アトリ
=君のための言葉=
− 3 −

 ふと目が覚めた。
 だるくて重い体と、喉の痛みはまだ引くはずもないが、眠れたのだからマシな方か。
 思い通りに動いてくれない瞼を開くと、傍ではシーナが椅子に座って何やら本を読んでいる。
「……めずらしいね…シーナが本読んでる」
 かすれた声。
 目線をあげて、シーナが笑う。
「おはよ。…そんなに珍しいかな。オレって意外と博学だぜ?」
「そりゃ意外も意外……」
「レイってオレのことなんだと思ってるんかな」
「なんとも」
「ありえないって。…それよか、どう?」
 シーナはそっと手を伸ばし、首筋に触れる。
 やはり熱い。
 額のタオルを裏返してやると、レイは大きく息を吸って目を閉じた。
「…うん。だるいし喉痛いし頭も痛い。だけど、さっきよりかはちょっと楽……かな」
「そっか。気持ち悪いとかは?」
「そんなでもない……」
 静かな部屋。
 大騒ぎしながら忙しさに追われている毎日とは隔絶されたような。
 自分の吐く息と心臓の音が耳に響いている。
 胸のあたりで何かがつかえたような感じがする。
 それが少し苦しくて、何度か咳き込む。
 すぐにシーナが顔を近付けた。
「苦しい? 水分摂った方がいいよな」
「ん、ごめん……。僕、気管支弱いらしいんだよね。それだと思うんだけど……」
 幼い頃は、本当にしょっちゅう熱を出していた。
 寒い中川で遊んでは熱を出して、長時間表で遊んでは熱を出して、窓辺で寝てしまっては熱を出して。
 今から思うと、グレミオの心配性はあの頃から酷くなった気がする。
 年齢と共に高熱を出すことは減っていったが、それでもたまに倒れることがある。
 相当手のかかる子供だったと今更ながらに気が付いた。
 グレミオのあのお節介すぎる性格は、ほとんどがレイに責任があるのかもしれない。
 また小さく咳をして、レイは部屋の中を見渡した。
「……だいじょぶ、ごめん。…ねぇ、ルックは?」
 わずかに不安げな声。
 普段から四六時中一緒にいる、というわけではないから、部屋に誰がいなくとも不思議はない。
 ずっと一緒にいすぎるのも相手が疲れるのではないかと誰ともなく気を遣っていたせいで、個人の部屋に立ち入ることはあまりなかったし。
 けれど、今のレイにはそれが不安なのだ。
 体調を崩すと、不安がより一層リアルに感じられるものだから。
 それを感じて、シーナはぽんぽんと布団を叩く。
「いるよ。キッチンにいる。……ほら、来たよ」


