みにまむ’
=柊の記憶 前編=
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その日の夕方、テオが家に帰ってきた。
1か月ぶりの帰宅に、家人はおろか近所の者まで喜び、あっという間に夕食は宴会と化した。
それだけテオは人々に慕われているのだ。
隣に裏に向こう3軒両隣、とにかく付き合いのある近所の主人が真っ先に集まり、酒を酌み交わし始める。
その中にはレイとも親しい宿屋の女主人の姿もあった。
レイは「マリー、」と声をかける。
マリーは嬉しそうに屈みこんでレイに視線を合わせた。
「おや、どうしたの。お父さんのところに行かなくていいのかい?」
「いくよ。……ねえ、マリー、マリーのうちのやどやさんに、ちっちゃい子がとまってなかった?」
レイが尋ねると、マリーは記憶を辿るように首を捻る。
しかしすぐに首を振って、
「最近はないねぇ。2週間くらい前にレイぼっちゃんくらいの子が旅行できてたけど。3日くらいでまた次の町へ行っちゃったよ」
「そっか。…うん、ありがと」
「どういたしまして」
レイは小さく頭を下げると、人ごみの中をテオの方へと走っていった。
取り残されたマリーは不思議そうにその姿を見送る。
そこに都合よくグレミオが現れたので、とっさに呼び止めた。
「ちょっと。どうしたんだい、レイぼっちゃん。小さな子供? やけに気にしてたみたいだけど」
「あぁ……なんだか、今日初めて会った子がいて、その子がどうやら気になるらしいんです。マリーさんご存じないですか? 『ルック』という子らしいんですけど……」
「『ルック』? …あぁ、もしかすると、あの町はずれの……」
「ご存じなんですか!」
「詳しいことは知らないけどね。…でもちょっと難しい子みたいだけど……」
「難しい?」
噂なんだけど、とマリーは声をひそめる。
テオの休暇は5日で終わった。
荷物を詰めるテオを手伝い、レイはぱたぱたと走り回る。
手伝う、というより戯れているような。
「ぼっちゃん、ほら。そっち持ってくださいね」
「はぁい。ねえお父さん、これは?」
「それはここだよ。レイはちゃんとグレミオのいうことを聞くんだな」
「うん、ちゃんとぼく、お手伝いするもん」
テオは笑い、グレミオを見る。
グレミオは満面の笑みで頷いた。
「えぇ、えぇ、ぼっちゃんはとてもいい子ですよ。たまにいたずらなさいますけどね」
「ほう?」
「先日も料理を作っている私のエプロンの紐を引っ張りましてね…」
「あっ、グレミオ、いっちゃダメー!!」
しー、とレイが唇の前で人差し指を立てる。
くるくるとよく動く表情は、レイの明るい素直さがそのまま現れ出た顔だ。
テオはレイの頭に手を乗せると、くしゃくしゃとなでた。
「あはははっ。おとうさん、くすぐったーい!」
自分が長いこと留守をしているというのに、こんなにいい子に育ってくれた。
それはグレミオやクレオやパーンが留守をしっかり守っていてくれるからだ。
けれどおそらく、それだけではない。
レイ自身がまっすぐな性格をしているからだろう。
妻は無くしたけれど、テオにはこの自慢の一人息子がいる。
それがとても誇らしくあった。
「さて。父さんはそろそろ出かけるぞ」
「そっか。こんどはいつ帰ってくるの?」
「そうだなぁ。今回はあまり時間もかからないだろうな。すぐ帰るよ」
「わかった!」
にこり、とレイが笑う。
それに答えて、テオは荷物をとった。
「それじゃあ、あとは頼むぞ、グレミオ」
「はい。お気をつけて」
小さな荷物を持って、レイも一緒に階段を下りる。
玄関先では、クレオとパーンも待っていた。
「テオ様、お気をつけて」
「ふたりも、よろしく頼む」
「はい」
その返事に満足げに頷くと、テオはレイの手から荷物を受け取る。
「それじゃあ、レイ。いい子にしてるんだぞ」
「はい!」
レイたちは、玄関先に立ってテオを見送った。
見慣れたとはいえ、やはり遠ざかる主人の背は何となく心細い思いで見てしまう。
やがて角を曲がったテオが見えなくなると、クレオがパン、と手を叩いた。
「さ! ぼんやりしてる暇はないよ。テオ様がいない間は私たちがこの家を守らなきゃいけないんだからね」
「そうですね。あ、私、洗濯の途中でした」
「それじゃあ…薪割りでもするかな」
家を任されたとはいえ、3人の年齢はまだまだ若い。
必然的に感じてしまう重圧を、なんとか乗り切らなければならない。
それに、彼らには守るべき主人代理がいる。
グレミオはぽつんと立ちすくむ小さな主人代理に笑いかけた。
「ぼっちゃんはどうなされますか? 遊ばれるにしても…寒いですから、家に入りますか」
最後までテオの消えた角を見つめ続けるレイ。
グレミオに問われてふと目を上げると、もう一度角に視線を戻した。
「ううん、おそとで遊ぶ」
「寒いですよ?」
「うわぎ、着るからだいじょうぶだよ」
グレミオはそんなレイを不憫に思う。
どんなに笑って、気丈に振る舞っても、レイはやはり小さな子供だ。
テオがいないことで、どれだけ淋しい思いをしているのだろう。
そう思うと、どうにもしてやれない自分が悔しくもある。
「………じゃあ、ぼっちゃん。ちゃんとマフラーもして下さいね。風が強いですから」
「うん」
レイが頷く。
(…ぼっちゃんにも、年の近いお友達がいてくれたら……。それだけでも違うんでしょうに……)
マフラーの襟の隙間から、冷たい風が吹き込む。
レイは首をすくめた。
外にいる、と言ったものの、今日の寒さは半端ではない。
だから遠くには行かず、庭で遊ぶことにした。
グレミオともそう約束した。
石をひとつ、ふたつ、重ねる。
それが崩れるとまた、同じように石を重ねる。
それを何となく繰り返した。
ひとつ、ふたつ。
時々風がそれを壊していく。
もう一度、石を重ねる。
そこに。
ぽーん……
オレンジ色のボールだ。
弧を描いて落ちて、そしてレイの積み上げた石に、あたった。
「あっ」
レイが小さく声をあげた時には、石はばらばらに散らばっていた。
一体どこから、と思って顔を上げたのと同時。
垣根から、ひょいと誰かが顔を出した。
金色の髪を短く切った、活発な感じの少年だ。
見たことがない顔だ、と思った。
少年は目が合うと、人懐っこい笑顔を浮かべた。
「こんにちは」
「えっと…こんにちは」
挨拶を交わすと、少年がレイの足下に視線を落とす。
「ごめん、当たっちゃったみたいだね。あのボール、おれが投げたんだ」
悪いことをして咎められたときのような顔。
表情ががらりと変わる。
それがとても印象深かった。
誰だろう、思ってレイは聞く。
「きみのなまえは?」
少年は、嬉しそうに笑った。
Continued...
<After Words> |
みにまむ。’(ダッシュ)シリーズの2作目。 みにまむバージョンのファーストコンタクトですね。 実はちょっと書きたかったところであったりします。 さらりと1話で書こうかと思っていたんですが、 ひとりに会うならともかくふたりに会うんじゃあね。 しかし子供の会話は難しいです。 漢字減らしたりボキャブラリー減らしたり。 時々間違ったことも言わせたりして……。 それもまた一興。 |