アトリ
=Home, Sweet Home=
Side A

Part.4 Side Sheena...

 どうも、足が重い。
 いちいちおもりでもつけているような一歩をかろうじて踏み出すように山道を行く。
 この程度の登りでバテるほど体力がないわけではない。
 それでなくとも秒刻みのスケジュールをこなし、ライブまでも乗り切るうちに体力もさらに鍛えられていく気がしているのだ。
 理由は体力ではない。
 もちろん、その理由には自分で気が付いている。
 気付いてしまえばこれ以上ない単純明快な答えなのだった。
(あー……何日もレイとルックに会えないんだ……)
 それを考えてしまうと、落ち込みもしようというものだ。


 元来シーナは、「落ち込む」ということを知らない人種だった。
 自分が本当に望めば手に入らないものはないと思っていたし、実際そうだった。
 剣もできれば魔法もできる。
 その気になれば小隊を率いることさえできた。
 好みの子がいれば声をかけ、やりとりを楽しみたいときにはおしゃべりだけの関係を作れるし、落ちるか落ちないかの瀬戸際を楽しむことも簡単だ。
 さらにいえば、このアイドルの話が舞い込んできたときだって、歌だろうが踊りだろうができないはずはないと高をくくっていた。
 あのシーナは練習など嫌いそうだから長続きしない、と陰で言う奴もいた。
 たしかに練習は嫌いだが、それでもできる自信があった。
 シーナの武器はこの自信と余裕、そしてそれを本当にやり遂げてしまう才能だ。
 滅多に本気にならないから軽く見られがちだが、実力と才能を見るならばかなりぬきんでているのはたしかなのだ。
 その自信は過信ではなく、経験に基づいた事実だ。
 でも。
 それなのに。
 およそ不安や落ち込みといったネガティブな思考とは無縁だったシーナが、初めて感じた不安や焦り。
 それは唯一、レイとルックに関わることだけに現れてきた。
 落ちてくれない。
 振り向いてくれない。
 ふたりに会うまでなら、他の子相手だったなら、「ここまでか」とつけていた踏ん切りが、どうしてもふたり相手にはつかない。
 背かれれば背いていたはずが、背かれても追いたくなる。
 いや、追わずにいられない。


(……あいたい…なぁ……)
 今朝、別れたばかりだ。
 時間はさほど経っていない。
 けれどそれは時間でも、ましてや距離の問題でもない。
 ただただ、そばにいたい。
 会いたい。
 それだけだ。
 それだけで胸がいっぱいになる。
 他のことなんて考える余裕がない。
 そんな自分自身に焦る一方、理由がわかっているなら問題ない、と気楽に思う部分もある。
 だって本当に、簡単なのだ。
 シーナは、レイが、ルックが、本当に『好き』だから。
 今までは誰も『好き』ではなかった。
 それだけの話だ。
 他にどんな理屈が必要なのだ。
(理屈はいらない…それはわかってるけど、でも。……壁は、たしかに存在しちゃうんだよな……)
 真面目なレイと、意外に常識家のルック。
 普通に考えれば同性同士なのだから、望んでいるのはありえない関係。
 ふたりにとってやはりそれは大きな壁だろう。
 どうしたらふたりを壁のこちら側へ連れてこられるだろうか。
 そう思って、シーナはそれを否定する。
 連れてくることが不可能ならば、こちらから乗り込んでいけばいいだけのこと。
 ふたりが築く壁はとんでもなく厚く、果てしなく高いのだけれど、千里の道も一歩から。
 いつかは越えられるかもしれない。
 けれど……。
(それを……越えようとしたらどうなるのかな。ふたりとも……本当にオレから逃げちゃうんじゃないかな)
 結局のところ、それだ。
 一度やり始めたことに責任を感じてしまうふたりだから自分と組んで一緒にいてくれるのであって、自分がいることにふたりが本当はどう思っているかなんてわかるはずがない。
(聞いてみてもいいけど。どうせはぐらかされるんだろうし……。第一、どう聞いていいのか)
 いつの間にか、シーナはグレッグミンスターに辿り着いている。
 考え事をしていて道を意識していなかったのだが、それでもちゃんと辿り着けるのだから人間の本能も案外馬鹿にできない。
 噴水の前には白い鳩が数羽、誰かが蒔いたパンくずをつついている。
 気にせず歩を進めると、鳩たちは一斉にばっと飛んでいった。
 近付けば、翼を広げて飛び去ってしまう。
 まるで何かの暗示のようだ。





