〜みにまむ’〜

= Rainy Holiday =

April 17th, 2003

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− 1 −

「よーし、じゃ、つぎはあそこの木まできょうそうだっ!」
 言うや否や、ぱっと駆け出す。
「あっ。シーナずるいっ! まってよ!」
 慌てて後を追おうとして、振り返る。
「いこ、ルック。シーナ、さきにいっちゃうよ」
「……うん」
 小さく首を傾げた仕草に笑って、レイは手を差し出す。
 ルックの手がそっと重ねられると、レイは手を引いて走り出した。
 ざざぁ、足の下で草が鳴る。
 時々足を取られて転びそうになりながら、どこまでも晴れた空の下を走った。
 速度をゆるめたシーナにふたりが追いつき、並んで走る。
 弾む息が不思議に重なって、このまま地が果てるまで走れそうに思えた。
 空を渡る風は、まだ冷たい。
 けれど、それに乗って、世界のすべてを見に行けそうな気がしていた。





「それでね、それでね、今日はね! むこうの、たかくなってるとこの、おおきな木までね、3にんでいったんだ!!」
 小さなレイにあわせた小さなマグカップ。
 その持ち手をぎゅっと握りしめたまま、興奮してレイが嬉しそうに話す。
 見ているグレミオは気が気ではない。
「あぁ、そうですか…よかったですね。あっ、ぼっちゃん、振り回しちゃダメですよう。中身がこぼれちゃいますからね、あ、危ない!」
「うん。…それでね、それでね、シーナがね!!」
 わたわたとグレミオが慌てるが、レイはそんなことお構いなしのようだ。
 クレオが苦笑して、湯気の立つカップを机に置いて椅子を引く。
「よかったですねえ、ぼっちゃん。でも、ちゃんとお食事しましょうね」
「うん! もうたべおわったよ。ごちそうさま!」
 マグカップの中に残ったスープを飲み干して、レイは元気よく立ち上がった。
 その拍子に机の上の花瓶が倒れそうになって、クレオがとっさに支えた。
「こら、気をつけてくださいよ」
「はぁい」
 ぺろり、レイが舌を出す。
 その仕草が愛らしくて、クレオは仕方なさそうに笑った。
 グレミオに至ってはもう骨抜きである。
「ぼっちゃん、そろそろお風呂に入りませんと。明日もシーナくんたちと遊ぶんでしょう」
「うんっ!」
 ぱっと輝く笑顔。
 グレミオもクレオも、結局それには勝てないのだった。


 窓の桟に肘をついて、ぼんやりとレイは外を眺めている。
「つまんない……」
 ぽつりとレイは呟く。
 四角いガラスをぽつぽつ音をたてて叩くのは、今朝早くから降り出した大粒の雨。
 空は雲に覆われて灰色で、そのせいで雨粒も灰色をしていた。
 晴れていれば整然と並んで見える街並みも、うっすらと霞んではっきりとしない。
 なんだかその鈍い景色が部屋の中まで入り込んで、気持ちまで滲んでしまいそうな。
 ずっとそうやって窓の外を見つめているレイを、グレミオは心配そうに見ていた。
「お天気ばかりはどうしようもないですからねぇ…」
 レイの沈みようはグレミオの気分まで同じように沈ませる。
 グレミオの言葉には反応せず、レイは小さく窓を開けた。
 隙間から、冷え切った風が吹き込む。
 そっと手を外に出してみると、ぴしゃんと冷たい雫が当たった。
「……つめたい」
「ぼっちゃん。寒いですから、風邪ひきますよ?」
「うん…」
 心のない返事。
 グレミオはひとつ息をついた。
 レイの父、テオは国の中心に近い人物だ。
 至って平和なこの国であるが、抗争がまったくないわけではない。
 国に不満を持つ者が時折騒ぎを起こし、親には手が出ないからと非力な子供が狙われることもある。
 特にレイほどの身分になると、それは過去に1度や2度ではなかった。
 外出を控え、たまに外に出るときには大人と一緒のレイには、同年代の友達ができにくいのは当然かもしれない。
 活発でやんちゃなレイには辛かったろうが、幼いながら「だいじょうぶ」とけなげに笑ってくれた。
 それが、グレミオにも切なかった。
 ……だからこそ、レイにとって、初めての友達であるシーナとルックの存在がどれだけ大きいか、痛いくらいによくわかるのだ。
「……………」
 窓の外に手をたらして雨を受け止めるレイを、グレミオは見つめたまま息をついた。
 普段ならそんなことをしていたらそれこそ風邪をひいてしまう、絶対に止めたはずだ。
 けれど今日は、どうにもかける言葉がない。
 何より大切なレイが、こんな風に悲しそうにしているのがどうにもやりきれない。


 小さな手のひらに感じる雨粒。
 いつもより大きく冷たく感じる。
 窺うようにレイを見ていたグレミオはふと目を落とし、すぐにまた視線を戻した。
「あの、ぼっちゃん」
 なんでしたら、私がふたりをお迎えに…と、言おうとした。
 が、その時、レイが突然がばっと立ち上がった。
「ぼ、ぼっちゃん?」
「…あ……っ」
 グレミオがおたおた声を上げる。
 レイはそれには気付かないようで、唇を小さく動かした。
 そうしてそのまま何も言わずに駆け出したレイはドアにぶつかる勢いでドアを開けると、ばたばた廊下を走っていく。
 階段を下りていく大きな音にようやく我に返ったグレミオは、レイが見ていた窓の外に目をやって、すぐに合点がいった。
「そ、そうだ。こうしちゃいられない……」
 レイと同じように立ち上がったグレミオも、部屋を大慌てで飛び出した。



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