October 29th, 2007
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かつん。
靴の先に小石があたり、ふとレイは我に返る。
そこはよく知った街の、よく知らない道。
どうやら大通りからいくらも離れていない裏道に入り込んだようだ。
もともと目的があって外出したわけではない。
ただ窓の外の木々が少しずつ彩られていくのを毎日眺めているうちに、なんとなく誘われるように散歩をしたくなった。
風の吹くまま、気の向くまま、大通りから路地へ入って裏道を抜ける。
変わっていく風景や変わらない風景、見落としそうな足元の花、そんなものを眺めて歩くのは案外楽しかった。
(こういうの……人に聞かれたらなんて答えたらいいのかな)
どこへお出かけですか、と問われても、答えはないわけだし。
放浪してます、というのも何か違う気がするし。
本当はきっと、じっとしているのが得意ではないのだと思う。
けれど、今この場所を発つつもりもない。
暦はそろそろ冬の気配。
しばらく裏道をぶらぶらし、家に戻る。
家の前では、グレミオが鼻歌交じりに掃き掃除をしていた。
「あ、ぼっちゃんお帰りなさい」
レイの気配に気付き、グレミオは嬉しそうに顔を上げる。
その拍子に手にした箒を倒しかけ、慌てた様子でそれを抱き込み、ほっとしたように胸をなでおろした。
まったくグレミオらしいしぐさに思わず笑ってしまう。
「ただいま。……なんだよ、そんなに慌てて」
「えぇ、地面が石畳ですからね。これくらいのものでも結構大きな音を立ててしまうんじゃないかって。……ああ、そうそう」
「なに?」
「お二方がいらしてますよ。今年ももうそんな季節ですねえ」
とくん。
胸の奥で小さな音。
そう、それを待っていたのだ。
すぐに駆け出したくなる気持ちを押さえつけ、レイは小さく首を傾げる。
「ふたりは?」
「2階の広間の方にお通ししてますよ」
「わかった、ありがとう」
グレミオの横をすり抜け、玄関ホールへ入る。
まっすぐ階段へ向かおうとした背中に、声が追ってきた。
「あっ、ぼっちゃん! 外から帰ってきたら、きちんと手を洗わなきゃダメですよ!!」
広間のドアは開いていた。
近付くにつれ漂う、甘い香り。
これはココアの香りだ。
そういえば今朝、厨房に籠もったグレミオが今日のおやつですよ、と何かせっせと作っていた。
その香りなのだろうと思ったけれど、それだけではない気がした。
なんだか胸の奥から湧き上がるものに呼応するように、ふわりと漂う。
ドアを抜ける、目に飛び込むのはまず鮮やかな金髪と、絹糸のような栗色の髪。
振り向いた顔が、笑っていた。
「聞こえたよー、レイ。相変わらずだなぁグレミオさん」
こちらは満面笑顔。
「この先もずーっとあのままなんだろうね、きっと」
こちらは目を和らげるほどの笑顔。
つられて、レイも笑う。
「そうだね。……というよりさ…いきなり、話題がそれ?」
「あはは。いいじゃん。かしこまって『お久しぶりー』っていうのでもないでしょ?」
「たしかに、それは言えてるかも」
甘さ控えめなココアのパウンドケーキにたっぷりの生クリーム。
お茶はほんのり酸味の効いたローズヒップティー。
最近読んだ本や、庭に住み着いた猫の話や、このごろよく見る夢のこと。
なんでもない話を、語り合うのではなくて、誰かが喋るのをなんとなく聞いている。
短い相槌や、時々挟む同意の言葉。
小さなことばかりだけれど、それがレイには暖かい。
理屈ではなく、気が合うのだと思う。
違う方向を見ていたとしても、心の中で何かが一致する。
そんな関係なのかもしれない。
「……ってわけでさ、まあ最近ユウキのやつ忙しくてそのまんま置きっぱなしなんだ」
笑ってシーナの話を聞く。
シーナはさっきから、よく話題提供をしている。
会えない時間の分すべてを語り尽くそうとするかのようだ。
と、レイはシーナの言葉の端をふと気に留める。
「ふーん、なに? ユウキ、忙しいんだ。軍のことで?」
「ん? うーん、軍のことつっちゃ軍のことなんだけど」
曖昧に言葉を濁してシーナはルックをちらりと見る。
視線を受けたルックはわずかに肩を落とし、お茶をこくりと飲み干した。
「……そうだね。ライトスフィアの連中が中心にいるんだからそうと言えばそうだと思うよ」
「厳密に言えばバイオスフィア城全体だよな」
ははぁ、なるほど。
レイは合点して苦笑した。
「恒例のアレですか。なんだかどんどんイベント好きな城になってくね、あそこ。まあ、戦争中なんだし…時には息抜きも必要だと僕も思うけど」
「時には、ならね。そっちがメインなんだったりして」
「あははは……まさか……」
秋から冬へと季節が移動しようとしている、この時期。
毎年バイオスフィア城からは誰かしら使者がやってくる。
だからレイにもわかっていた。
まさかそれが軍主の多忙に繋がっているとまでは思わなかったが…。