〜月檸檬〜

March 23th, 2002

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− 1 −

 静かな夜の底で、丸く切り取られた穏やかな光。
 それは淡く、色もなく、ただまばゆく。
 たゆたうように、揺らめくように、その光に洗われて。
 冴え渡る光のほのかな甘さに、誘われて僕は窓から身を乗り出す。
 あぁ、高いあの月。
 刻々と満ちゆく、痛いまでの輝き。
 そしてやがて欠けていく、永遠の摂理。





 その日の夜は、なんとなく灯りをつけなかった。
 別に深い意味があったわけじゃないけど。
 窓辺に椅子を引っ張ってきて、月の灯りで本を読んでいた。
 今夜はグレミオもいない。
 さっきまでわさわさばたばたとしていたかと思ったら、なんだか忙しそうに出て行った。
 解放軍にはまだ人が少ないから、僕の付き人のグレミオまで駆り出されることがしょっちゅうだ。
 僕の手を煩わすまでもないけどわりと忙しいこと、は結構あるらしい。
 まぁ、グレミオがいなきゃ夜更かしだってできるから。
 たまにはいいんだけどね。
 …なんて言うとグレミオに怒られるけど。
 僕は、ページをめくる。
 月の光って暗いようなイメージがあるけど、それって太陽と比べるからなんじゃないかな。
 雲のない空に輝く月はそれなりに明るくて、半分より少しだけ満ちただけとはいえ、字を読むのに支障はない。
 月の光は不吉だって見る向きもあるみたいだけど、僕は好きだな。
 静かで、涼やかで、鮮やかだ。
 ……もちろん、大騒ぎが嫌いってわけじゃない。
 僕だって一応は(ここがポイントなんだけど)10代の若者で、それなりに大騒ぎは好きだしさ。
 そのわりに月の光が好き、だなんて、僕ってもしかして老成しちゃってる?
 まぁ、ねえ…それもしょうがない、のかなあ。
 ここじゃ完全に大人扱いだし、もちろん僕だってそのつもりだし。
 もしかしたら特殊な人生歩んでるんじゃないかなんて、気が付いちゃっても気付かないふりして過ごさなきゃね。
 考え込んじゃうと深みにはまりそうだからさ。
 ああ…でも今夜は本当に静かだ。
 普段なら表で人の走る気配がしたり、船着場に寄せる波音が聞こえたりするのに。
 こんな夜もあるんだなあ。
 でも、そういうときに限って、人の声が恋しくなったりする。
 ないものねだりっていうんだろうけど、でも自然にそう思っちゃう。
 人間って、わがままな生き物なんだと思うよ。


 けど、僕は知ってる。
 僕ってものすごくタイミングがいいから。
 人の声が恋しいだなんていやに感傷的になるときには、必ず抜群のタイミングで、あのドアが鳴る。
 だから僕は、そばにあったしおりを本の間に無造作に放り込むんだ。
 ほら、今日もね。
 ばたばたとやかましい音が近付いて、ドアが無遠慮に鳴って、次の瞬間にはもう開いてる。
「あぁ、よかった、レイ。起きてたんだ」
 走り込んできたのはシーナ、よっぽど慌ててたのか肩を上下させてる。
 ね?
 僕ってタイミングいいでしょ?
「どーしたんだよ、そんな息せき切って。別にそんな大慌てするような用事じゃないんだろ?」
「んー…まぁ、普通はそうだろうけどさ。でも、急ぎの用件! レイ、今って忙しい?」
 僕は本をかかげるようにして、肩をすくめる。
「忙しいように見える? ただ本読んでただけだよ」
「急ぎの本じゃないやつ?」
「うん。急ぎなら返事してないってば」
 冗談だけどね。
 本当に軍務のことで必要なものだったら、そのくらい忙しそうにはしてるよ、ってこと。
 第一、兵法だとかの本ならマッシュのそばで読んだほうがよっぽど早いしね。
「あ、じゃあ暇なんだ」
「暇っていったら語弊があるけど。僕ってしょっちゅう誰かが呼びに来たり探しに来たりする人気者だからさ」
「……そんな人気、やだなあ……」
「あははは。シーナだったら大体ご両親の呼び出し率が高いもんな」
「うっ。それを言うなって」
 ぐさりと胸を刺されたような仕草をするシーナに、僕は笑う。
 けれどシーナはすぐに「あ」と声をあげて、
「そうだそうだ。こんなにゆっくりしてる暇ないんだっけ。ちょっと一緒に来てくれない?」
「いいよ」
 シーナは胸をなでおろして、さっと廊下の方に消える。
 僕も本をベッドの上に放ると、そのあとに続いた。