「シーナ?」
 ノックのかわりに小さく呼ぶ声。
 シーナが立ち上がると、とっさにレイの手が服の裾を掴んだ。
 それには驚いたけれど、すぐに柔らかく笑いかける。
「すぐ戻るよ。心配しないで」
 諭すように囁くと、不安げな目のままでレイが頷く。
 こんな表情は、たぶん熱のせい。
 だからだとはわかっているが、全面的に頼られているというのはまた格別な気分だ。
 それでなくとも、相手はあのレイなのだから。
 ドアを開けると、真っ先にルックの憮然とした顔。
「…何をそんなににやにやしてんのさ気色悪い」
「んー? なーんかあまりの愛おしさに暴走しそうでさv」
「はぁ? 遠慮しとけよ、病人相手に。それより、ドア、開けといてくれる?」
 言われてみればルックの両手は大きなトレイでふさがれている。
 その上には蓋のされた器がきちりと乗っていた。
 シーナが大きくドアを開けると、すっとその横を通り抜けるルックのあとから美味しそうな香りが漂う。
「レイ。食事の支度してきたよ」
 サイドボードにトレイを置くルック。
 レイは目をしばたたかせた。
「……あんま…食べたくない」
「それじゃ治るモンも治らないだろ。第一、薬飲めないじゃないか」
 ルックとベッドを挟んで反対側の椅子に座りながら、シーナ。
 肩をすくめたルックが息を吐く。
「珍しくまともなこと言うね。その通りだよ。…おかゆにしてきたから。食べられるだろ」
「味がしないから嫌」
「ふうん? ホタテとショウガが入ってるんだけど、風邪引きのレイにはわからないか」
「……干しホタテ?」
「うん」
「……………。食べる」
 吹き出しそうになったのを、なんとかシーナは堪える。
 心の中では、
(レ…っ、レイがわがまま言ってる……。可愛いーv)
 なんてこっそり思っていたのだから、堪えて正解だ。
 下手に口を滑らそうものなら、少なくとも部屋を追い出されるくらいは覚悟した方が良さそうだし。
 そのレイは、なぜだか片手をあげてふらふらと振っている。
「? なにしてるんだよ」
「なにって…起きあがろうとしてるんだ…けど。体も腕…も、重くて動けない……」
「………はー…。すっかり甘えっ子になってるんだからな…。あとで我に返って後悔しても僕は責任とらないからね。…シーナ」
「えっ? あ、なに?」
「こいつ起こしてやって。自分じゃ起きらんないんだってさ」
「うわ。いや、そりゃ、うん。でも…大丈夫…かな。あとでオレ、レイに……」
「いいんじゃない? レイがそうしろって言うんだからさ」
「それなら……」
 おずおずとシーナはレイの肩の下に腕を差し入れた。
 普段だったら瞬殺ものだ。
 熱が移ったのか、シーツも熱い。
 抵抗のないレイの体を抱き上げると、寒くないように厚手のタオルケットを背にかけた。
「…苦しい?」
 肩に頭を預けてきたレイが息を落ち着かせるように深呼吸したのを見て、シーナは思わずそう聞いた。
 レイは、
「平気。ちょっと…ふらふらするだけだから」
 仰のいてシーナに笑いかける。
 甘えていると言うだけではなく、それ以上に動くのが辛いようだ。
 試しにレイの腕をそっと持ち上げて放すと、自分で動く気がないようにぱたりと落ちる。
 それはふたりを心の底から信頼している証。
 無防備でも大丈夫だと言外に語っているようだ。
 けれどほんの少しの動きでさえ苦しげにされては、見ている方が辛い。


 ルックは息をついて、器の蓋を取った。
 とたんに湯気と共に香りが広がって、シーナが歓声を上げる。
「うわー、うまそーv」
「誰が作ったと思ってるんだよ」
 照れ隠しのような口調。
 レイとシーナは思わず顔を見合わせて笑う。
 ルックはそれを恨めしそうに見ると、湯気の立つおかゆをスプーンにとって息を吹きかけた。
「………ほら」
「へっ?」
「腕も持ち上がらないんだろ、甘ったれ。世話が焼けるんだから」
 レイは固まってしまう。
 その意味を量りかねたからだ。
 差し出されたスプーンとルックを見比べて、意図をくみとろうとする。
 が、いくら考えても結論はひとつ。
 どうやら、これは見たままの意味らしい。
 いつもだったら迷うところだけれど、今のレイは「病人」だから。
 少し考えて、せっかくだからと乗ることにした。
「熱くない?」
 いつもよりさらにぶっきらぼうな台詞。
 レイは笑って首を振る。
 そして、目を見開いた。
「…………あ」
「なに?」
「…おいしい」
「……なんだ。何かと思った。脅かすなよ」
「あはは。…でも、すごく、おいしい」
「そう? ……ありがとう」
 滅多に聞けないルックの礼。
 それを聞いてさらに嬉しそうに笑うレイ。
 見ていたシーナのテンションがあがらないはずはない。
「お…オレもー! オレにもやってよ、あーんv ってさvv」
 身を乗り出してねだるけれど、答えはもちろん。
「あんたって馬鹿?」
「おまえって馬鹿?」
 しかも音声多重。
 やっぱり、と肩を落とすシーナにルックの呆れ果てた声。
「レイと同じスプーン使ったらあんたにも移るだろ。病人の世話の連続で僕を過労で倒れさせようって言うんなら話は別だけど」
「ちぇー」
「欲しかったら持ってきなよ。まだキッチンに残ってるから」
 ふと、レイが考え込む。
 ルックの台詞。
 どうやらシーナは気付いていないようだ。
 たしかに、ルックは肯定はしていない。
 けれど……。
「なーに笑ってんだよ、レイ。オレたちに心配かけてるくせにー」
 おどけたシーナの声。
「ごめんごめん。でも、ちょっと、さ」
 甘えたいだけ甘えられる場所。
 わがままを受け止めてくれる人。
 寄りかかるだけじゃなくて、支え合える大切な人たち。
「ほんと…ごめんね。ちゃんと休んで、すぐに治すから」
 頷くふたりの顔。
 今なら、きっと……書ける。





