December 4th, 2002
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それは木枯らしがごく一部に吹き荒れる冬の初めの日。
とうとう恐れていたその日が訪れた。
前評判は上々。
どこから噂が広まったのか、公式発表前から問い合わせが相次いでいた。
そうして発表が正式にされると、各地のレコードショップには予約が殺到した。
それに対する当事者たちの反応は、見事に真っ二つ。
曰く、「予定通り……さすがあの人の策にぬかりはないね」。
もう一方曰く、「こんなの、聞いてないっっっ」。
どちらがスタッフサイドで、どちらがアーティストサイドかはもちろん言うまでもない。
練習練習録音ミーティングマスタリング。
連日連夜のスケジュールに、よく生きていたもんだと感心してしまう。
それだけ殺人スケジュールだったわけだ。
なにせ、分刻みならぬ秒刻み。
ぽんと手渡されたスケジュール表は1週間分かと思いきや1日分だったりするから手におえない。
殺す気か、と抗議したらばマネージャは笑顔で一言。
「やだなぁ、デビューしてからの方がもっと忙しいよ〜」
違う。
聞きたいことはそうではなくて。
が、やはりその内容にも愕然としてしまい、それから先の言葉を失ってしまうのでいつも最後まで抗議しきれないのだった。
今日も今日とて朝から歌ったり踊ったり。
いいかげんどうにかしてくれ、と心の中でハモってしまう。
「うー……終わったぁ……」
部屋に戻ってきたレイが、ソファに倒れこみながらぼやく。
一足先に帰ってきてソファに座っていたルックが心底同情したように、
「……お疲れ様」
と声をかけた。
今日は個人レッスンがメインで、ルックは早めに切り上げていたのだ。
シーナはまだ戻ってこない。
「ルック、よくもってるよね…。僕もうバテそう」
「僕だってとっくに体力の限界超えてる気がするよ。…なんだかもう、倒れないのはただ単に意地だね」
「あはは…こうなったらなにがなんでも倒れてやるもんか、ね。僕もそうかも」
「…ただし、倒れて見る地獄と、意地で倒れないで見る地獄と……どっちがマシかって問題な気もするけど」
「怖いことさらりと言わないでよ……」
「僕はもしかしたらただ真実を述べただけかもしれないよ」
「だから怖いんだってば」
いや、本気で。
と、レイがふと周りを見渡した。
そうして誰もいないことを確認して、すっとルックのそばに寄る。
「……それに。僕たちは、よけいに疲れること…あるしね」
ぼそりと言ったレイは、遠い目。
聞いたほうのルックも思わずあさっての方角を見る。
「………あれ、だろ?」
「うん…あれ」
死刑宣告とほぼ同等の命令「アイドルになっていただきますv」から数か月。
なぜ僕たちが、は今でも思う。
しかし一度やると決まってしまった以上、それが本人の同意とかけ離れたところにあっても、やらないわけにはいかないのだろう。
だから、諦めることにした。
きっといつかはいいことがあるさ。
そんな限りなく悲観的に近い楽観的な主義に一応転じることにしたのだ。
もちろん「一応」であるから、文句も不満も反論も異論も山ほどある。
そりゃもう掃いて捨てるほどある。
だが凶悪な首謀者がいる上に強大な保護者が背後にいる…もはや退路も断たれたどころではない。
それはなんとか諦めるにしても、だ。
問題は別のところにある。
「たっだいま〜……」
普段なら明るく駆け込んでくるはずの彼は、よたよたと足元もおぼつかない様子で部屋に戻ってきた。
そのままソファに向かって倒れこんでくるので、とりあえずレイとルックはさっとよけた。
「なんだぁ、抱きつこうと思ったのにv」
「結構です。…おかえり、遅かったね」
苦笑交じりにレイが声をかける。
ソファに突っ伏したシーナはちら、と目線を上げた。
「…うん。なんでだか、オレの歌唱レッスンっていつも長いんだよな。なんでだろ」
不思議そうに首をひねる。
レイはとっさにあぁ、と心の中で納得した。
(そうだよな、シーナ、めちゃくちゃ上手いから。『これは使える』とかって思われちゃってるんだろうな)
しかし、これは言わないでおこう。
なにせそれこそが問題中の問題、大問題なのだから。
「喉大丈夫? なにか飲んでおいたら?」
のびたままのシーナにルックが珍しく声をかけた。
「あれ〜。ルックどうしたの、優しい〜」
「うるさい、そこでだらけられてんのが邪魔なだけ。ほら、さっさと飲んでこいよ」
言うと、ルックはしっしっと手を振る。
どうやらそれだけで気分をよくしたらしいシーナが立ち上がり、キッチンに向かってふらふらと歩いていった。
そこでルックは、溜め息。
別に優しい言葉をかけたつもりはない。
ただ単にさっきのレイとの話を続けるのに、いてもらっては不都合なだけだからだったりする。
「……歌、ね……」
「うん、あいつのね……」
「あれを聞くと…よくわからないんだけど、なにかおかしくなるんだよ」
「僕もそう。何で立ってらんなくなるのかな。あれを…あれをこの先もずっと聞くんだよね?」
「しかも至近距離で」
「うああああ」
ふたりは頭を抱える。
せめてどうしてそうなるのかさえわかればどうにかなるかもしれないのに、実はふたりにはその理由がわからないのだ。
どうにかして考えてみようとするのだが、該当する言葉が見つからない。
第三者に相談でもすればわかるかもしれない。
しかし、第三者にこの状態を自分で伝えるのはなぜか悔しい気がしてしまう。
それゆえいつまでも考え込んでしまうのだった。
その理由に気がついたらよけいにおおごとになるだろうことには、今のところふたりは気付いていないようだ。
それが吉と出るか凶と出るか。
それは誰にもわからない。
「…それにしてもさ」
「ん?」
「……なんで、他の人たちは平気で、僕たちだけこうなっちゃうわけ」
「さぁ……」
その頃。
『スフィア=レーベル』社長室では、社長、『プロジェクト・アトリ』事務所長兼『スフィア=レーベル』副社長兼同相談役、『スフィア=レーベル』経理兼事務員、アトリビュートマネージャが顔を突き合わせていた。
なんてことはない、ユウキの部屋に首謀者一同が集まっているだけである。
彼らは先程送られてきたファックス(!?)を印字したプリントを手にしていた。
「……なるほど。こうまで見事な結果が出るとはな」
副社長が真面目な顔で頷く。
「さすがですね、兄さん」
事務員が目を輝かせる。
「まさかこんなに早く結果が出るとは思ってませんでしたよ」
社長がにこにこと同意する。
「だよね! まだデビューもしてないのに、デビューシングルオリコン初登場1位決定だもんね!」
マネージャがぐっと拳を握る。
相変わらず変なこだわりでもあるのか、部屋の明かりは薄暗い。
どす黒いオーラのような怪しい雰囲気をかもし出しつつ、4人は顔を見合わせて笑った。
ここからまた新たな戦いが始まる。