Octover 31th, 2003
★ ★ ★
− 1 −
わざわざ軍主であるユウキがレイのもとを訪れたのは先週のことだ。
レイは久し振りにグレッグミンスターの自宅でのんびりしていた。
外は冷たくなってきた風に落ち葉が舞い、すっかり秋の色。
それを眺めながら、改めて暖かな家の中の空気を感じるのが嬉しかった。
行くあてのない旅とはいえ、やはり歩いて旅を続けていると気が急いてしまう。
いつでも緊張して、あたりを窺いながらの旅だった。
もちろん、それは承知の上だったが。
しかしこうして穏やかな空気の中にいると、ふぅっと何かがほどける感じがする。
そんなふうに束の間の休息を楽しんでいた。
そして、居間のソファでグレミオの手作りクッキーをお供にお気に入りの紅茶を飲んでいる時、ユウキはやってきた。
とんとん、とノックの音。
そのとき周りにはグレミオもクレオもいなくて、なんとなくレイが席を立った。
そこまではいつもと変わらなかった。
ドアを開けるとそこには、近所からふらりとやってきたという風情のユウキ。
あまりに軽装で、誰も連れていなかったからそんなふうに見えたのだろうけれど。
「こんにちは、レイさん!」
一体どうしたのかを問う前に、ユウキが明るく言った。
にっこりと無邪気な笑顔。
そのぽやんとした笑顔に呆気にとられているうちに、ユウキは続けた。
「あの、6日後なんですけど…お暇ですか?」
「え? あぁ……特に用事はないよ」
「よかった! 6日後にぜひ見ていただきたいものがあるんです」
「バイオスフィア城に?」
「はい! じゃあ、お待ちしてますね! 6日後ですから!」
そう言うが早いか、ユウキはくるりと背を向ける。
迅速すぎるその行動に、レイは、
「あ…ちょっと待った、ここまでひとりで来たの?」
それだけ問うのが精一杯だった。
けれどユウキは振り向いて元気よく頷いた。
「はい!」
あとに残されたレイは、しばらく固まってしまう。
帰る時ばかりはさすがに『瞬きの手鏡』を使っていたようだが、来る時は途中から歩いてこなければならない。
時々大ボケをかますビッキーの転移魔法にはムラがあるらしく、ある程度の位置までしか飛べないせいだ。
だから、ひとりで来るだなんてどれほど労力を必要とすることか。
それに軍主がひとりでほっつき歩いて大丈夫なのだろうか。
そんないらない心配のせいで、レイはユウキがなぜあれだけしつこく日付を指定したのかを考える余裕がなかったのである。
そうして、6日後。
元来が律儀な性格のレイは、前日の夜を近場の町の宿で過ごし、午前中のうちに目的地に着いた。
そこはバイオスフィア城。
新同盟軍の本拠地としてハイランドと連日激しい戦いを繰り広げている、戦争の舞台だ。
軍主ユウキを先頭に様々な名将が名を連ね、同盟各市の信頼も厚いという。
だが戦場の城としてのみにとどまらず、文化、芸術、商業の発展もめざましい。
廃墟をもとにしたとは思えないくらいに、荘厳で美しい城である。
……はず。
いや、建物自体に変わりはない。
相変わらず見上げれば光を浴びて白く輝く壁面は眩しいくらいだし、堂々と立派な構えだ。
が、あちこちにかかるあの布は?
