アトリ
=君のための言葉=
− 2 −
足許のふらつくレイを支えながら、シーナはレイの部屋のドアを開けた。
「ねぇ…シーナ。僕…大丈夫だよ。予定もあるし…迷惑かけるから」
「まだ言うかなー。気にするなって。ルックがなんとしてでも休みもぎ取ってきてくれるからさ。それに、迷惑だなんて言うなよ。少なくともオレたちはそんなふうに思ってないから」
「だけど」
「はい、はい。せっかく体が休みたいって言ってるんだぜ。素直にそれに甘えとけって。……もちろん、オレたちにもね」
笑いながら顔を覗き込む。
辛そうな目は熱のせいなのか、申し訳なさのせいか。
たくさんの言葉をかけてやりたくなるのだけれど、まずは休ませてやることが先決だ。
シンプルな内装の部屋の、壁際に置いてあるベッドにとにかくまずレイを座らせる。
「レイ、寝間着は?」
「…タンスの一番上」
「オッケー。開けていいね?」
「うん…」
シーナは急いでタンスに飛びついた。
一番上、と呟きながら取っ手を引く。
そこにはレイらしく、きちんとたたまれた水色の夜着。
(へぇ……。レイに水色?)
見慣れていた近衛の制服が赤だったし、私服も赤系が多かったから、なんだか新鮮だ。
それが無性に嬉しいのは何故だろう。
とにかく、それを掴んでとって返す。
「これでいいんだよね。手伝おうか?」
「いいよ…平気」
やんわりとレイは断るが、聞いているのかいないのか、シーナはレイの上着のボタンに手をかける。
が、これといって反応がない。
至極ゆっくりとした動きのレイを手伝いながら、戸惑っていいのか役得だとにやければいいのか迷ってしまう。
いつもだったらそんなことをしようものなら殴られるか叩かれるか、どちらにしても攻撃が待っているはずだ。
多少体調が悪くても攻撃の気配くらいはあるかな、と思っていただけに意外だ。
それとも、そんなに悪いんだろうか。
心配になって、そっと顔を覗いた。
「…レイ? 大丈夫? …って聞くのも変だよな。大丈夫じゃないから熱でてるんだもんな」
「ん…? どうして?」
「いや、なんか、オレがこういうの手伝うのって、いやがるかなーとか思ってたからさ」
「嫌」
「うっわ。あはは、言われちゃったなー。じゃ、なんでされるがままなんだよ」
「………から」
「え?」
「おまえが、変なこと言うから」
シーナは首を傾げる。
問い返すようにじっと目を見ると、レイは少しすねたような顔をする。
「……甘えろ、だなんて言うから。なんかそれ聞いたら…気が抜けたみたい。動きたくない……」
はぁ、と息をついて、そのままもたれかかってくる。
ということは…?
レイが自分に甘えてくれているということか?
普段はとてもしっかりしていて、気が付くとリーダーになっているレイ。
アトリが活動し始めた時だってそうだ。
3人の中で誰がリーダーになるかなんて話題になったこともなかったのだが、いつの間にかレイがリーダーということになっていた。
ライブでも取材でも収録でも、レイはリーダーとして積極的に動く。
もちろん解放軍のリーダーであったことは言うまでもない。
別にそれは、目立ちたがりということではないのだ。
逆に目立つことが嫌いだし、人に注目されることを苦手としている。
ただ、責任感が強い。
誰かがやらなければいけない状況で誰もがいやがっている時に、ならば自分がと立ち上がる。
レイが背負うのは「リーダーの輝かしい立場」ではなく、「リーダーの責任」だ。
レイが大変な責務を矢面に立って引き受けてくれるから、後ろにいる者たちは安心する。
頼っている、といえば聞こえはいいが、全てを押しつけているということでもある。
そうして、その顔を保つために、レイは素の自分を滅多に出さない。
よほど強く信頼した相手でなければ。
だから……レイがこんなふうに弱い自分をさらけ出してくれる。
警戒心の欠片もなく寄りかかってくれる。
それが嬉しい。
けれど同時に、心苦しくもあった。
(…こんなに倒れ込むまで、レイはリーダーとして頑張ってきてくれてんだよな……。甘えてんのはオレの方だよ。これからはちゃんとレイを支えなきゃ)
望んでなったアイドルじゃない。
だがこうなった以上、引き下がるわけにはいかない。
たった3人なのだ。
レイもルックも、責任感が強いから。
考えすぎるふたりを支えるのは、自分しかいないじゃないか。
ひとり胸の中で拳を握るシーナだった。
しばらくして、部屋のドアが静かに開いた。
ベッドのそばに椅子を引っ張ってきて座っていたシーナが顔を上げる。
「お疲れ」
