〜バレンタイン・パニック!〜

February 14th, 2002

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 今日は、よく冷える。
 朝まだ早いから、仕方ないとはいえ。
 まさかその名前にちなんだわけではなかろうが、大体がこの城は開放的すぎるのだ。
 いや、字が違うのだしそんなわけないだろう、とひとりごちながら湖の上に渡された渡り廊下を歩く。
 廊下……。
 そう言ってもいいのだろうか?
 完全に「外」であるそこには、湖の上を渡ってさらに冷やされた風が容赦なく吹きすさぶ。
 顔を出したばかりの太陽は、まだこの冷気を払拭するほどの力がないらしい。
 以前は廃墟で、怪物が住処にしていた、と聞く。
 そこから改装されて少ししてからここにやってきたのだが、第一印象は悪かった。
 あからさまに「要塞」の雰囲気が漂っていて、どうも堅苦しそうだったのがその原因だろう。
 改装するなら、そのあたりもちゃんと改装してくれればいいのにな、と思う。
 城と呼ぶにはずいぶん小ぢんまりとした入り口を入ると、例の怪物が石化した状態で見下ろしてくるのもどうもいただけない。
 どかすとか壊すとかすればいいのに、と思うのは勝手だろうか。
 とはいえ、細々と文句を言うだけにとどめているのは、リーダーがしっかりとその責務を果たしているからだ。
 これ以上の負担をかけさせるわけにはいかないと誰に小言を食らわずとも理解している。
 そのあたりの最近の考え方は、たぶん昔の彼を知る者にとっては仰天ものだろう。
 とくにジョバンニあたりは腰を抜かしそうだ。
(やっぱ上着、着とくべきだったなあ)
 1枚簡単に羽織ってはいるものの、これではやはり寒かったようだ。


 寒さで手がかじかんで、いつもの渡り廊下が幾分長く感じられる。
 シーナは、目の前に黒く穴をあけるように見える出入り口に半ば飛び込むようにして駆け込んだ。
「…っあー……寒っみー…」
 一歩入り込んだそこは、がんがん目一杯に火を入れた暖炉のおかげで、ほんわりと包み込むように暖かい。
 が、一度冷やされた体には、その暖かさがかえって寒さを感じさせる。
 氷のように冷たい手をこすり合わせるが、なんだか一向に温まる感じがしなかった。
 今日はいっそのこと、布団でもかぶっていようか。
 こう寒いと何もやる気が起きない。
 よし、そうしよう。
 拳を握って決意を固めると、早速シーナは自室の方向へと足を向けた。
「あ、いたいた〜。シーナくーん」
 と。
 はしゃいだ声が背後からかかる。
 もちろん次の瞬間には明るい笑顔で振り向いている。
「ロッテにテンガアール。なになに? オレとデートしてくれるのv」
 今まで葉の根が合わないほど震えていたとは思えない、すらすらと口をついて出る言葉。
 駆け寄ってきたテンガアールは肩をすくめて、
「そんなわけないでしょ? ぼくには大事なヒックスがいるんだから!」
「えー? そろそろ乗り換えない?」
「乗り換えない!」
 きっぱりとシーナをかわしたテンガアールは、隣のロッテに耳打ちする。
「…やっぱり、あげるのやめない?」
「うーん、でも用意しちゃったし」
「もしかして、これに気があるの〜?」
「ないない、絶対ない」
 聞こえてますけど、とシーナは内心苦笑する。
 いろいろ口説いて回っているが、どうもこの城の女性(とくに宿星)はガードが固い。
 この2人にも顔を突き合わせるごとに口説き文句を並べ立てているが、未だに落ちかけるそぶりもない。
(うーん、まあ、それもまた落とし甲斐があるってもんだけどね)
 そんなことをつい思ってしまうのだから、始末に終えないのだ。
 2人はそうしてしばらくひそひそとやっていた。
 一体なんだろうともう一度声をあげようとしたが、ちょうどそのタイミングでロッテが小さな箱をシーナの手の平に落とした。
 え、と思っていると、今度はテンガアールが一回り小さな箱をシーナに手渡す。
「…これ…?」
 シーナがぼそりとつぶやくと、テンガアールはきっと目を上げる。
「いっとくけど! 義理だからね!!」
 ぽかん、としてしまう。
 義理…ということは。
「じゃ、次行こ」
「次は?」
「えーっと」
 ロッテとテンガアールは、さっさとシーナを置いて階下へと消えていった。