黒とオレンジの配色は、どうも戦場の城にはそぐわない気がしないでもないのだが。
その上どことなく浮かれたムードが、敷地に足を踏み入れる前から感じられるのがいかにも不審な感じで。
門は大きく開かれていたから、レイはそっと遠くから様子を窺う。
商店街の前を行き交う人々には変化は見られない。
そう、いつものようにあっちへ行ったりこっちへ行ったり……普段通りだ。
ただひとつ気になるとしたら、黒く長い服を着た人物が多いような気がするくらい。
とはいっても、誤差の範囲でそういうこともあるだろう。
偶然服が似通ってしまうことは、そんなに珍しいことでもないし。
言い聞かせるようにそう思いながら、意を決してレイは門へ向かう。
そこにのんきな声。
「よーう、レイ」
見ると、門柱の横にもたれかかるようにビクトールが座っていた。
「珍しいな、こんな時期に」
レイが近付くと、軽く手を挙げてビクトールは笑う。
こんな時期、とは戦が今一段落していることを指しているのだろう。
大体がレイがいるということはユウキが呼んだということで、加えてユウキがレイに同行を願うのは戦続きで行き詰まっている場合であることが多い。
そこからそんなふうに言ったのだろうが、珍しいと思ったのはレイも同じだから、ただ苦く笑うだけで返した。
にしても、ビクトールがこんなふうに城の外でぼんやりしているのも珍しいが。
「それよりビクトールもそんなところで何してるんだよ? ひなたぼっこにも見えないけど」
「あぁ、俺は逃亡中」
「へ?」
頭をがりがりと掻きながら、ビクトールはあさっての方を見る。
ビクトールが逃亡、とは。
一体誰に追われているというのだろう。
記憶を探ってみるが、バイオスフィア城には特にビクトールをつけねらうような人物はいなかったように思うけれど。
レイが考えこみかけていることに気付いたか、ビクトールはがばっと顔を上げた。
「俺のことはともかく。…ユウキに呼ばれたってのは間違いないんだよな。じゃあ、俺は知らないが、なにか重要なことがあるのかもな」
「そう考えるのが普通かとも思う。でも、いつもなら至急来てくれって言われるんだけど」
「……今日は違うのか?」
「今日っていうかね。ユウキに誘いを受けたのは先週なんだ。それで6日後に来てくれっていうからさ。僕に見せたいものがあるって……ビクトール?」
レイが最後まで言い終わる前に、ビクトールは頭を抱え込んでいる。
顔を覗き込むように首を傾げると、ちらりと目線だけをあげた。
「ユウキが? 6日後っつって日付指定して? あー…そりゃ間違いないな」
「なんだよもったいぶって」
「おまえだってそろそろいやな予感がしてるんじゃないか?」
言うとビクトールはひとつ息をついた。
たしかに、なんだか雰囲気が浮ついた感じなのはさっきから気付いていたが。
「……ハロウィン、だとよ」
「は?」
雰囲気に気付いていたとはいっても、突然ビクトールの口から飛び出したその単語とはまったく結びつかなかった。
第一、それはこのあたりの風習ではない。
それどころか「どこかでそんな祭があるのだと聞いたことがある」くらいにしか認識がない。
かろうじて、子供たちが仮装をして「お菓子をくれなきゃいたずらするぞ」という決まり文句で大人たちからお菓子をもらうのだと…そう聞いたことはあった。
その程度だったから、まさかこんなところでそれを見るとは思わなかったのだ。
「………えっと」
何を言ったらいいのかに迷うレイに、ビクトールはしたり顔で頷く。
「だ、そうだ。今日を指定されたってんだったら間違いねぇ。要するにユウキはこのイベントを見てもらいたかった、ってわけだろーなぁ。たしかに、あっちこっち飾り付けは本格的な上に仮装する連中も多いから見応えはあるかもな」
「う、うーん…」
「かくいう俺も、実は仮装をやらされそうになって逃げてきたってわけなんだが」
「そりゃ災難だね。一体誰に?」
「まあ、俺が目的じゃないと思うんだがな。ニナがフリックの奴とそろいの仮装をするんだってすごい勢いで迫ってきてな。そばにいた俺まで仮装に引っ張り込まれそうになったんで逃亡を図ったんだよ」
「…じゃあ、フリックは」
「つかまって、今頃遠い世界の住人になってんじゃねぇか?」
「なるほどね……」
不憫だ。
本人はわりと落ち着いた生活を望んでいるらしいが、そういう星の下に生まれてしまったのか、騒動が絶えない。
ちょっと見てみたいかも、などとちらりと思ってしまったレイだが、ここは見ないのが思いやりというものだろう。
「…ま、しょうがないか…。呼ばれちゃったんだし、とりあえず僕、ユウキに挨拶だけでもしに行くよ」
「そうだな。ある意味目立つから、すぐ見つかると思うぜ」
「はあ?」
レイは目を見開く。
てことはアレか。
ユウキまでもがその列に加わっていると……。
タイミングがいいのか悪いのか。
突然門からひょこりと何かが現れた。
そう、何か、だ。
身に纏っているのは黒く長いマントのようだが……頭はどでかいカボチャ。
あまりの衝撃に、レイは自分が石になったのではないかと思ってしまうくらいに固まった。
カボチャ?
