アトリ
=謀略の予兆=
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結局、レイとルックも随分近い距離のカットになった。
数センチの距離で不機嫌なルックと向き合うのは、生半可なものではない。
もちろんその気持ちはレイにもわからないわけじゃないし、どちらかといえば全くの同感である。
それでもふたりのとる態度が違うのは、レイは比較的あきらめがよくてとっさに優等生を演じられるのに対し、ルックはそれをしないせいだ。
早い話、ルックの方が不器用なのだ。
かなり遅めの昼食として出された弁当をつつきながら、3人の中ではもっとも柔軟なシーナがすっかり疲れ果てているふたりをちらりと見た。
「…もしかしてさ。ふたりも思った?」
黙って麦茶を飲んでいたルックが、機嫌の悪い顔のまま目を上げる。
「なにが?」
問い返したのは椅子にもたれかかったレイだ。
シーナは交互にふたりに目をやってから、天井を仰ぐ。
「なんかさー…。企んでるよなー、スタッフ陣」
すっと視線を落としたのがルック、泳がせたのがレイ。
どうやらふたりも同じことを思っていたらしい。
ただそれには気付かないふりをしていただけで。
「……いや。きっと。なんにもないよ。なんにもないよ、きっと。そうに違いないよ。ね……?」
明らかに自分に言い聞かせる口調でレイが言う。
語尾は完全に何かにすがるよう。
シーナもなにか考え込んでいたようだが、すぐにわざとらしく頷いた。
「そ…っ。そうだよなっ!! まったくだ、うん! オレの考えすぎだわー!!」
「だっ、だよね〜」
「その通りっ」
引きつった笑顔で、あははは、と声を合わせる。
その声が砂漠のように乾いて(というよりひからびて)いたのは言うまでもない。
ふたりの心の中はひたすらスタッフらの企みなんてないと信じたい、それだけだ。
はあ、とルックが息を吐いた。
レイとシーナはぎくりとする。
「それで何事もなく済めばいいんだけどね」
さすがに不機嫌なままでいるのも疲れたらしく、そっと首を傾げる仕草が柔らかい。
が、言うことはさすがにシビアである。
「本当にそう思うわけ? なにもない、って思ってなにもなかったことがあった? あの連中だよ? 大体が僕ら3人を捕まえて、アイドルって発想が出る時点でおかしいんだ。下手に期待してもあとでそのギャップに落ち込むだけだよ」
シビアだが、もっともだ。
レイたちはそれもわかった上で淡い期待を抱いていたのだが、やはりルックの言うように無駄なのだろうか。
ふとレイの脳裏にナナミをはじめとするスタッフの笑顔が浮かんだ。
一見天使の笑顔、けれどそれは悪魔の笑みだ。
ぞっとするふたりをちらりと見やり、
「…今日のこれからの予定、さすがに覚えてるだろ? プロモーションビデオの撮影だとかいうけどさ。どの曲のクリップだか、理解してる?」
と、吐き捨てるように告げる。
シーナは首を傾げた。
「えっと、あれだろ。『Parting Way』…」
それに反応したのはルックでなくレイだ。
はっと目を上げて、それからあらぬ方向を見つめる。
「……『Parting Way〜君が見ていた雫〜』……」
「そうだよ。あの歌詞はさ…」
ようやく、シーナがぽんと手を叩いた。
現場に到着してから、絵コンテを見せられた3人である。
到着してから、である。
その上ぶっつけ本番だという。
ちょっと待て、は当事者以外が思ってしまったとしても仕方がない。
普通はありえないスケジュールではないのか。
メディアでそれをやってはあとに支障が出る場合だってあるだろうに。
もはや愕然としていいのかこういうものだと諦める方がいいのか。
判断がつかずにレイは頭を抱えた。
……たぶん、頭を抱えたのは他にも理由があったからだろう。
自分で分析をして溜め息をつく。
すっかり他人事と化しているのは未だに「いつか覚める夢」だという希望があるからかもしれない。
そう、希望を捨てちゃいけないのだ。
それは3年前の戦いで身にしみてわかっている…はずなのだけれど。
希望という言葉が遠いお空の彼方にあるように思えて仕方がない。
ちらりと横を見ると、シーナが石のように固まっている。
さらにその隣を見ると、無表情なルック。
いや、完全に血の気が引いている……まともな反応かもしれない。
「すみません、時間がないのでこんな急にお渡しすることになっちゃいまして」
しれっと言うユウキ。
意外に狸だ、この軍主(社長)。
(……そういえば、ここの軍師って動物にたとえたらキツネって感じだもんな。思いっきり、人のこと、騙すあたりが特に!)