 シーナは僕の部屋のある最上階のフロアから、さらに上に向かって階段をのぼる。
 この先には屋上があるだけ。
 シーナって、屋上好きだよね…。
 気が付くとしょっちゅう屋上にいない?
「ん? なんか言った?」
「…言ってないよ」
 なんでばれてるんだよ。
 そりゃ、言おうとはしたけど。
 高いとこ好きなのは、頭の中身が軽いからなんじゃないの、って。
 でもこの手の冗談を言うと、また嬉しそうに突っかかってくるからなあ、こいつ。
 少し不思議そうに僕を見て、シーナは再び駆け上がる勢いで屋上を目指す。
 周りがいやに静かなせいで、僕たちの足音はびっくりしてしまうくらいに高く響いた。
 それはほんの少しの間なのに、やけに長く感じたりして。
 やがて最後の段を踏みしめ、シーナのあとから屋上に出る。
 その瞬間、涼しい風がさあっと頬を撫でていった。
「あ、まだいたぁ。よかった……」
 目の前にあったシーナの姿が、安堵の溜め息と一緒にいきなりすとんと沈み込む。
 すると、今まで狭かった視界が、急に大きく広がった。
 ほんのりと淡い黄色の月。
 降り注ぐ光は、白。
 その光で白く縁取られたように見える縁にもたれかかるように、ひとつ人影がある。
「…もう帰ろうかと思ったところだよ」
 組んだ足を反対に組み替えて、溜め息まじりのセリフ。
「まあレイに免じて帰らないでやるけどね」
「そうこなくっちゃ」
 風に吹かれて緑の法衣がなびく。
 光の加減で薄く輝いて見えた。
 ははあ。
 そういうことか。
 先に連れ出されたのは、ルックだったわけなんだね。
 ああ、なんだかその状況が手にとるようにわかるぞ。
 まず、シーナがなんだかんだ理由をつけてルックを連れ出す。
 するとルックはどうせ文句を言うわけだ。
「何であんたと2人でわざわざこんなところに来なきゃなんないわけ?」
 とかなんとかさ。
 そうするとシーナはまたよせばいいのに、
「え〜? だって、オレとルックってこんなに仲良しじゃんっv」
 なんて言うんだよ。
 そんなこと言われてルックが平静でいるわけないもんな。
 とたんに、
「帰る」
 なーんて冷たく言い放っちゃうもんだから、シーナは慌ててルックのご機嫌をとったりして。
「あ、帰っちゃわないで! …そうだ、レイ、レイ連れてくるからさ! 3人ならいいでしょ? ね?」
「……1分以内に戻ってこなかったら帰る」
「えええ? そりゃないよ、せめて3分くれって〜!」
「あと50秒」
「わわわわわ…い、行ってきますっっっ!!!!」
 ……そんな感じだ、絶対そんな感じだ。
 なんて行動の読みやすい人たちだよ。
 内心にやついてると、目を伏せていたルックがちらりと僕を上目遣いで睨んでくる。
「…レイ? そのなにか言いたそうな顔は何?」
「なんでもないってば。…何も言ってないだろ?」
「言いたそうだよ?」
「……いや…その」
 しかもこの2人、なんで何も言ってないのに僕の心を読んでくれちゃうかな……。



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