殺気がなかったからいいものの、少しでもそういう気配を見せたら間違いなく魔物と認識してしまいそうだ。
しかしそのカボチャは人の気も知らずに嬉しそうな足取りで駆けてきた。
「レイさん! 来てくれたんですね!」
呆然とレイは思う。
どこかで聞いた声だ。
どこかで……。
「もしかしなくても………ユウキ?」
「はい! 楽しいですよ〜」
マイペースな明るい声に、肩を落としそうになるのをなんとか堪えた。
そういえばカボチャは目と口に当たる部分が綺麗にくりぬかれていて、そこから馴染んだユウキの顔が見える。
仮装といっても、遠目に見た人々のように黒い服でも着ているのだろうと思っていた。
だが本当に生のカボチャを丁寧にくりぬいて作ったらしいそれは、本格的すぎやしまいか。
この大きさじゃいくらくりぬいたところで重いだろうな、とどうでもいいことを思いながら、レイはなんとか笑ってみせた。
「え…と。呼んでくれてありがとう。今日呼ばれたっていうことは、僕もこのお祭りを楽しんでいっていいって…そういうことかな?」
ビクトールにはそう断言されたが、もしやということもある。
しかし、意外にというかやはりというか、笑顔のユウキはきっぱりと答えた。
「はいっ!」
なんて大人物なのだろう。
ここまでくると、感心してしまう。
目眩すら感じてしまうほどだ。
「ユウキ殿。…あぁ、こちらでしたか」
ふいに落ち着いた声。
今度こそまともな人が現れたかと内心ほっとしてレイは顔を上げた。
が、今日は一体何度期待を裏切られたことだろう。
「レイ殿もおいででしたか。わざわざご足労を」
しれっと言うシュウだが、その格好はユウキに似た黒いマント。
だがその下はぴしっとタキシードで決めていて、あげくに口元の白い牙。
無関心そうな顔で、しっかりイベントに便乗しているではないか。
だから次に敷地内から人影が躍り出てきた時にはもう驚かないことにした。
「見つけたっ、ユウキ!」
黒い帽子にフリルがたくさんついた黒いドレスのナナミ、だ。
魔女の装いらしいが……。
「あれ〜、レイさんも来てたんだ。! そうだ、トリック・オア・トリート!」
必死で冷静を装うレイに、ナナミが駆け寄りながら手を差し出す。
一瞬呆けて、すぐに気付いて荷物を漁った。
「あ、えっと、グレミオが焼いてくれたシフォンケーキでよければ」
「わあ! すごーい、おいしそう! ありがと! …ね、ユウキ、レストラン行こうよ。今日のランチはパンプキン料理フルコースだって。早く行かないと無くなっちゃう」
「そっか。じゃあ早めに行かないとね。それじゃ、レイさん、楽しんでってくださいね!」
「またね〜」
ええと。
騒ぐだけ騒ぐと、ばたばたカボチャと魔女は去っていったが。
これは、いったいどうしろと?
呆然としていると、フォローをする気は全くないらしくシュウが踵を返した。
「ユウキ殿もああおっしゃることですし、どうぞごゆっくり」
何なのだろう、この我が道を行く人々は。
「……ユウキを探してたんじゃないんですか」
「急ぎの用事ではありませんから」
「ちなみにその格好は」
「バンパイアを模してみましたが」
それだけを言うと、とっとと門の中へ消えてしまった。
もしかして、ここから既にハロウィンというイベントの一環なのだろうか。
大騒ぎによる歓迎、という。
それにしても、ビクトールを前にしてあの仮装というのだから……。
「……あれ、問題ないの?」
「あー…なんか笑うしかねぇな」
「斬っちゃえば? 星辰剣で」
「馬鹿言え。あとが怖いだろ」
「言えてる」