Happy Halloween
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 ビクトールと別れて城の敷地に入ったレイは、ますます目眩を感じた。
 あちこちに仮装の群れ、黒とオレンジの布で飾られた壁、店先には目や口をくりぬいて作ったものや黒い紙で貼り付けてあるカボチャ、看板には糸でつり下げられた布製のコウモリ。
 原形はとどめているものの、すっかり違う城になっている。
 漂う香りはほんのり甘いが、時々きつくなる。
 そんなときは決まってそばを仮装した子供たちが楽しそうに駆けていた。
 たしかに、楽しそうなイベントではある。
 けれど、思い切り一丸となって楽しむ人々の中にいきなり飛び込むには勇気がいるものだ。
 とてつもなく高いテンションに戸惑ったせいもあるのだが、レイは見学に徹することにした。
 それでものんびりと歩くと時折子供たちに声をかけられる。
 そんな子供たちにグレミオのケーキを少しずつ分けるだけで、自分もこのイベントに参加しているのだという気がするから不思議だ。
 たまにならこういうのもいいかな、と思う。
 たまになら、だけれど。
 歩いていくと、少しずつ人の波も喧噪も減っていった。
 どうやらメインはやはり商店街の方で、兵舎前まで来るといつもの静けさがあるようだ。
「レイ」
 微かな声に呼び止められて、レイは小さく笑った。
 今日は、突然声をかけられることがずいぶんと多い。
 声は下の方からだ。
 枝の垂れ下がった大きな木の根本を覗き込むと、木漏れ日の中で本を読んでいたらしいルックが座っていた。
「……よかった」
「何? 僕が妙な格好でもしてると思った?」
「思わなかった。だから想像通りでほっとしてるんだ」
 そう、これでルックまで仮装をしていた日には、間違いなく倒れる。
 心底よかったと思うレイであった。
 ようやく、レイが柔らかな笑顔になる。
 それを見たルックは、肩をすくめた。
「いきなり飛び込むには異様な雰囲気だからね」
「さすがに、びっくりした」
「だろうね…」
「せめて前もってハロウィンなんで来てくださいって言われてれば、心構えもできたと思うんだけど。まあね、ユウキにしてみたら僕を驚かせて喜ばせようとしてくれてるんだろうから…それは嬉しいよ」
 そこは、本音だ。
 特別なことがあって、それをわざわざ伝えてくれるというのだから、その心遣いが嬉しい。
 さすがにテンションの高さについて行けないが。
「ちょっと息抜きしたい。…『ご相席、よろしいでしょうか?』」
 疲労を誤魔化した、芝居仕立てのセリフ。
 ルックはほんの少し表情を和らげた。
「……『喜んで』」


 ぱたぱたぱたと足音がして、子供たちの駆けていく足が見える。
 楽しそうに笑う声が響いて、遠くなる。
 どうやらこの木陰は完全に死角になっているらしい。
 人通りは決して少なくないが、レイたちに気付く者は誰もいない。
 また誰かの楽しそうなおしゃべりの声が近付いて、遠のいていく。
 常緑樹の穏やかな緑は陽の光に透けて、濃く淡くパズルのような形を空に写す。
 その隙間と同じ形に落ちる陽射し……その中にレイたちはいた。
 それは本当に呆れるくらいの平和な光景。
 いつか自分が目指したものの形だ。
 そうは言っても、まだそれはたしかな強度を持たない、かりそめのものでしかない。
 それをたしかな形にすべく、あの時はレイが、そして今はユウキがいるわけで。
 ルックの隣で穏やかな光を浴びて、レイはぼんやりそんなことを思う。
 こんなふうに色々考えられるのは自分が落ち着いている証拠だ。
 ルックがそばにいると、いつもこんなふうに気持ちが落ち着く。
 それは、ルックが冷静で客観的な態度を取るから、思わずそれと同様の態度を取ってしまうからなのだろうか。
 たとえそうだったとしても、レイにはどうでもいいことだった。
 ただ、隣にいることが嬉しい。
 それだけだから。
「そもそもさ」
 膝の上に広げた本に没頭していたはずのルックが、ふいに口を開く。
 レイは首を傾げてルックを見た。
「なんだって急に、こんな遠くの地方でしか見られなそうなイベントを突然やり始めたんだろうね」
 その口調はどこか呆れたよう。
 大勢でよってたかって大騒ぎすることが苦手なルックにとってはたしかにこの城の騒々しさは肌に合わないだろう。
 イベント好きな人間が集まってしまったわけでもあるまいに。
「さあ…。でも、前から行事は見逃さない城だなーとは思ってたけど」
「見逃さないどころか、騒ぐ口実を掘り当ててくるように思えるんだよ。ハロウィンがどういうものかっていうより、単なる理由にしてるだけなんじゃないの?」
 どうやらルックはレイに尋ねたかったわけではなく、騒ぎに対して文句を言いたかったらしい。
 そういえば、ルックはいつも大体石板の前にいる。
 あるいは図書館で本を読んでいるか。
 それがこんな庭の隅で見つからないようにして本を読んでいるということは、石板の前はおろか図書館すら騒ぎの舞台になっているに違いない。
 なるほど、ここが避難場所だったというわけか。
 災難だったなあと思いながらも、レイはルックのセリフに首を傾げた。
「あれ? ハロウィンがどういうものか……って。子供がお菓子をもらう日なのかと思ってた」
「もともとの由来があるんだよ。僕もちらっと読んだだけだから詳しくはないけどね。死者が甦る日に彼らを悼むための記念日、その前日…それがハロウィン。あんな風にお菓子をせがまれて渡すのは、いたずら…すなわち死者の災いから逃れるためだそうだよ」
「へえ……」
 ちらっとなどとは言うが、そこまで知っているのだからさすがだ。
 レイは素直に感心する。
 そして同時になんとなく厳粛な気分になった。
 異形の者に仮装をするのにそんな深い意味があったとは。
 それを殊更明るい行事として行っているのだから、文化の違いはやはりあるものだ。
 だが、考えてみれば、死者はもともと自分たちと同じ生き物だったのだから、必要以上に恐れる必要はたしかにない。
 改めて納得するレイである。


