March 3rd, 2002
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※ ギャグなんですよ。ギャグなんですって。
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廊下の曲がり角、その向こうで話し声がしているのを確認して、息を深くつく。
一応打ち合わせはした。
だが、その打ち合わせの相手が相手だったから、いまいち不安が残らないでもないのだが。
廊下の向こうの話し声は、どうやら区切りがついたらしい。
この際仕方がない。
ルックはもう一度息を吐くと、意を決して足を踏み出した。
なにやら立ち話をしていた様子のグレミオが、わずかに遅れてルックの姿に気がついた。
相手は立ち去ってしまったのかもういない。
「あ、こんにちは。どうしたんですか、珍しいですね」
そう言って笑うグレミオに、ルックは無言で歩み寄った。
そうして近付くと、
「ちょっといい?」
と小さく話しかける。
グレミオは驚いたようだったが、すぐになんですか? と問い返してきた。
「実はレイのことなんだけど」
「ぼっちゃんの? あっ、そういえば先程から姿が見えないですけどっ! 一緒にいらしたんじゃないんですか!?」
今にも「ぼっちゃあああん!!」と叫んでレイを探しに走り出しそうなグレミオを片手で制して、ルックは目を上げる。
「ああ、つい今までね。…それが、どうやらちょっとレイの紋章の調子が悪いようなんだ」
「紋章? ですか?」
「そう。普通の紋章だとそんなこともないんだけど、真の紋章はたまにこんなことがあるんだよ。紋章が直に持ち主に影響を与えるんだろうね」
グレミオの顔色がさっと青ざめたのがわかる。
ルックは極力押し殺した声で、
「そうなると、紋章が暴走することがあるんだ。するとどうなるか…想像つくだろ」
告げるやいなや、グレミオがあからさまに慌て出す。
「そ、それは大変ですっ。あの、ぼっちゃんは、ぼっちゃんは今どこにっ」
内心焦ったのはルックだ。
今ここでレイを探しにいかれてしまっては困る。
「大丈夫、今はなんとか僕の力で押さえてるから。それに、あんたが行ったって危険なだけだよ。だから、あんたに話って、ここからなんだ」
「え……?」
「僕は今からレイをつれてレックナート様のところへ行く。手っ取り早く紋章を押さえるにはそれが一番だからさ。あんたにはその間、レイがいないことを軍の連中に悟らせないでほしいんだ」
「それは、どのような…」
「レイがいきなりいなくなったんじゃ、軍が浮き足立つだろ。心配しなくていいよ、そんなに時間はかからないから」
「そうですか……」
グレミオは誰がどう見ても心配で心配で仕方なさそうな顔で肩を落とした。
ルックは深刻な顔で頷いてみせる。
「僕が何とかするから。黙っててよ」
「…任せても、大丈夫ですか」
「そんなに僕は信用できないわけ?」
「あ、そんなわけでは。でも、私はぼっちゃんが心配で……」
「だから。すぐに何とかして戻るから、それまで頼む、って言ってるだろ」
すっかりしゅんとしたグレミオは、ちらりと視線をあげると力無く頷いた。
疲れたのはこっちだよ…と声にしそうになったのを、ルックはなんとかこらえることに成功した。
部屋まで戻ってきたルックは、今度こそ疲れ切った溜め息をついた。
迎えたのは、幾分か割り切った様子のシーナと、相変わらずちっちゃいままのレイ。
「おかえり。どうだった?」
「なんとか納得させたよ。はあ…まったく、こんな役目はもうごめんだね」
「そう言うなって。あのいいわけはルックが言った方が効くじゃん。それにさ、オレが言うよりルックが言った方が重要そうな感じするだろ?」
たしかに、という納得は小さな吐息になった。
それでなくともルックは天地が逆さまになっても冗談を言うタイプではない。
そのルックが深刻な顔をして「紋章が云々」と言えば誰だって信じざるをえないだろう。
シーナの目論見通り、あからさまないいわけを言い慣れないルックは緊張して表情が強張っていたのだが、それはグレミオに「よほど深刻だ」という印象を与えるのに十分な演技となった。
「まあ、なんにせよ、これで準備はオッケーってことだな。…それにしても、『紋章の調子が悪いからレックナート様のところに…』かあ。上手いな」
本当に感心しているらしいシーナ。
キャスティングはシーナだが、筋書きを考えたのはルックだ。
脚本家はシーナに全て任せるつもりだったのだけれど。
ルックは肩をすくめた。
「でも実際それくらいのインパクトはあると思わない?」
「たしかにな。…なあルック、ほんとに魔術師の島…だっけ、あそこに行くのか?」
「まさか。あの人に知られたら逆に厄介にもなりかねないし」
どこか遠くを見るようなルックに、足下のプチレイはきょとんと首をかしげた。
ふわりと暖かい浮遊感、何も感じない足の裏がなんだか変な感じがする。
いい加減慣れてもいいような気もするが、やはりなんだか奇妙だ。
地にようやく足をつけて、シーナはぶるぶると頭を振った。
「なにいまのなにいまの、おもしろ〜い!」
きゃたきゃたとレイの笑い声。
術を唱え終わったルックが息を吐く。
それを見比べながら、さらにあたりを見回したシーナが、ひとこと。
「……ねぇ、ここ、どこ」
まったく見慣れない景色だ。
いや、ありふれた景色だが、記憶とぴったり一致する場所ではない。
木々に囲まれた小さな草地、ところどころに土が見えて、そこにようやく晴れた空の暮れていく青を映す水たまり。
その向こうには、小ぢんまりとした建物があった。
家、というよりは小屋、に近いような。
「隠れ家…みたいなものかな」
「隠れ家ねえ」
「そう。たまに寄ったりするけど。結構いろんなところに建ててあって、休息地になってたりするんだ」
へえ、とシーナはその小屋を見る。
どうも小屋とルック、というののギャップが大きすぎる気がしないでもないが。
「ねえねえルック、はいってもいい?」
隠れ家という言葉に魅力を感じたようだ。
プチレイは目を輝かせてルックを覗き込んでくる。
「いいよ。ただし、久しぶりに来るから掃除してないんだ。だから、あんまりあちこち触っちゃダメだよ」
「はあい!」
元気よく返事をすると、プチレイはぱたぱたと駆けていった。
シーナが少し遅れてそれを追い、ルックは最後にその小屋に向かう。
近付いてみると裂け目も汚れもない小ぎれいな建物だということがわかる。
プチレイがノブに手をかけると、大したきしみもなくドアが開いた。
「わあああ。なかはおうちだね」
宝物でも見つけたような、弾んだ声。
飛び込むように中に入っていったプチレイに続いてシーナとルックも小屋に入る。
たしかに埃がたまっているが、そんなに放置された感じもしない。
「なんか…いいなぁ」
シーナが感激した声を上げたが、ルックはそれに肩をすくめて返した。
それもいつものこととすっかり慣れてしまったシーナはまったく気にしない。
さらにルックに向かって、
「たまに来てるんだよね。この前に来たのはいつ?」
「解放軍に入ってからは忙しくしてるからあんまり来ないよ。この前は…何か月前かな」
「ね、今度来る時はオレも連れてきてよ〜」
「今来てるだろ」
「ん〜、じゃ言い換える。今度から! ねっ」
ルックはあっけらかんと言い放つシーナの顔をちらりと見た。
こいつ、もしかして本気で言ってるんだろうか。
「……好きにすれば」