかって欲しい。
 …待って……っ!


 僕の中のテッドの声は、そこで途切れた。
 待って、テッド!
 君は、君はなにを……!!
 目の前の、テッドの顔。
 僕がよく知っているテッドの顔とは違う、どこか高圧的な顔。
 …その顔から、ふいに不自然さがすっと抜けた。
「ソウルイーター……俺が、300年間この手に宿し、守ってきたもの…。レイ、どうしても返してもらう」
 まっすぐに僕を見る目。
 懐かしいまなざし。
「俺は、それを宿し続けることで、その意味を知った。それはまさしく『呪い』の名にふさわしい紋章だったよ。300年前、俺の村は滅びた。そしてそのとき、ソウルイーターは村のすべての者の魂を……喰ったんだ」
 !
 魂…を?
「そうして彷徨い続ける長い時間の中で、そいつが何度戦いを引き起こしてきたことか。そいつは、魂を糧とする紋章……己の糧のために、戦いを起こす。そうして戦いの中で死んだ者たちの魂を餌にするのさ。なあ、レイ。その紋章はそう言う意味を持つんだぜ。…だから、わかるだろ?」
「魂を……盗んで…喰らう……?」
「そう」
 戦い…。
 僕が今…。
 死んだ者たち…。
 魂を………!
「わかったろ? 解放軍の元リーダーっていうオデッサさんって人の魂。父親の魂。グレミオさんの魂。……みんな、ソウルイーターが盗んだんだ」
 あ……。
 ああぁ……!!
「! まさか、おまえ!!!」
 ウィンディが何かを叫んだのが聞こえた。
 でも、耳に届いただけだ。
「ソウルイーター。おまえは持ち主に近しい者の魂を、好んで盗む。……だけど、それもこれで最後にしろよ」
 僕は、目を上げる。
「300年の長きを主としておまえを宿してきた者として、命ずる。ソウルイーターよ、俺の……俺の魂を盗め!!!!」


 景色。
 一瞬、ぱっと明るくなった。
 だけどその一瞬が、長い。
 真っ白で目が眩むような、長い長い沈黙の光。
 なにかが、空間を駆け抜ける。
 そうして……僕を巡り、右手……。
 右手が熱い……。





 いったい
 いったいなにが
 なにがすべてを変えてしまった?
 共にいたはずで
 共にいるはずで
 それは
 この先もずっと変わらないと
 信じて……いたのに…………





Continued...




<After Words>
他に方法はなかったんだろうか…。
それはやはりいつも思ってしまうのですが。
他に方法はあるはずだと。
全員が幸せになる方法があるはずだと。
それを模索しているのに、でも、間に合わない。
たとえばこれがオリジナルなら、何とかして救うんですけど。
でも、それもままならないんですよね。
パロディは、設定が楽だし、その設定に乗るのも楽しいんですが、
時々こんなにもどかしいんですね……。



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