 ぱたぱた、とまた足音。
 音の感じからして、子供ではない。
 少しだけ急いでいるような歩調だ。
 レイはそれを聞くとはなしに聞いていて、ふと気付いた。
 軽い足音……。
 これは、まさか。
 ルックも気付いたのか、顔を上げた。
 足音はさらに近付く。
 そしてスピードを緩めないままそばまで来たかと思うと、ひょいとしゃがみ込んだ。
「あ、レイ、見つけた〜。ルックもここにいたんだ」
 底抜けに明るい声。
 その顔を見て、思わず力が抜けるレイだ。
「……シーナ」
 大人も、視線が低い子供でさえ気付かないほどにここは外から見えないはずで。
 それに響き渡るほどの大声で会話をしていたわけでもないし。
 だから、誰にも気付かれないだろうと思っていたのだ。
 よほどの人間が相手でなければ。
 が、「よほどの人間」は、こんなに近くにいた。
「そこでビクトールに会ってさ。レイが来てるって聞いたんだ。レイのことだから来てすぐに帰るってコトはしないだろうし、きっとどこかにいるだろうと思って捜してたんだぜ〜」
 木の下に潜り込みながら、シーナは言う。
 やはり見つからないと踏んでいたらしいルックは不満顔だ。
「なんであんたってそうめざといわけ?」
「そう?」
「そうだよ。僕たちはあんたみたいな騒々しいのに見つからないようにしてたのに。なんだっていつもいつも捜し当ててくるんだよ」
「んー? そりゃもう。オレ、ふたりのいる場所ってすぐにわかるからさ。ラブ・センサー内蔵なんだぜ♪」
「……ああ、それはすごいね、おめでとう」
「ルックってば、信じてないだろー」
「どうやって信じろって?」
 戯れのようなやりとり。
 レイは笑いながらそれを見ていた。