レイはぐっと拳を握りしめた。
スタッフには見えないように。
「この曲、ライブですごく人気が高いんだよね。見たでしょ? ライブのアンケート」
心の底から楽しそうなナナミのセリフが重い。
『レイくんの切なげなボーカルがすごくよかった!』
『次のアルバムに入るんですか』
『綺麗な曲ですよね。一番好きな曲です』
『プロモはないんですか? 見てみたいです!!』
etc.
ライブのテンションをそのまま引きずっているから、暴走した文字で暴走したコメントの数々。
しかもこれがどーんと積み上げられたアンケートの1枚1枚に書かれているのである。
もちろん、これだけ人気のある曲をスタッフが放っておくはずはなかった。
「よし、作るわよ!!」
というナナミの一言で、それは決まってしまったのだ。
いくらプライベートな場所で弱音を吐いても、これは仕事だから。
だから、もうこうなったら槍でも鉄砲でも、という気持ちで仕事には向き合っている。
しかし……。
雨の中。
別れの気配を感じながらも気付かないふりをするふたり。
すれ違う心を埋めようとすることが、新しい傷を作る。
それでもお互いを思う心は真実で。
互いの重荷となることを悲しむ故に、共にいることが苦痛になって。
思うからこそ背を向ける者。
わかっているからこそ追えない者。
そんなような内容だ。
特に目新しくもない、ありがちな歌詞だと思う。
けれど、メロディラインが心を揺さぶるのだ、と少女たちは口々に言う。
そしてそれをレイのメインボーカルで聞くと、まるで自分たちが3人の恋人になったような気分になるのだそうで。
つまりは疑似恋愛体験ができる、というのだ。
それを聞いた時の3人の反応は様々だった。
ルックは「ふぅん」と気のない返事。
レイは「は!?」と言ったきり言葉をなくしていた。
シーナは「えー、疑似なんだ」と言ってレイとルックに睨まれていた。
それが『Parting Way〜君が見ていた雫〜』という曲だ。
それだけなら問題はさしてない。
が、それを映像で表現をする、と考えると問題があるのだ。
ビデオクリップといっても、その辺の自然物を背景に歌っているだけならいいのだけれど、ルックの言葉を借りるなら、「それで何事もなく済めばいいんだけどね」。
もちろん、それで済むとは思っていなかったからルックもそう言ったのだ。
そうして、今……。
絵コンテを渡されて、その不安がビンゴだったことを悟った。
……歌詞の中の物語を映像で辿るなら、出演者はふたりだ。
愛し合うふたり。
ひとりは、恋人を置いて去っていく者。
もうひとりは、去っていく恋人の背中を見つめる者。
で、この曲のメインボーカルはレイである。
すなわち。
「僕と? こいつが? 冗談だろ?」
ナナミに向かってぼそりと言うルックの目は完全に据わっている。
あろうこうとか、ルックとシーナに与えられた役柄は「恋人同士」。
もちろんルックはその言葉を口にするのも拒否したようだ。
その様子を見ていたシーナは複雑な顔をしている。
喜んでいいのかなだめていいのかで迷っているようだが、この状況で喜ぼうかと迷うのだからいい度胸である。
ナナミは顔の前で大仰に手を振る。
「違うよぉ。絵コンテでもわかると思うけど、物語をすべて追うんじゃないから。時々それっぽい画像が入るってくらいだから、大丈夫! いわゆるイメージ画像って奴ね」
たしかに、ナナミの言うとおり。
恋人同士だからどうの、というシーンがあるわけでもないし、実は歌詞にも恋人同士とは明記されていない。
ましてや愛だなんだという単語もない。
だから、取ろうと思えば友情とも取れるのだ。
多少行きすぎた感はあるが。
さすがに穿ちすぎだったろうかとルックが息を吐きかけた、そのとき。
「まぁねー。ルックくんには女装してもらおうかって意見もないわけじゃなかったんだけどねー」
ナナミのさりげないセリフ。
それをルックが聞き逃すはずはない。
「ちょっと待った……今、なんて?」
「あれれ。聞いてた? うん、ルックくんにドレス着せようかって話してたの」
「っ……冗談じゃないっ」
「もちろん、そう言うだろうと思ってさすがにそれはやめておいたんだよ」
それじゃあ、なにか。
ルックが何を言われても黙っているタイプだったのなら、ドレスを着せられたということか。
もともと限界のライン近くまでせり上がっていたルックの怒りゲージがぐんぐん上がっていくのが、そばでなんとなくその様子を見てしまっていたレイにはわかった。
このナナミとユウキの義姉弟、本当に怖いもの知らずかもしれない。
が、とどめを刺したのはこのふたりではない。