 通されたのは、応接間だ。
 いちいちこんなところに案内されてしまうとは。
 旧帝国時代とほぼ変わらないこの城は、栄華を極めた国の宮殿にふさわしい。
 ふさわしいが、自分にとってはやはり何か落ち着かない。
 親に会うのにこんな仰々しい部屋に連れてこられたというのもあるだろうが。
 なんとなくうろうろと壁際の調度品をいじっていると、廊下のドアが開く。
「わざわざ二人そろってこなくてもいいのに」
 笑いながらシーナは振り向く。
 開いたドアの向こうにはレパントが、その後ろにはアイリーンの姿も見える。
 我が親ながら不釣り合いに見えるのは母が若いせいか。
 そのアイリーンはにこにこと首を傾げる。
「まあ。せっかく私たちの息子の凱旋帰国なのだもの。親としてはちゃんと迎えてあげなくちゃ」
「いいよそんなの。あっ、故郷に錦を飾った系のパーティとかもやめてくれよ」
「あらどうして?」
「恥ずかしいって。どうせならレイとルックがいるときの方がいいしね。…にしても、やっぱ城って建物自体が落ち着かないんだよなー。親父、そろそろオレにコウアンの自宅譲る気ない?」
「何を馬鹿なことを言ってるんだ。おまえにはまだ早い!」
 相変わらずな調子の両親に、ようやくシーナは一息つく。
 今ふたりが暮らしているのがこの場所とはいえ、やはりシーナにとっての自宅ではない。
 自宅とはもっとくつろげる場所のはずだ。


 誰からともなくソファに座ると、頃合いを見計らったかのように少女がカップを3つトレイに乗せて持ってくる。
 香ばしい香りが部屋に広がった。
「あ…コーヒー。久しぶりだなー」
「そうなの? あなたコーヒーが好きじゃなかった?」
「ん? 最近紅茶派なんだ。コーヒーも好きだけど」
 意識をしているわけではないのだけれど、そういえばどこに行っても頼むのは最近紅茶だ。
 少女がカップの乗ったソーサーを机に置く、その仕草をなんとなく見ながら、
(わりと可愛い子じゃん……まだ田舎から出て来たばっかって感じ?)
 と思ってしまってレパントに睨まれる。
「まったくおまえは……。大丈夫なんだろうな?」
「えっ? 何が?」
「かなり騒がれているようだが、まさか手を出したりなど……」
「ファンの子にってこと? あ、それはない、ない。問題になっちゃうし、相手がこっちに夢見過ぎてんのがわかるとさすがにね」
「そうか。それならいい。あとは、この前の雑誌だが……」





 しばらくして、ドアが鳴る。
 知らない声で「申し訳ありませんが、隣国より使者が」とかなんとか聞こえた。
 どうやらレパントに客人のようだ。
「うむ。…すまんな、すぐ戻る」
 言い置いてレパントが部屋を出て行く。
 シーナはその背を驚いた顔のままで見つめてしまった。
 ドアが閉じると、アイリーンがおかしそうに笑う。
「ふふふ……。あの人ったらねぇ、あなたの仕事ずいぶんチェックしてるのよ」
「…それは……うん。なんとなく今の聞いてたからわかった。なんか聞いてくることも喋ることもかなり専門的だし。親父ってああいうタイプだったっけ? すごく意外な感じがするんだけど」
「うるさく言うけれど、あの人もあなたが可愛くてしょうがないんだわ」
 いかにも厳格な大統領しちゃっているレパントが。
 家でも厳しい父親にしか見えなかったレパントが。
 意外だ。
 ものすごく意外だ。
 それにしても、十代の女の子たちがきゃーきゃー言いながら読むような全体的にピンク色っぽくラメラメしい雑誌を読むレパントの姿…?
 シーナは頭を抱える。
 だめだ、想像の限界を軽く超えてしまった。