「あれ。そういえば、ふたりは仮装、しないの?」
 唐突にシーナが聞く。
 本当に唐突で、レイは目を見開いた。
「何も知らされずに来た僕がいきなり仮装で参加してると思う?」
「あ、そっか」
「僕の方は、たとえ誘いが来たとしても断るよ。なんでわざわざ自分から騒ぎに飛び込むような真似しなきゃなんないのさ」
「えええ。もったいないなぁ。ふたりに仮装して、トリック・オア・トリート、って言って欲しかったのに」
「「はあ?」」
 思わず声が重なる。
 もったいないとはこれ如何に。
 怪訝な顔をして首を傾げるふたりに、シーナは悪びれもせずに続ける。
「だってさ、お菓子をくれないといたずらするよ、って意味なんでしょ? オレ、ふたりにならどんないたずらされてもいいんだけどなー」
 レイとルックは顔を見合わせる。
 何を言ってるんだ、とも思うが……こいつらしいといえば、あまりもこいつらしい。
 レイはにぃっと笑った。
「……へ〜え。知らないよ? そんなこと言うんならさ。僕は自慢じゃないけど、小さい頃からいたずら好きで名を馳せてたからね?」
「うわ。そういえば、グレミオさんがよく言ってたもんな」
 続いて、ルックが目を細める。
「それより、あんたが言うとなんか気色悪い」
「そりゃないぜ、ルック〜」
 オレはただ単にイベントを楽しもうと思ってー、などと言いながらシーナは拳を固める。
 そうだ、シーナも乗れるお祭りならとことん乗るタイプだったか。
 基本的に楽しいことが好きな奴だ。
 と、シーナはふいに何かを考えるような仕草をした。
 そうして、ぽんと手を叩く。
「そーだ。オレが仮装すればいいんだ!」
「え?」
「そうだそうだ、オレが仮装して、それ言えばいいんじゃん。お菓子くれなかったら、いたずらしてもいいってコトだよな!」
「ちょ……っ」
「あ、オレってすごい策士かも。ねぇ、どう思う、この策略!」
 いかにもいいことを思いつきました、という顔のシーナ。
 レイは呆気にとられて、けれどすぐにぷっと吹き出した。
「…ったく。そりゃ策を立てるだけなら別に構わないよ、乗らなきゃいいだけだから。でもさ、それを実行に移す前に僕たちに喋ってどうするんだよ」
「あ。そうか」
「敵に手の内を明かすようじゃ、策士なんてまだまだだね」
「しまったなぁ……」
「僕もひとつ、言ってもいい?」
「何?」
「…あんたが言うとなんか気色悪い」
「うっ。それ、さっきも聞いたのに……」
「重複させて意味を強調したんだけど? それとももっと別の言葉で言おうか?」
「わわわっ、結構です!」
 イベントは、その由来がどうであるかより、騒ぐ理由でしか扱われていない。
 ルックはそう言った。
 でも、とレイは思う。
(でも、僕も今は「理由」だけでもいいかなって思うよ。「由来」よりも「儀式」よりも、一緒にいられることの方が、ずっと大切だから)
 その言葉は、胸の中にそっとしまい込んで。





 ふたりを木陰から連れ出したシーナは先に立って歩いていたが、くるりと振り向く。
「ユウキが主催するっていうハロウィンパーティだけどさ。一区切りついたら抜けださない?」
 ぶつぶつ文句を言いながら、それでも付いてくるルックがちらりと目を上げる。
「……構わないけど? どうせ、あれだろ? せっかくだから僕たちだけで…って」
 嬉しそうに頷くシーナに、レイも笑った。
「そうだね。ユウキが準備してくれたお祭りだし。精一杯楽しまなきゃね」
 ハッピー・ハロウィン。
 理由なんかなんだっていい。
 本当に欲しいものは、いつだって心の中にあるから。





End




<After Words>
あぁ、眠かった。
眠い時に文章を書くと、「この表現もう少し何とかなったんじゃないか」
という後悔の念が押し寄せて来るという実例ですね。
てわけで、ハロウィンネタです。
レイが言うように、ハロウィンだからどうってわけじゃないんですが。
でもせっかくイベントがあるんだし…4年目にして初だし。
某ディ○ニーでハロウィンって楽しいんだと自覚した結果がコレです。
でも本当は、絵を描くつもりだったんですよー。
ふたりに仮装させて、シーナがまた爆弾発言をしてつっこまれるような。
しかしわたしの絵じゃ納得できないよな、と一度は断念したのであります。
けど、今年2回目のハロウィンデ○ズニーへ行って、「コレは書かねば」
などとわけのわからない使命感に駆られてしまったのです。
そんなわけで、28日に思い立って30日(いや、日付的に31だろう)に
完成という……やればできるんじゃんなノベルになりました。
でも、31日に変わろうとしている時に半分ちょいしかできていなかった
時には来年まで温存しようかと一瞬思ってしまいました(苦笑)。

しかし…レイ様、さりげなくルックとシーナ至上主義ですよね。
ユウキに誘われてきたのに、ラストの「精一杯楽しまなきゃね」は、
「3人で」いることを言ってるんですからねー。
ううむ。仲良しだ。そしてルックがシーナ少しに厳しいのがなんだかとても
懐かしい気がします(笑)。
って、なんでわたしこんな長々と書いてんだろう。眠いのに(笑)。



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