November 6th, 2005
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今日は、風が強い。
窓辺でぼんやり本を読んでいたレイは、ふと顔を上げる。
通りの向こうで、枯れた色をした木が大きく揺れている。
枝だけではなく幹も揺れていたから、外はかなり寒く感じるはずだ。
きっと突風に煽られてざわざわと騒いでいるのだろうが、部屋の中はずいぶん静かだ。
そのかわり、窓枠が時折かたかたと音をたてていた。
季節はいつの間にか秋だ。
見下ろした道を歩く人たちもこの前までは半袖だったのだけれど、今は上着の前をかき合わせ急ぐように過ぎていく。
あの木だってつい先日見たときは青々と葉を広げていたような気がしたのに。
店先に並ぶ商品も秋物に変わり、あちこちで防寒具を売り出した。
季節はそうやって、意識しないうちに過ぎていく。
グレッグミンスターは比較的穏やかな気候の地域だが、やはり季節が移ればがらりと雰囲気が変わる。
レイは傍らの机に本を伏せた。
そうしてひとつ、息を吐く。
ずっと活字を追っていたために目が疲れたというのもあるだろうが、それにしては長い息。
しかもこれで今日何度目だろう。
自分にもそれが溜め息に聞こえる。
いったいどうして「秋」というものは、それだけで人を感傷的にしてしまうのだろうか。
ひとつ仮説を立ててみる。
秋の色、といって思い浮かぶのは枯れ葉の色。
それはセピアの色合いによく似ていた。
古びた本の色だ。
褪せた思い出の色だ。
枯れ葉の色は、流れていく時間の中に置いてきてしまったものを思い出させる。
だから、戻らないそれを思ってしんみりしてしまうのか?
ならばなぜ、今も褪せない心でさえもその感情を起こさせるのだろう。
考えて、溜め息。
あぁ、まただ。
レイは苦笑した。
結局、そのまま読んでいた本を置いた。
今日はまったく集中できなくて、頭に何も入ってこない。
これでは読んでいる意味がない。
普段途中で投げ出すことのないレイだが、どうしても気分が乗らない日もたまにはあるのだ。
特に何も用事を入れていない日だったから、本棚に本を戻し終えると、ぽかんと時間があいてしまう。
どうしようか、と意味もなく辺りを見回す。
それでも何も見つけられなくて、視線はまた窓の外に戻った。
過ぎていく季節。
深まっていく秋。
今年は……まだ報せが来ない。
それだけのことなのに。
一方。
色づいた木々の間を縫うように伸びる風情のある道で、その雰囲気に似つかわしくないデッドヒートが繰り広げられていた。
「あー。おまえ忙しいんだろ? こんなとこに来てる余裕あるのか?」
「やることはちゃんとやってますよ。僕はともかく、いいんですか外をうろついてて」
「オレとおまえじゃ立場が違うんだけどなぁ」
「親善大使として丁重におもてなしさせていただいてるつもりですけど?」
「だったらここはオレの顔を立てるべきじゃないか」
「それとこれとは話が別です」
「どう別なんだよ」
「これは僕個人の問題ですから」
「だったら尚更だろ。オレの方がずーっと深い仲なんだから」
「否定されてましたよ」
「そ…っ、それは………」
「言い返せないならここは引き下がってください」
「そういうわけにはいかないんだよっ。どうあっても譲れないもんがあるんだから」
「僕だってそうです」
「ぜっっってぇ負けないっ」
「息上がってきてますよ。ゆっくり休んだらどうですか」
「おまえ意外と体力あるのな」
「敵わないでしょ? 戻っていいですよ」
「それはおまえが決めることじゃないんだなぁ……っしゃ、ラストスパート!」
「! 僕だって!」
誰かが来たらしい。
仕方なく部屋の整理をしていたレイは耳を澄ませる。
整理、といってももともと片付いた部屋だからほとんどすることがない。
手持ち無沙汰に小物の位置を変えていた時に玄関の外に人の気配を感じたのだ。
しばらく待ってみるが、誰かが応対に出た様子はない。
グレミオはどうしたのだろう、と思いながら部屋を出た。
家の中はしんとしている。
もしかしたら玄関の外の物音は気のせいだったのかもしれない。
さっきまでクレオもいたはずだし、誰かが来たのなら気付いただろう。
それとも出かけてしまったのか。
念のため、階段を下りる。
そこに誰もいなければいないで戻るだけだ。
そう思い、玄関のドアを開けた………。
「?」
明けた瞬間、目に飛び込んだのは家の前の道。
誰もいない?
