September 3rd, 2003
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「へぇ…それでは、休日にはなにをなさってるんですか?」
女性のインタビュアーが頷きながら質問する。
シンプルな部屋にはベージュの応接セット。
オフホワイトのローテーブルの上で、小さなカセットが回っている。
「そうですね。結構部屋に閉じこもって本を読んでいたりすることが多いかな? 熱中しすぎて、気が付いたら日が暮れていたなんてこともありましたよ」
「本がお好きなんですね。たとえばどんなジャンルのものを?」
「うーん、手当たり次第に読んだりしますけどね。最近は雑学書に凝ってて」
「みたいだよな。この前、こいつの鞄からどさどさ本が落ちてきたんだけど、それ、びっしり字の本で」
「ああ、あれね。あんまり字が細かいから家じゃ読み終わらなくて持ち歩いてるうちにそれが増えてくっていう」
「はははは。…オレは、体動かしに出たりしますけどね」
「え、色々お仕事なさってて忙しいでしょうに、それでもまだ?」
「うん、だからダンスとかスポーツとかじゃなくてただ単に騒ぐような感じでね。この前なんか、童心に返って色鬼なんかしちゃいました」
「やったね。でも、なんでだろう、ルールが難しくないゲームっていつの間にか真剣になっちゃったりしない?」
「最初はぶつぶつ言っててもね」
「そういう遊びって、スタッフの皆さんと?」
「そうですね、大体イベントのあとで打ち上げ兼ねてそういう流れになるんですよ」
「楽しそうでいいですね」
「ええ」
「ルックさんはなにを?」
「……僕は…体を動かすようなことには参加しません。レイと同じで、本を読んでいることが多いです」
「そうなんですかー。趣味が似てらっしゃるんですね」
「だけど僕とはスピードも量も違いますよ。ルックの方が集中力がありますからね」
「あ、でも休みっていえばさ……」
シーナは、後ろ手にドアを閉める。
ばたん、と音。
一瞬の間をおいて、レイとルックの溜め息がハモった。
このごろ、ドアの音がするととたんに気が抜ける。
たぶんこの外界へ繋がるドアを閉めることで、ようやく「個人」に戻れるからなのだろう。
ほんの数秒前までりりしい顔つきをしていたはずのレイが、ほんの少しすねたような顔をした。
「今日…まだ予定あるんだよね」
心底疲れ果てた声。
ルックはさっきからの不機嫌を持続させたままの顔で頷く。
人の前に出るのも苦手だというのに、不特定多数に配信するために喋らせられる、というのはルックにとっていらだちを助長させるだけだ。
苦行、と言っていいかもしれない。
シーナが首をひねる。
「なんだっけ。んーと」
「……。雑誌の写真。プロモーションビデオの撮影」
「あ、そうそう。ルック、よく覚えてるねー。………へ? そんなにあったっけ? え、じゃあ、オレたちが休めるのって」
「今日は、この30分が最後だろうね」
とことん不機嫌なルックの押し殺したセリフ。
レイは目を見開いて、慌てたように引いたままだった椅子に座る。
「てことは、あれだよね。気を抜いて座ってられるのも今だけだって。……なんか立ってるのももったいないって思っちゃう僕が情けない……」
かくんとレイが肩を落とす。
ルックは何かを言おうとして、すぐにやめて大きく息を吸った。
そうして気持ちを整えてから、もう一度口を開く。
「わかってるよ。無理もないね。だったらせいぜい有効に休ませてもらおうじゃないか。…紅茶でも飲むかい」
「え? あ、いいよ。僕がやる」
「大丈夫。どうせこんなことじゃないかと思って、冷たいのを作っておいたから」
自分の中で吐く息のひとつひとつがあきらめの溜め息に聞こえてしまう。
これは、労働なんとやらとかいう法律に引っかからないのだろうか。
普段より鈍い動きで台所に向かうルックは、立ちつくしたままのシーナを一瞥した。
「……座らないの? じゃ、紅茶もいらないってことだね」
「あ! いるいる!!」
ルックに誘われて椅子に座る。
そのシーナは心の中で、そっと(もう二度とあのドアが開きませんように……)と願った。
けれど、それが通る敵ではない。
スタジオの熱気は凄まじい。
写真のイメージがいくら涼しげで静かでも、実際は大勢の人間がいてライトが煌々と灯っているので、気温が尋常ではないのだ。
しかも密室だから空気までよどんでいる。
スタジオには幽霊が…などと怪談話も多くあるが、この熱気で幻を見る連中が多いのかもしれない。
もし仮に本物がいるのだとしたら、たぶんこんなふうにアイドルさせられてしまっていた者たちの怨念だ。
それとも、無茶な労働がたたって倒れた者の無念の思いだろうか。
どちらにしてもここで今息絶えたら自分もその仲間入りなんだろうな……とレイはぼんやり思う。
そのあとすぐに今日はこれから天気は下り坂なんだよなぁ、布団干したいと思ってたんだけどなぁ、などと考えたのは、立派な現実逃避だろう。
