April 8th, 2004
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さらさらと、わずかにペンの走る音。
迷うようにペン先で机を叩くような音もたまに聞こえる。
それ以外は総じて静かな部屋は、爽やかな香りで満ちていた。
それは少し開いた窓のそば、風に小さく揺れる鉢植えの緑の香りだ。
一応その香りにはリラックス効果があるというのだが。
しばらく手を止めていたレイは、思い悩んだ末に白い紙に大きな×を書いた。
「………あー…。ダメだ……」
大きく伸びをしながら。
どうやらさすがのリラックス効果もこのそびえ立つ現実の前では期待できないようだ。
ペン先を無闇に滑らせていたルックも溜め息をついた。
「僕もだよ。……まったく。僕らを困らせて楽しんでるんじゃないの?」
だとしたら究極の嫌がらせだが。
そこまで恨みを買ったつもりはない………はず。
はず、だから怖いのだ。
さすがのシーナも返す笑いが乾いている。
「そう思う気持ちもよくわかるよ。…えっと。『真昼の太陽が眩しくて』…とかは?」
「季節的にちょっと厳しいな」
「そうなんだよなー。『どんな言葉が偽りでも 君を愛し続けることだけは 紛れもなく ただひとつ 僕の真実』なんてのは?」
「なんか腹立つ」
「えー!? そーかなぁ」
それぞれが白い紙に向かって思い思いの言葉を重ねる。
だが、それをひとつの方向にまとめようとするとこれがうまくいかない。
いきなりぽんと目の前に放り出されておかしくない種類の仕事だったらまだよかったのかもしれないが。
「…『手を伸ばせば 振り向いてくれると思った』?」
「『でも僕は手を伸ばさなかった』…」
「『手を伸ばしてくれるのを待ってた きっと君は そして僕は』……うーん」
ぶつぶつ、仕方なさそうに手を動かしながら言葉を探していく。
「こういうのって、自分の素直な気持ち吐いた方がいいのかなー」
「さぁね。僕は嫌だけど」
「僕もちょっと……」
「なんで? オレへの気持ち込めてくれればいいだけじゃんv」
「ごめん何とも思ってないから」
「えええええ??」
本日の難問。
ズバリ、「新曲の詞を作ること」、である。
もちろんそれを言われた3人は真っ白になった。
今まで提供された楽曲を歌ってきただけだったのに、いきなりそう突きつけられて戸惑わないはずがない。
それはわかっているだろうに、マネージャのナナミはいとも簡単に問題を放り投げてきた。
詞を書くとなると、曲からイメージをもらって音数に合わせて書くか、出来た詞から音を作るか、の2パターンがある。
いかに真っ白になったといえども、さすがにルックは冷静だった。
どちらのパターンで書かせるつもりなのかとナナミに聞いたのは、そんなわけでルックだ。
そうしてナナミの答えは。
「どっちでもいいよー」
おいおい、どっちだ。
真っ白な頭でツッコミだけ入れる。
「とりあえずね、1曲だけ曲が出来てるの。なにせ3人とも初めてだよね? だから、両方のパターンでやってみて、得意な方で今後は行こうと思ってるから! 今回は1曲ずつってことで、お願いしまーす!」
質疑応答はそれで終わり。
一体彼女は初心者扱いをしてるのかしてないのか。
どうやら今後もこの作業は課せられるらしいことだけははっきりしているが。
とりあえずそれからは目をそらして、まず2曲をどうにかすることが3人の課題となった。
しかし。
どうあがいても初心者は初心者だ。
話す気力すらなくなって、俯いたまま3人は真っ白い紙に向かう。
もし頭の中を映像化するとしたら、目の前の紙そのものじゃないかと思う。
真っ白で、時々走り書きのように書かれた文字はいくつもの×で消されていて、まとまりがない。
しばらくは本当に静かで、ペンの音も止んでいた。
10分。
30分。
時間だけが無為に過ぎる。
音を上げたのはシーナだ。
「うわー……。もうダメかも。考えれば考えるほど頭の中空っぽになってくぜ……」
「もとから空だろ」
深く息を吐きながらのルックの返事。
なのだが、シーナは嬉しそうな顔をする。
どうやら黙り込んでいるのに耐えられなくなったようだ。
思わず上げた声にルックが反応してくれたことが嬉しかったらしい。
「つれないなぁルックってばv オレの頭の中はいつでもいっぱいなのにvv」