 これは…。
 シーナは思わず手元を見つめた。
 小さな箱が、ふたつ。
 ご丁寧に上の面に『義理』と書いてある。
「うっわ……すっかり忘れてた……」
 声が思わず上擦る。
「今日って、もしかしなくても…バレンタインデーとかいうやつ?」
 2月14日。
 一体どこから広まった風習なのかいまいちよくわからないが、女の子が好きな男の子にチョコレートを送るという、あれ……。
 この時期、そのカカオ豆を加工した洋菓子がやたらと流行る。
 普段の何倍の売上だとかで、業者が泣いて喜ぶイベントだ。
 帝政の軋轢も女の子の恋心までは押さえつけられなかったらしく、売上は一時期に比べて落ちたものの、イベントに走る女の子は少なくないという。
 もちろん、シーナもそれに関して文句はない。
 物心つくかつかないかの頃アイリーンからもらって以来、近所のお姉さんや友達やおばさんに至るまで、毎年その恩恵にあずかってきた。
 あっちこっちをうろうろしていたときも例外ではなく、ちょうど滞在した町でもらうこともしばしばあったし。
 しかも恵まれたことに、シーナにはお返しができる財力がある。
 当然それは父であるレパントのものなのだが、「受けた恩は返さなければ割に合わない」という理にかなっているようで若干ずれている論理でちょろまかした。
 放浪しているときも、その時期にはちゃっかり戻って「恩返し」資金を手に入れていたのだ。
 そのお返しを期待していた女性もいたかもしれない。
 だがどちらにしても、口説いてかわされる、そのやりとりを楽しむ手段のひとつであるから、そんなことは大して問題ではないのだ。
 だから、毎年この季節を楽しみにしていたはずで。
 忘れるはずはないと思っていたのだが…。
「あああ、オレとしたことが、一生の不覚!!!! 寒いなんて言ってらんないよな、みんながオレを待ってるぜ〜v」
 びしっと拳を振り上げ、周りの人間のぎょっとした視線を浴びながら、シーナは鼻歌まじりに駆け出していった。





 シーナはほくほくと顔をほころばせる。
 その腕には、抱えるほどの量で箱やら袋やらがたくさん積まれている。
 赤やピンクにオレンジに、総じて暖色系が多い。
 その色が特別好きなわけではないが、なんとなくあったかくて、可愛い感じがする。
 たぶん色が可愛い、ではなくてそれをくれた子が可愛い、というのに過ぎないのだろうけれど。
 両腕には途中で調達した紙袋が2つずつぶら下がっていて、その中にもあふれんばかりの包み。
 湖の対岸から見ると寂れているようにもみえるこの城の、一体どこにこんな大勢の女の子がいたのだろう。
 そう思いながらにやにやと歩いていると、廊下にいた女の子がまた包みを持って近寄ってきた。
 これは大収穫かもしれない。
 シーナの撃沈数が多いのは、それだけ声をかける子が多いからだ。
 ということは、なびく子も多少なりといえどもいるということで。
 解放軍の中では逆に面白いくらい誰もなびかないが、声をかけられてなびきはしなくても、多少気にしている子だっているのだろう。
 たしかに、次から次へと声をかけまくっているから敬遠されがちだが、黙っていれば美少年の枠に十分収まる顔立ちだ。
 しかも育ちがいいからじっくり見てみると物腰もどことなく優雅だし、財力だって申し分ない。
 だがそれも、黙っていれば、なので、結果は撃沈と相成るわけである。
 そこに気がついていないところがシーナの大きな敗因だ。
 とはいえ、本人にとってはそのやりとりを楽しむほうが主であって、付き合うだの遊ぶだのはオマケに過ぎないから丁度いいのかもしれない。
 今日も実は「ちょうだい」を連発して平手打ちを食らったりしているのだが、あまり気にしていないようだ。
 お返しができる財力がある以上、このイベントが嬉しくないはずはない。
 バレンタインデーのチョコレートは愛の証。
 本当に「好きです!!」なんて言われて渡されてはかえって引いてしまうだろうから、「義理です」と言われて冗談ぽく渡されている今の状況が断然楽だ。
(本物の愛してます、じゃ重いじゃん。もっと楽に行こう、楽にさ)
 ふふふん、と鼻歌も軽く、足取りも軽い。
 と、そのシーナの足がぴたりと止まる。
 義理だらけのチョコレート。
 これを女の子たちはばらまくようにして配っていたけれど。
 ということは……。
(そうだ、ちょっと様子を見に行ってみようかな〜v)
 にぃっと笑うと、シーナは階下に向けかけた足をくるりと逆に向けた。



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