 そこに、さっきの女の子がコーヒーのおかわりを持ってくる。
「どうぞ」
「あ、どうも。…さっき、ここに来るまでも何人か見かけたけど、そのドレス制服なんだね。可愛いな。君が一番よく似合ってる」
「え…っ? あ、あの…っ、あ、ありがとうございます…っ」
 少女はぱっと顔を赤らめた。
 そしてトレイを抱え、慌てたように部屋から出て行く。
「相変わらずねぇ……」
 笑い含みの声にシーナは我に返る。
 そうだ、アイリーンがいたのだった。
 別に今の言葉は意図があったわけでもなんでもない。
 ただ無意識に口をついて出ただけで。
 しかしセリフを反芻してみると、たしかになんだかそれっぽい言葉に聞こえなくもない気がする。
 そしてアイリーンの次の言葉は、究極のクリティカル・ヒットだった。
「……知らないわよ。レイくんとルックくんに報告しちゃうから」
「どうせいつものことだって言われて………………。…っ!? かっ、母さん…っっっっ!!!???」
 一瞬、頭の中が真っ白になる。
 なんだって?
 慌てていのか。
 困惑していいのか。
 実はかなり鋭い勘の持ち主であったりするアイリーン。
 これまでだってつく嘘はことごとく見破られてきた。
 が、ふたりへの思いは外部にはまったくシークレットのはずで。
 いや。
 とりあえず、シーナは大きく息を吸って平静を保とうとしてみる。
 今の言葉はどっちとも取れる。
 大丈夫。
 大丈夫だきっと。
 女性の勘は侮れないというが、常識の枠というものがあればきっとそこには辿り着かないはずで。
「ねえ、レイくんたちとは、どこまで行ってるの?」
 ………撃沈。
 思わず机に突っ伏してしまう。
 …さぁ、どこからつっこんだものか。
 次の言葉に散々迷って、シーナは自分でも驚くくらい間の抜けた返答をしてしまう。
「それ、いつから知ってんの…?」
「まぁ…じゃあやっぱり本当なの」
 墓穴だ。
 だが、もう仕方ない。
 切り替えの早いのはシーナの特徴であったりする。
 さくさく思考を整理し、アイリーンなら大丈夫だと判断して体を起こし、なんとなく膝を揃えた。
「まー……その……なんだろうな。本当…っていうか。でも、別に、なにもない、かな。オレは……その……だけど」
「片思いというわけね」
「……きっぱり言わないで…。人に言われるとさすがにヘコむ……」
 シーナが肩を落とすと、アイリーンは目を細める。
「あなたってわかりやすい子ね。妙に悟っているところがある子だったから…そんなふうに慌ててる姿を見るとほっとするわ。レパントとそっくり……変なところで親子ね」
「あの親父が?」
「長年連れ添っていればわかるのよ」
 アイリーンには、かなわない。
 いやこの夫婦にはかなわない、というべきか。
「…でも、いいの? もしかしたら、この家、途切れちゃうかもしれないよ」
「あら。じゃあ私頑張ろうかしら」
 本当にそう思っているのか探りを入れたつもりだったが、さらりとかわされた。
 朗らかに笑い、アイリーンはコーヒーを飲み干す。


「戻ったぞ。…うん? どうした、ふたりとも」
「いいえ。ねぇ、シーナ?」
「…はーい……」







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