が、すぐに荒い息が耳に飛び込んできた。
下から、だ。
視線を落として、レイは首を傾げた。
「………あのさ。シーナ? ユウキ? …一体そこで何してるの?」
「あー……やっほー」
「こ、こんにちは、レイさん……」
まったく奇妙な光景だ。
公道に座り込んでぜぇぜぇ肩を上下させているのは、現在ハイランドとの抗争に身を置く同盟軍のリーダーと、ここトラン共和国の大統領子息にして現在橋渡しとして同盟軍に籍を置くナンパ師。
その組み合わせで息を切らしているのはどうも違和感がぬぐえない。
このふたり、仲は悪くない。
いや、わりと仲のいい部類に入ると思う。
しかし、それがこの場所となると。
一度顔を上げたふたりだが、またしっかり下を向いてしまっている。
体力はあるはずだが。
こんなになるまで、一体どこから慌てて来たのだろう。
「…うーん……。なんだってそんな仲良く走ってきたの?」
「ぜ…んぜん……仲良くなんかないですよ……」
「そー……。どっちが早く辿り着けるかの、勝負だったんだ……」
「僕の勝ちです……」
「いや、オレだよ……」
レイは肩をすくめる。
まるで子供の勝負のようだ。
立派なふたりのはずなのだが。
そうしてふたりは、同時にがばっと顔を上げた。
思わずレイはあとずさる。
「そう、誘いに来たんだ!」
「僕が主催で」
「今年も一緒に」
「パーティを開くので」
「レイ、」
「レイさん、」
「ハロウィンパーティしないか?」
「ハロウィンパーティに来てください!」
ステレオ効果。
ふたりして同時に別のことを喋るから呆気にとられた。
中身は一緒だけれど。
子供の勝負……その賞品は、自分だったか。
ふたりは何度も何度も念を押して、帰って行った。
どうやら帰るのも一緒らしい。
一緒、というより、抜け駆けをしないようにお互い牽制しているようだったが。
ドアを閉めて、レイは笑う。
そういえば……。
おととしは、ユウキが迎えに来た。
シーナは誘いに来たかったけれど、戦争中にレイを呼び出すなんて、とらしくない遠慮をしたらしい。
昨年は、シーナが迎えに来た。
前の年に自分が迎えに行けなかったことが相当悔しかったらしく、ルックと共謀してユウキが行くのを全力で阻止したのだという。
おそらくシーナはシーナでユウキを止めようとし、ユウキはユウキで今年こそシーナに先を越されないようにし、結果どちらがグレッグミンスターまで先に着くかという原始的な方法になってしまった、というわけなのだろう。
そろそろその報せが来るだろうと思っていた。
誰かがきっと来るだろうと思っていた。
たぶんそれは去年までの例を考えればシーナかユウキのはずだ。
さすがに、両方いっぺんに来るとは思っていなかったが。
「おや……ぼっちゃん。お客様でしたか?」
玄関ホールにレイがいることに気付いたらしい、グレミオが厨房から出て来た。
手には袋を提げている。
「買い物行ってたの?」
「あ、今行商の方が裏を通ったので、少し出ていたんです。誰かいらしたみたいですね」
「うん。シーナとユウキがね」
言って、くすくすと笑う。
は? とグレミオは首を傾げた。
「ユウキくんが? 珍しいですねぇ」
そのセリフに、またレイは吹き出した。
なんとなく言った言葉なのだろうが、どうやらグレミオはシーナが来たとしても珍しいとは思わないらしい。
シーナは気が付けばそばにいるようなイメージがあるのだろう。
実際は長く会っていなかったのだが、数日ぶりに出会ったくらいの感覚しかないことにレイ自身も気付いている。
