みにまむ’
=柊の記憶=
− 2 −

 レイは外に続くドアをもどかしそうに開けた。
 空気が動いて強い風になる。
 それが冷たい雨粒を一緒に頬に叩きつけたが、それどころではない。
 ドアが開いたのに気付いて目を上げたのだろう、深く鮮やかな翠玉の瞳と真正面からぶつかった。
「…ルック!」
 いつもより濃く見える栗色の髪から、ぽたりと雫が落ちる。
 それでなくとも白い肌が、今日は青白いくらいだ。
 とっさにつかんだ手が、氷のように冷たかった。
 レイはその手を引いてルックを中に入れる。
「どうしたの? ルック、びしょびしょ…」
「レイ…。めいわくだった?」
「ううん、ぜんぜん、そんなことないよ。でもルックがかぜひいちゃう!」
 そのときちょうど奥から大きなタオルを持って走り出てきたグレミオからタオルを受け取り、レイはルックにかぶせる。
 触れてみて、服が絞れそうなほどに濡れているのがわかった。
 どうして、こんな。
「……さむくない?」
「ちょっと…」
「なんで、こんないっぱい雨がふってるのに」
「ぼくも…そうおもったけど。でも、ガマンできなかった……」
「でもカサとか…」
「わすれた」
 小さな声でルックが答える。
 レイは内心驚いていた。
 まさかルックがこんな無茶をするなんて。
 もっと物静かなタイプかと思っていたけれど。
 だが驚くと同時に、とても嬉しくもある。
 大粒の雨の中、傘を忘れるくらいにレイに会いたいと思ってくれていた、これはそういうことなのだから。
 そのことが、泣きそうになってしまうくらいの大きな何かをレイの心に溢れさせていく。
 ………そこにまた、ドアが開く音。
「おっはよー!! レイっv あ、ルックもいたーv おはよー♪」
 音と同時に声が飛び込んできた。
 レイははっと顔を上げて、呆然とする。
 ぶんぶんと振る頭から、水の粒が落ちていた。
「…シーナ……カサは?」
「えー? あ、そっか。あはは、すっかりあたまからぬけてたー」
 あっけらかんと笑うシーナ。
 レイはどんな顔でふたりを見ればいいのかわからない。
 グレミオがシーナの分のタオルを取りに、奥へまた駆けていった。





「よかったよかった。サイズ、ちょうどでしたねぇ」
 グレミオはようやく安堵したような声を上げた。
 にこにこと笑いながら濡れた服を抱える。
「ぼっちゃん、よかったですねぇ。ちゃんと今日も遊べるじゃありませんか」
「うんっ!!」
 弾けるような笑顔のレイに、グレミオがさらに相好を崩す。
「それでは、おふたりの服は洗って乾かしておきますから。ゆっくりしていってくださいね」
 レイが笑顔に戻ったことがよほど嬉しかったのだろう、何度も何度も頷きながらグレミオは部屋を出て行った。
 ぱたんとドアが閉じると、レイとシーナが顔を見合わせて笑う。
 何かがおかしいわけじゃなくて、ただなんとなく、嬉しい。
 レイは小さく肩をすくめて、
「ようこそ、いらっしゃい」
 と大げさなほど恭しく頭を下げてみせる。
「いえいえ。こちらこそ、おじゃまいたします」
 シーナが応じて真面目な顔でお辞儀をする。
 が、ふたりともすぐに堪えきれなくなって吹き出した。
「なにやってんの…」
 呆れたような声は、ルック。
 まだほんの少し湿っている髪をうっとうしげにかき上げたルックは、丈の長い上着を着ている。
 シーナは、七分丈のシャツ。
 どちらもレイの服だ。
「…でも、くやしいなぁ」
 唐突にレイが呟いた。
 言われたシーナはきょとんとする。
「なにが?」
「シーナの、それ。ぼくのふくなんだけど…ぼくにはちょっとおおきいんだ」
「なあんだ、そんなことかぁ。レイだってすぐにおっきくなるって」
 すると今度はルックがぽつりと。
「…ぼくのは、レイがきられなくなったやつだろ」
「え? うん。だけど、きられなくなってからあんまりたってないよ?」
「そうそう。ルックもおおきくなるぜー。ちっちゃいまんまでもかわいいけどさっ」
「うるさいよシーナ」
 わいわいと弾む会話。
 部屋の中に楽しげな声が響く。
 さっきまではあれだけ静かだったこの部屋に。
 さっきまでは淋しげな雨の音しかしなかったこの部屋に。
 触れているわけではない、でもぬくもりが、…届く。
「ねぇねぇ、なにしてあそぼーか」
「なんでもいいよ。なにがいい?」
「んー…」
 外ではまだ冷たい雨が降っている。
 でもこの部屋に、それが吹き込むこともない。





