October 13th, 2003
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晴天続きのレイスフィア城。
湖上を駆ける風は水の香りを含んで、少し涼しい。
僕は窓枠に頬杖をついて、その風に吹かれていた。
頬をなでてくる涼しさが気持ちいい。
ふいに、それが強くなる。
後ろ…部屋の中で、何かが翻る音がした。
あっ……書類!
慌てて振り向くと、やっぱり机の上に置いておいた書類がひらひらと踊ってる。
ヤバい、機密文書だ!
一応重しを乗せといたと思ったんだけどな。
散らかしたままだったからきっとどこか乗ってないところがあったんだ。
僕って、こういうドジを普通にやるからなあ…。
なんとか飛び回ってた書類をかき集めて、大きく息を吐いた。
で、一度こうやって仕事を手にしちゃうと駄目なんだよね。
息抜きをしてたはずが、つい仕事に戻っちゃう。
やり始めたら止まらなくなる。
別に、やりたいわけじゃないんだけどさ。
なんなんだろう、これって……。
僕の性格って奴なのかな。
だとしたら、僕って結構難儀な性格してるのかも。
…あぁ、でもほんとに今日はここまでにしよう。
どうせここから先は僕だけで決定するよりも評定で決めた方がいいところになるんだし。
さっき目を通したんだから、やめよう。
うん、よし、やめるぞ!
思わず没頭しそうになる書類から顔を上げて、無理矢理に紙の束をまとめる。
大事な文書はマッシュに渡して、それから兵糧の件は……って、また僕仕事のこと考えてる。
クレオが心配してるんだよね、僕が一心不乱にリーダーとしての責務をこなしてると、疲れるんじゃないかって。
もちろん疲れるんだけどさ……それを言うわけにもいかないだろ。
グレミオがいなくなってから、その分クレオが心配性になった。
その気持ちはわかるから、僕は何も言わないけど。
そうだ、書類、クレオに預けておこう。
何かしていた方が気は紛れるだろうし…僕もクレオのことをいつも大事に思ってるって、伝えたい。
伝えられる時に、伝えておかなくちゃ。
案の定心配げな顔をしたクレオに書類の分配を頼んで、僕はふらりと階段を下りた。
特に目的はない。
踊り場から下の階へと足を伸ばすと、とたんに人の声が大きくなる。
僕のいる最上階って、人が少ないからね。
だから急に喧噪に包まれる感じがするんだ。
静かなのも嫌いじゃないけど、こういうざわめきが僕は好きだ。
戦いのさなかでも、前に向こうとしている人たち。
そんな姿を見ていると、頑張らなくちゃ、と思う。
僕は少し暖かな気持ちになって、そのフロアに足を向けた。
…会釈してくれる人、ちらりと見てくる人、反応は様々だけどね。
なんとなく、その次の角を右に曲がった。
すると。
「きゃっ!」
高い声。
「あ、ごめん」
そうだよな、いきなり曲がったら危ないよね。
でも、ぶつかったわけじゃないから大丈夫だと思うけど…。
驚かせちゃっただろうか。
「ぼんやりしてた。ごめんね、ぶつかった?」
「あ、いえ……大丈夫です!!」
しゃん、と背を伸ばしてそう言う。
けどそう言ったっきり、固まっている。
「………カスミ?」
「え…? あ、その、すみません」
僕が顔を覗き込むと、慌てたように首を振る。
なんだかその仕草が困り果てているようで、僕まで困ってしまう。
こ、こういう時ってどうすればいいんだ?
僕とあまり変わらない目線の高さ、でも目が合うとさっと俯いた。
う……。
なんだろう、なんか言った方がいいんだよね、たぶん……。
じゃあ何を言ったらいいのかな……。
あああ、困った。
考えれば考えるほどわかんない。
……シーナ!!
女の子の扱いには慣れてるんだろ?