「なにで?」
「ふたりへの愛でv」
「考えれば考えるほど空っぽになってくんだろ」
「うっ」
シーナが詰まる。
やはり舌戦でルックに勝とうなどとは思わない方が身のためかもしれない。
もちろん、勝ってみたい。
が、そうやって言葉遊びのようなやりとりをして言い負かされてしまうのもまた楽しくて、だからついついつっこまれるようなことを言ってしまう。
そしていつもいつも、敗北。
いつか勝てる日は来るのだろうか。
もしかしなくても、それは遠い遠い日かもしれない……いや、来ないかもしれない。
「……にしても、疲れたー。大体がさ、さっきの時点でとっくに限界は来てたような気がするんだけど。やったことないのにいきなりやれって言われてもなー。そりゃ…努力はするけどさ」
「そこに関しては僕も同意だね。突然そんなこと言われても、そんな甘いものじゃないんじゃないの? 下手なものは作れないわけだから。…だめだね、煮詰まってきたし…いったん休憩にしようか。何か飲む?」
「あ、うん! 今日のおススメは?」
「ミントティー」
「オレもそれにするー」
にへら、と気の抜けた笑顔を浮かべて机に突っ伏すシーナ。
あえて何も言わず、ルックは立ち上がった。
「レイも飲む?」
さっきから黙り込んだままずっと俯いているレイに声をかける。
レイも大概が真面目だから、集中して相当疲れているはずだ。
手を抜けばいいのに、どうもやり始めると動機がどうあれ真剣にやってしまう。
そこが長所であり、同時にストレスの原因になっていると思うのだが。
だからこっちから声をかけなければ、いつまでも目線をそらさない。
ところが。
声をかけたのに、レイからは反応がない。
ペンをぎゅっと握りしめたまま、しかしなにかを書いている風でもないし。
「レイ?」
怪訝に思って、ルックはわずかにかがんでその顔を覗き込んだ。
それでようやく気付いたのか、レイはぱっと顔を上げた。
「えっ、あっ、ごめん!」
「いいけど……顔、赤いよ。大丈夫?」
「大丈夫だってば」
大きく手を振ってレイが笑う。
いつもよりも大きなアクション。
その様子に、ルックは小さく首を傾げた。
「ミントティー入れるけど。レイもいる?」
「うん」
「じゃあ用意する。ちょっと待ってなよ」
「あ、僕も手伝……」
勢いよく立ち上がる、椅子のがたんという音。
が、言葉はそこで途切れたままになった。
とっさにルックが腕を伸ばしていた。
シーナは一瞬何が起きたのか理解できなかった。
気付いた時には、ルックがレイの体を抱き留めている。
「え……レ、レイ!?」
驚いてシーナが呼びかけると、レイは閉じていた瞼を何度かしばたたかせた。
「…ごめん。ルック、大丈夫だから」
「何がどう大丈夫だっていうのさ。なんの説得力もないんだけど」
「ちょっと…ふらついただけだよ」
「その熱のせいでね」
熱?
シーナは目を見開く。
ルックはレイをじっと見ている。
大丈夫、などとレイは言うが、体がそれについていっていないではないか。
大きな溜め息をついて、ルックがきっぱりと告げる。
「シーナ。この大馬鹿、部屋に連れてって着替えさせてベッドに放り込んどいて」
「あ、わかった。…ルックは?」
「事務所行ってくる。仕事交渉。こんな状態のレイを働かせるわけにはいかないだろ?」
たしかにそうだ。
今日は作詞を頑張るようにと仕事は入っていない(これも仕事ではあるが)。
だが今日予定がないからといっても、明日はある。
明日からの仕事はたとえ熱が引いたとしても、病み上がりにはキツいハードなスケジュールだ。
ルックからレイの体を預けられて、シーナはその熱さにまた驚いた。
「ルック…本当に僕…。迷惑かけらんないし……」
絞り出すような声でレイが事務所へ向かうルックを引き留める。
が、ルックはそれに一瞥をくれた。
「それで出てって出先で倒れられる方が迷惑だよ。四の五の言ってないでさっさと寝ろ。それ以上言うんなら切り裂くからね。わかった?」
言うだけ言うと、ルックは振り返らずまっすぐに事務所へ出て行った。
あとに残された、レイとシーナ。
「あー……レイ。行くよ?」
いつまでも外へ続くドアを見つめるレイに、シーナは遠慮がちに声をかけた。
レイは無反応で唇を噛んでいたが、間をおいて小さく頷く。
シーナは眉根を寄せた。