なにかを考えるふうに腕を組んで視線を泳がせていたが、しばらくしてくすりと小さく笑ってしまった奴がいる。
「………そこの」
「えっ? あ、はいっ」
「今考えたこと言ってみろ」
「あー……えー…とねぇ…」
びしりと命令形のセリフを突きつけられたシーナがしまった、という顔をした。
言ってみろ、とはすなわち、口にしたらただじゃおかないぞ、と同意だ。
ただし、言わなかったら言わなかったでまた機嫌を損ねるのである。
「えー…。ルックだったら、ドレスでも、似合うだろうなぁ…可愛いだろうなぁ…って、思いました…」
なにやら某国の古い大統領の幼少時の逸話に、桜の枝を折ったことを正直に申し出たところ、「正直でよろしい」ということで許されたという話があったとか。
が、それは申し出る相手の性格の問題だ。
今回の場合は、相手が悪い。
しかも朝からのハードスケジュールで抑圧が限界点に達していたのも災いした。
完全に頭に血が上って、どこかで何かがぷつんと音をたてる。
ルックはすうっと目を細めた。
「……ふーん。そうなんだ。女の格好でもしてないと、僕はあんたをその気にさせることもできないんだ?」
「わ、ルック、落ち着いてよっ」
「レイは黙ってて。そんなに僕って魅力ないんだ」
「いや…そ、そんなことないってば!! 普段のままのルックが一番好きだよ!!」
「じゃあなんでそんなことを思うわけ?」
「いや、その、それは、だから…」
「…レイ、これはほっといてさっさとやろうよ。時間の無駄だ」
「あー…そだね」
「ルック〜〜〜!! これ、だなんて…。いつもみたいにシーナ、って呼んでよ。愛情込めてさv」
「そんなもん込めて呼んだことないんだけど。大体、あんたなんか代名詞で十分だよ」
………ちなみに。
よほど疲れていたのか動転していたのか、あとで話を聞いたところ、この時どんな言い合いをしたかを3人は覚えていなかったらしい。
スタジオの衝立の陰で、シュウが不敵な笑みを浮かべた。
一体なぜそんなところにいたのか、それは不明である。
雨。
降りしきる雨。
全体を通して、雨。
もちろん雨を降らせようと思っても自然現象なので簡単にはできない。
そこで、開発部のアダリーが考案した人工降雨機(馬鹿でかいシャワーのようなもの)を用いた。
その雨の中で、レイが歌う。
3人のカットがある。
そうしてルックとシーナが向き合うシーンが。
「なんか、疲れたなあ……」
「だろうね。たいした動きをしてるわけじゃないけど、ずっと雨に打たれてたようなものだから」
「ね、途中から寒くなかった? 僕、震えちゃってさ」
「リアリティがあってよかった、ってナナミは言ってたけど?」
「完全に他人事だね……リアリティって」
「たしかに、まぁ、他人事かもしれないけど。でも水が目に入ってキツかった…」
「演技どころじゃない状態でも、あの連中には関係ないんだろ」
「…ルック、怒ってる?」
「別に。疲れたのと呆れたのと。…早く休みたい」
「んー、それにさ、水が口に入って歌いづらいの何のって」
「あ、それもあった!!」
どうせ、できあがったものを見て目眩を覚えるのだろう。
告知ポスターも雑誌掲載用写真も、そのときはそうでもないのに、できあがったものを見てみると思わず倒れてしまいそうになった。
だからたぶん今回もそうだ。
そして、その予想が間違っていないことは数日後に判明するのである。
スタッフの面々は、本当になにを企んでいるのやら。
わかりそうだけれどわかりたくない、が本音だ。
はあ……。
平穏を願う3人の溜め息が、ぴったりとハモった。
Continued...?
<After Words> |
久し振りの更新です(汗)!! で、あげくに他のシリーズをさしおいてアトリです。 他のシリーズが手をつけても書けないという恐ろしい状態の中で、 これは書けそうだなぁと思ったので書いてみたんですが…。 それでもやたらと時間がかかってますね。なんなんでしょう。 時間をかけていいものが書けるならばいいんですけどねぇ…。 ま、「所詮その程度のレベル」と言われればそれまでです。 言い返す言葉もございません。 えー…今回のアトリですが。 みゅーじっくくりっぷですか、そんなものを撮ってみました。 一応「恋人」の設定なのでルックさんはいやがってたようですが、 ナナミちゃんも言ってたとおり、すごいシーンがあるわけじゃないです。 向き合うシーンと、伸ばされた手を払いのけるシーンと、 去っていく背中をみつめるシーン。 実際そんな感じです。 頭の中で絵コンテ立ててた自分…(笑)。 |