 レイが眠ったのを見計らって、キッチンでシーナを手伝わせて片付けものをしていたルックはしばらくして部屋を覗いた。
 大丈夫だとは言っていたが、レイの「大丈夫」は結構気持ちだけで言っている節があるので危なっかしい。
 今はどうやらよく眠っているようだけれど。
 何かできないかと考えて、そろそろ額のタオルを替えた方が良さそうだと思いついた。
 音をさせないようにベッドのそばに寄ると、サイドボードの上に何やら紙が置いてある。
 わずかに乱れた字。
 肩をすくめて笑って、置いてあったペンを取った。





 ルックの手伝いをしていたもののやはりレイが心配で、しばらくしてシーナがひょいと部屋を覗き込んだ。
 静かな部屋に規則正しい寝息。
 良かった、と安心して踵を返しかけた目に、サイドボードの紙が映る。
 なんだろうと思って、てくてくとそれを見に行く。
 わずかに乱れた字。
 その下に几帳面な字。
 頭を掻いて照れたように笑うと、置いてあったペンを取った。





      言葉だけじゃ 伝わらないものがあると知った
      答えを探そうと 焦っていた
      でもそれは 君が持っていたんだね
      手を伸ばす 触れる距離
      そばにいることの 温度を知った
      言葉だけじゃ伝わらないけど
      だけど 伝えたい
      それよりも深く君に届けたい思いが
      あふれているから





Continued...?




<After Words>
何やら嫌気がさすほどノロいですが。
流れとしてこうなる予定のところ、ちゃんと書けました。
まあ予定としてはこんなに長くならずに書くはずだったんですが…。
時間がなくてプライベートでコンピュータの前に座っている時間が
少なくて、故にレポート用紙に書いてメモ帳に書いてWordで打ち込んで
メモ帳に書いて別のメモ帳に書いて、つじつまがあうように編集して…
などという複雑だかなんだかわからない手順で書いてしまいました。
まぁ、テーマとしては「レイ様、風邪を召される」なんですが。
いつかやろうと思ってたんですよ、お約束の風邪ネタvv
で、誰が風邪引くかって言うと、おぼっちゃん育ちのレイだろう、と。
グレミオが大慌てで看病してた様子が手に取るようです(笑)。
そして毎回微妙に料理系に話が行くのはおそらくルックさんのせい…。
書いてないんですが、ルックさんは熱を出したレイのために、
リンゴをすり下ろしたりパンがゆを作ったり色々してます。
一見人と関わるのが得意じゃなさそうなんですけど、レイとシーナ
相手だとどうも世話焼きに回るようです、うちのルックさん。
ルックさんだけじゃなく、シーナもレイが心配で仕方がない様子。
なんだかなぁ、なかよし、の枠を一歩超えちゃってるような。
……あー、そして、「詞」ですが。
わたしなんぞの言葉じゃ3人の心が伝わんないだろうことが残念。
だから今までアトリの詞は出さなかったんですよ…。
わたしじゃ無理なので(涙)。

さらっと爆弾発言ノベル「アトリ」(爆笑)ですが。
もちろんシーナ、このあとやってもらってますよvvv

さぁて、次の話はある意味問題作かも。
本当に、色々と受難続きな3人です。



戻るおはなしのページに戻る