いつの間にか、シーナはそういう存在だった。
「そうだ。ね、今日の夕飯って、余分ある?」
「え? あ、はい、大丈夫ですよ。いつもの量で作っていたんですけど、今夜はクレオさんがご近所の方にお呼ばれしてしまいまして。ちょっと余ってしまうかもしれませんねぇ」
「そう。……なら、ちょうどいいな」
グレミオが不思議そうな顔をする。
けれどレイにはわかっている。
そろそろ、だ。
思って、振り向くとほぼ同時。
また玄関の向こうに気配。
呼ばれなくとも、わかる。
先にドアを開けると、その先にあった顔が驚いた顔をした。
「……どうしてわかったんだよ?」
「そんな気がしてた。引き分けのままで納得するはずはないだろうしね。当たってたでしょ」
「うん……正解」
「どうせ泊まる気でいるんだろ。入りなよ……シーナ」
「もちろん!」
いつもの笑顔になったシーナが、力一杯頷いた。
去年のパターンから推測するに、客間を用意するだけ無駄だろう。
そう思われたのかどうかはわからないが、何も言わないうちにグレミオはレイの部屋に簡易ベッドを置いた。
最初からそのつもりだったようで、レイが部屋に戻ると、既にシーナはあてがわれたベッドの上でだらだらしている。
相変わらずな奴だ。
「なに? ユウキ撒いたの?」
聞くと、得意げに笑う。
「そ。あいつが瞬きの手鏡使う瞬間に、ダッシュで逃げ出したんだ。たぶんすぐユウキも気付いたと思うけど、もう手鏡発動してたから城に戻ったんじゃないかな。あいつ、パーティの準備もあるから戻ったら即つかまって、こっちには来られないとオレは踏んでる」
なるほど。
あえてユウキの行動を阻止して裏を掻かれるよりは、堂々と一緒に来ればレイに会う目的のひとつは達成される。
そしてタイミングを間違いさえしなければ、その後は一緒にいられる、というわけだ。
ユウキは立場上、一度は出られたとしても、いったん戻れば再度城を出るのは難しい。
そこまで計算しているのだとしたら立派なものだ。
そう告げると、
「オレ、レイに会うためなら世界一の策士にだってなれるぜ」
なんて言うものだから、軽く流しておく。
「まぁ…たぶんルックに相談すれば、ユウキを留めさせることもできたと思うんだけどさ……あんまり時間がなかったし、わりとユウキの奴も警戒してて」
「おそらく去年の根回しがバレたんじゃないの?」
「かもな」
ともかく、勝者はシーナだ。
とんでもなく遠くから走ってきたらしいのだが、その競争がドローだったとしても、今ここにいるのはシーナなのだから。
レイはほっと胸を撫で下ろす。
誰かが来てくれる…それはわかっていた。
わかっていたけれども、来てくれるまでは不安だった。
秋は、なぜか人を寂しがりにさせる。
そんなときそばにいてくれることが、どれだけ暖かいか。
あいたい、と思って。
そう思ってここまで来てくれたのならば、なおさらだ。
「レイー」
「ん?」
「好きだよ。愛してる」
まるで、レイが今思っていたことに答えるようなタイミング。
まさか聞こえていたはずはないのだけれど。
「……はいはい」
「えー、本気なのにー」
「わかってるよ」
笑って、寝転がるその背をぽんと叩いた。
それでもちらちらと顔を覗き込んでくる。
しょうがない奴だ、と思う。
「だってさ、レイに会いたかったから……」
「うん、それもわかってる。僕だって会いたかったよ」
「!! それって……」
「友達だろ?」
牽制球。
シーナは言葉を詰まらせたが、どうやら頷かざるをえなかったようだ。
なにせ嘘は言っていないのだから。