幾分か控えめな声で笑いかける。
俯きがちに入ってきたルックは少し目を上げ、シーナを見て頷く。
「レイの様子は?」
「あぁ、今横にさせたところだけど。少し楽そうになったかな」
「そう……」
シーナは視線を落とす。
肩までしっかり布団をかぶせられたレイは、目を閉じて浅い吐息を繰り返している。
辛そうなのに変わりはないが、座っているだけの時よりは表情の険しさが和らいだようだ。
「そっちは?」
聞き返すシーナの声は殊更明るい。
その意味を汲み取ってルックもわずかに笑う。
「大丈夫。調整したから……遠慮なく休めってさ」
「んじゃあ、堂々と休めるな」
よかったよかった、とオーバーに肩を落とすシーナ。
聞いていたのか、ふとレイが重そうな目を開けた。
「……ルック?」
まるでひとりごとのような音量。
ルックは枕元まで近付いて、「何?」と聞き返した。
「仕事……」
「今言った通り。大丈夫だってさ。まぁ、僕たちにも予定外の休みが出来たわけだからね。こう言っちゃ悪いけど、レイのおかげだよ」
「ルックたちも…? 僕が抜ける分、ふたりに行っちゃうかと思ったんだけど……」
「覚悟はしてたけど、ならなかったね。だって、そうだろ。僕たちは3人でひとつなんだから」
「……三分の一人前…ってこと?」
「なんじゃない?」
「あはは…」
レイが小さく笑う。
ようやくシーナは大きく息を吐いた。
笑顔が見られて、ちょっとだけ安心した。
ほんの少しでも笑顔が見られないと心配でしょうがない…もしかして、グレミオの心配性が移ったんじゃないかと思ったくらいだ。
「さて、と。風邪の時って大体どうすりゃいいんだ? オレ、ここんとこあんまりやらなかったからなー」
「…あぁ…なんとかは風邪引かないって……なるほどね」
「ちょっと待ってよレイ、納得しすぎ…」
「僕も風邪なんて引かないけど?」
「じゃあ…やっぱ伝承なんだ」
「えー? オレってそんなに馬鹿に見える?」
「……色々言いたいことあるけど、やめとく」
いつもと同じようなやりとり。
たぶん、これだけの会話が出来るなら大丈夫だ。
「あ、そーだ、頭冷やした方がいいんだよな。たしか母さんがそうしてくれたような…。オレ、持ってくるね」
安心したのが手に取るようにわかる顔で、シーナが立ち上がった。
ばたん、閉じた扉をレイはぼんやりとした頭のままで見送る。
意識ははっきりしているのに動作がついていかないのは、とても奇妙な感じだ。
「…辛い?」
シーナの持ってきた椅子にかわりに座ったルックが、ぽつりと聞く。
「うーん……。ちょっとね。だけど、平気。そんなに長引かないと思う」
「わかるんだ、自分で」
「僕…結構…昔からよく熱出しててね。しょっちゅうグレミオ泣かせてたなぁ……。解放軍に入ってからは変に緊張してたせいで…なんとかもったんだけど……」
力無い笑顔。
ルックはレイに気付かれないように息を吐いた。
「あ…ねぇ、ルックってあんまり風邪…引かない方?」
「そうだね。ほとんどないかな。だから…ごめん、僕はレイがどんなに辛いかわからなくて…こんなになるまで気付かなかった」
「いいよ…。僕、ギリギリまで我慢しちゃうんだよね…。それで倒れちゃグレミオにもっと早く言って下さい、なんて言われちゃってさぁ……」
「まったくだよ。ほんと、驚いたからね」
「はは…ごめんごめん……」
そっとレイの額に手をやると、さっきよりも暖かく感じる。
どうやら本当に気が抜けてしまったらしい。
荒い息が苦しそうで、普段のレイとのギャップが大きいのが辛かった。
「ただいまー。持ってきたよ」
ふいにシーナの明るい声。
同時に手桶の中で水が揺れて、からんからんと氷の音がする。
なんだかそれだけで気分がすっとするような音。
「どれくらいにしたらいいかわかんなくてさ。冷凍庫にある氷全部入れて来ちゃった」
言いながら、サイドテーブルにそれを置く。
そして手際よく浸したタオルを絞った。
「レイ? ちょっと最初冷たいよ」
ひたり。
熱い額に、冷たいタオルが乗せられる。
「ん……」
「冷たすぎる?」
「だいじょぶ……。きもちいー……」
ぼんやりしていた思考がすっと晴れるような。
冷たさと重さが心地いい。
「よかった。これやっとけば熱引く……んだよな?」
「実際にそういう効能はないけどね」
「あ、そうなの?」
「うん。熱を上げてる根本原因に作用するわけじゃないからね。…でも、それで少しでも気分がよくなるんなら十分だよ」
ふたりの会話が耳に柔らかく響く。
レイは、息を大きく吸った。
このまま少し眠れそうな気がした。