なんでこういう時にいてくれないんだよ。
あぁ、もう、助けてよー…。
妙な沈黙が続いて、僕は気まずさに頭を抱えたくなる。
と、ようやくカスミが顔を上げた。
「あの……ご無理をなさいませんように。失礼します…っ」
体を硬くしたままそれだけを言う。
僕がそれに返事をするよりも前に、さっと僕の横を通り過ぎると、向こうへ駆けていった。
振り返ると、その姿はもうない。
さすが忍び、と思う暇もなかった。
「よぉ、レイ」
振り向くと、にやにや笑ったシーナがいる。
「なんだよ。いつからいたの?」
「ちょっと前からそこの部屋にいたよ」
それで、なに?
僕とカスミの会話にもならない会話を聞いてたってわけ?
あんまりいい趣味とは言えないよ。
「なんで出てこなかったわけ?」
「そりゃあ、まあ……いい雰囲気なのかなぁと思ってさ。邪魔しちゃ悪いし」
えええ?
あれ、いい雰囲気っていうの?
僕は会話さえままならなくて、どうしたらいいかわからなかったっていうのに。
「あのさぁ、どこをどうもっていい雰囲気だなんていうの?」
「だってそうだったじゃん。オレ、今にも告白タイムになりそうで、へこんじゃったぜー」
「告白? なんの?」
いきなり何を言い出すんだろう。
僕が問い返すと、シーナは目を瞠った。
そしていきなり僕の顔をまじまじと覗き込んでくる。
ずいぶんと近い距離。
僕は何を言われるのかとどぎまぎしてしまう。
「……あのさ。つまんないこと聞くけどさ。…それって、マジ?」
「なにが?」
「………気付いてないの? カスミちゃんさ……惚れてるよ?」
「誰に?」
がくんとシーナが肩を落とす。
首を傾げると、ちらりとシーナは僕を見る。
僕を……え?
えっ?
まさか、と思うけど。
そのまさかだったりするわけ?
「もしかして……僕、に…?」
こくん、とシーナ。
なんだって?
僕の頭はすっかり混乱する。
「レイってすっごい人気だよなーとか思って見てたんだけど。お互い意識して黙り込んでんのかと思ったよ」
「僕は、カスミが黙るから何を喋ったらいいかわかんなくって途方に暮れてたんだ。それどころか、シーナが来てくれればこの場も何とかなるんじゃないかってばっか思ってたんだからさ…」
「もしかしてレイってさ、女の子苦手? 可愛い子とか見ても何とも思わないわけ?」
「可愛いなあ、くらいは、思うけど……それ以上って何か思うもの?」
いや、マジでさ。
あぁ…でも、たしかに、僕の年なら恋人とかいてもなんの問題もないんだし…。
それどころか、いる方が普通なのかもしれない。
だけど、そういうのって興味ないし……。
「オレより年上だったよなぁ…?」
「2つばかりね…。だけど僕も時々自分で自信ない……」
上目遣いにシーナを見ると、シーナはぷっと吹き出した。
笑うなよ…。
僕は恨みがましくシーナを睨みながら、ちょっと前のことを思い出していた。
なんか、前にもこんなような話をしたような気がする。
いつだっけ?
シーナは腕を組んで壁に寄りかかった。
「それがレイらしさっていえばレイらしさなのかもしんないけどな。でもさ、よく『恋人がいないと淋しい』っていうじゃんか。そういうのもないわけ?」
「じゃ、シーナは淋しいんだ?」
「べ…別にオレはそういうんじゃないけどさ。なんつーか、もう…癖っていうか趣味っていうか。…あー、オレじゃなくて、レイは?」
「僕? 僕も別に……。女の子がどうこうより、シーナとルックがいればいいし」
びっくりしたように目を見開く。
そんなにびっくりするようなこと?
かりかりとシーナは頭を掻く。
「まぁなー…オレは、嬉しいから…いいけどさ」
ぽつん、と呟いて。
それから、誤魔化すようにひとつ手を叩いた。
「そーだ。どうせレイ、今暇だったんだろ? アフタヌーンティとでも洒落込まない?」
「え? あのバラの庭園に潜り込むわけ?」
「げっ。あそこはちょっとなあ…」
悩み込むシーナに、僕は笑った。