はぁ、とついた息はすぐ近くにいたシーナだけに聞こえたようだ。
「……大丈夫?」
囁くようにシーナが聞く。
レイはチラリとだけシーナを見て、ごくわずかに首を縦に振った。
「熱い」
「ん…。だよな。焼かれてるってこんな感じかな」
まっすぐに照らしてくる照明は、眩しいというよりも本当に熱いのだ。
スタジオ自体の熱気もすごいのだが、ライトを浴びると体感温度はぐんと跳ね上がる。
それになにより、サンド・ベージュの撮影シートの上に立つレイとシーナの位置が、極端に近い。
カメラに対して斜に構えるレイの肩にシーナが腕をかける、という体勢で…。
その近さが、よけいに……暑い。
(あー…ダメだ、別のこと考えなきゃ……。頭の中が沸騰しそう…)
なんだかこれ以上「暑い」だとか「熱い」だとか、思ってはいけない気がする。
たぶん自己暗示も手伝って、熱中症にでもなってぶっ倒れてしまうだろう。
「はーい、OK!! じゃ、次ね〜」
カメラを構えていたニナが顔を上げてにこっと笑う。
レイはもう一度息を吐いた。
次のカットは、自分は写らないから休める。
シーナにぽんと背を叩かれて力無く足を踏み出した。
ライトの照射範囲からはずれると、体の表面をひやりとした空気がなでる。
そこで、ルックとすれ違った。
ルックがそっと片手を挙げるから、レイもそれに合わせて手を挙げた。
ぱしん。
バトン・タッチ。
スタジオの隅の方にもうけられた机に突っ伏して、レイは目だけ上げて撮影風景をぼんやりと見ている。
「そう…もうちょっと近く。シーナさん、もうちょっと顔傾けてー?」
楽しそうなニナの声がふたりに指示を飛ばす。
それをそばで見守るナナミも心底楽しそうな様子。
大体さ、とレイは思う。
(大体さ、なんであのニナって子がカメラマンなんだろう…。不思議な光景だよな……)
ニナといえば、フリックファンの女子学生だ。
そんなに親しくしているわけではないからそれ以上は知らない。
ただ、最近ナナミとかなり親しい感じで喋っていたのは知っていたけれど。
しかしああいった特技を持つとは聞いたことがない。
なぜ彼女がカメラマンなんだ、と聞いたらナナミは「隠れた才能を発見したの」と言っていたが、そのあとの「ターゲットに近い目が大切なのよ。あとは感性の問題ね」…というセリフが、気になる。
なにがなんだかよくわからないが、ただひとつ…わかることがあるとしたら。
(……なにか、変だ)
それだけだ。
だが、それだけで十分な気もする。
先程までレイが立っていた、その立ち位置に今度はルックが立っている。
少し顔を上げ、カメラに向かって視線を流すポーズ。
シーナはそのルックの前に向き合うように立って顔を近付けながらもカメラを肩越しに見る……が。
…少々あれは、近すぎやしないか。
(僕と、シーナのカットの時も思ったけど…。あんなに近付く必要ってあるのかな)
首を傾げて、レイは机に置いてあった麦茶のボトルに手を伸ばした。
ボトルはすっかり汗をかいていて、持っただけで水滴が手を伝う。
最初は冷たかったのかもしれないが、熱気に負けて随分ぬるい。
しかし文句を言うほどのことでもないので、そのまま紙コップに麦茶を注ぐ。
そうしてまた撮影風景に目をやった。
……どきっ。
思わずコップを取り落としそうになる。
さっきまで見ていたのと同じポーズだ。
わかっているけれど、ふたりの体勢が目に入った瞬間、とっさに思ってしまった。
まるで、これは………。
………。
いや、そうだ、角度だ。
スタジオの端から見た、レイの角度が悪い。
そうだ。
そうに違いない。
レイは思ってしまったことを頭をぶんぶんと横に振って消そうとする。
頬に血が上って鼓動が自分でもわかるほど跳ね上がっているのもこの気温のせいだと言い聞かせて。
だって、それは、まるで…。
シーナが、ルックの頬に……。
(だーっ!! 僕はなにを考えてるんだよっ。そんなこと考えちゃっただなんて、ルックにバレたら思いっきり絶縁状叩きつけられるよねっ。あああ、落ち着けよ僕っっっ!!)
思わず机に突っ伏すレイである。
心の中で謝ってからまた視線をあげるが、一度思ってしまったことを覆すのは難しかったりする。
こうなったら、それがバレないことを祈るのみだ。
にしても、当の本人らはどう思っているのやら。
そう思って、ふたりの表情を注意深く見てみる。
ぱっと見、ふたりとも至って真面目に撮影に臨んでいるように見える。
たしかにカメラマンであるニナの指示は「きりっとした表情で」だから、ぴったりの表情をしている。
けれどつきあいを重ねたレイにはわかるのだ。
(……あーあ、ルック、機嫌が最悪…。シーナのヤツ慌ててるよ。そうだよなあ、あんな至近距離で機嫌の悪いルック見てたらどうしたらいいかわからなくなるもんね)
思って、大きく息を吐いた。
(次は僕とルックだっけ。カメラの前に立つ時って、必ずルック機嫌悪いからなあ…)