 シーナとルックに、グレミオは傘と封筒を手渡した。
 シーナは封筒を不思議そうに眺め、
「これ…?」
 と訊く。
 一度頷いたグレミオが申し訳なさそうな顔をして、ふたりに視線を合わせるようにしゃがんだ。
「おふたりのお洋服、乾かなかったんです。でも違う服で帰ると心配されちゃいますからね。だから、怒らないであげてくださいね、って手紙ですから。おうちの人に渡してください」
 こくん、とシーナが頷き、ルックも小さく首を縦に振った。
 ふたりとも、元来が素直な性格なのだろう。
「そいじゃ、レイ。きょうはたのしかったな!」
「うん!」
「…また…来ても…」
「もちろん!」
 小さな手を振る。
 ドアを開けると、幾分か小降りになった雨。
 暮れていく空の色が、なんとなく見えるような気がした。
「じゃ、また明日〜♪」
「明日…」
「ばいばーい!!」
 笑って、大きく手を振って。
 駆けていく背中を、小さくなっていく背中をいつまでも見送る。


 レイと一緒に玄関口からふたりを見送っていたグレミオ。
 暖かな気持ちで、手を振り続けるレイを見下ろした。
「明日は、晴れるといいですね」
「ううん」
 その答えに、肯定の答えが返ってくると思っていたグレミオは驚いた。
「晴れちゃダメなんですか?」
「ううん!」
 それも否定されて。
 困ったようなグレミオに、レイは素直な笑顔を向けた。
「晴れてても、雨でも、どっちでもいいんだ。雨だったらおもてであそべないけど…でも、あそびたかったらあいにきてくれるし、あいにいけばいいんだ!」
 とてもとても、近い場所にいるから。
 手を伸ばせば心が届く、そんな位置にいるから。
「………そうですね」
 レイだけではない。
 レイと、ルックと、シーナと。
 3人を包む空気の暖かさをグレミオは感じていた。
 ふたりがいてくれてよかったと、心から思うことができる。
「さぁ、ぼっちゃん。そろそろ夕飯の支度をしないといけませんから、ドア…閉めてもいいですか?」
「うん」
「今日は…そうですねぇ、ぼっちゃんのお好きな、里芋の入ったシチューにしましょうか」
「ほんと? やった!」
「ちゃんとお手伝いしてくださいね」
「はーいっ!」
 厨房へと向かうグレミオの足にまとわりつくように、レイは駆け出す。
 雨はもうすぐ止みそうだった。





Continued...?




<After Words>
どうしてもアップしたかったんですよ…この日に。
でもサーバのメンテナンスと重なって…これ、いつアップできてます?
…って聞くなよ、ですよねえ。
お話としましては…みにまむの「’」バージョンですね。
略して’(ダッシュ)シリーズ。
今回、タイトルちょっと悩みました。
出先だったので辞書取りに行くのも面倒だったし…(おいおい)。
そうですね、これ、ずいぶん前からちょっとずつ書き出していたんですが、
いろいろ試験だの仕事始めたのだの事情がありまして、時間がこんなにも
かかってしまいました……(汗)。
なので最終的には久し振りに行った大学の図書館で書いてました。
どちらかというと、3人の仲良しぶり…もメインなのですが、今回の場合は
グレミオ視点の’、って感じでしょうか。
本当は出そうと思ってた人がいたんですが……また次回にでも。
ちなみに、ぼっちゃんの服をルックとシーナが借りたことになってますね。
大体こんな感じ…という裏設定というかなんというか。



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