アトリ
=Home, Sweet Home=
Side A
Part.3 Side Ray...
突然休みと言われても、やはり何か妙な感じがする。
以前もそういえば休みが急に入って、明けてみればいきなりライブ宣告をされたことがあった。
またそれの類なのではないかと勘繰らざるを得ないレイだ。
だが、保護者からの連絡が……というのもまんざら嘘ではないのだろう。
保護者…グレミオのことだろうが、このごろ忙しさにかまけてちゃんと話す機会がない。
顔を見ないというわけではないのだ。
ライブの時にその姿を見かける。
なにせ、毎回前の方の席に座っているのだから。
関係者席の時もあるようだが、結構自分でチケットを取ったりしているらしい。
かなり早い段階でいつもソールド・アウトになってしまっているというのに。
それでいつもいい席なのだから、レイに対する執念がどれだけ運に影響を及ぼしているのか、まったく計り知れない。
それをありがたいと思うかどうかは……また別問題なのだけれど。
一度は彼を失ったレイだから、その元来は越えられない線を越えて戻ってきて今でもこうして自分のことを深く考えてくれている事実は、痛いほど理解している。
彼は、解放軍のリーダーとして全軍を率い先頭に立つ姿を誇らしく、嬉しく思ってくれていたようだ。
その意味を、レイはわかっている。
だから今更な気がしないでもない。
けれど、解放軍のリーダーとアイドルのリーダーではまったく違う。
人が注目しているのには変わりないが、何かが根本的に違う。
明るいステージから客席なんてほとんど見えないくせにその姿に気付いてしまうと、気恥ずかしくなってしまう。
実を言えば、グレミオと話す機会がないのは忙しさ云々、だけではない。
ステージの上と下のふたりが面と向かって喋ることにかなりの照れを感じているせいだ。
はぁ、息を吐いて空を見上げる。
雲がぽつぽつ浮かぶくらいの快晴。
既にトランの国内に入っていて、景色もわずかずつだが見慣れたものに変わっていく。
一体どんな顔をしてグレミオに会ったものか。
ざっと足を鳴らし、レイは門の前に立った。
グレッグミンスター……かつて一度圧政に荒れ、他の誰でもないレイ自身の手で古き時代を打ち破った都。
何度も違う思いで立ったこの場所に、今、とても複雑な思いで立っている。
(……なんだかさ。僕って………今更ながらものすごい人生歩んできてるのかも……)
帝国将軍の嫡男。
近衛隊隊員。
帝国のお尋ね者。
解放軍リーダー。
そしてその任を終え…今では人気絶頂アイドルグループのリーダー……?
まったく、目眩がしそうだ。
いや…今が一番マシな状況なのは理解している。
しているがしかし……。
(まぁ、しょうがないよね。ここまで来て、何言ったってしょうがないんだから)
家人に対してこんなに恥ずかしいだなんて思ったことはないから、自分自身戸惑っているのだろう。
そう結論づけ、鞄の紐をぐっと握りしめる。
前進あるのみだ。
一歩入ったそこは、懐かしい場所…。
統一されたデザインの家が行儀よく並び、白い鳩が近付くと慌てたように飛んでいくことまでが変わらない。
子供たちが右から左へ駆けていく。
まるでレイに気付かないようだ。
それは、レイを安堵させる。
自惚れでもなんでもなくて、ここのところ知らない人からも「あっ」と指さされ、ファンの子にはすぐ囲まれるという生活をしていたから、無関心でいてくれることに心底ほっとする。
もちろん、こっちでもアルバムは発売されているから気は抜けない。
さらにレイはこの国の建国にとても深く関わった存在で、このあたりではどちらかというとそっちで有名人なのだ。
懐かしさに浸りかけ、はっと我に返って足早に家に向かった。
都を南北に貫く大通り、それを北に向かい、いくつめかの通りの角を曲がるか曲がらないかのうちに、今は離れた生家がある。
ここまで来たら勢いだ。
速めた足の勢いそのままに、扉を叩く。
………………ひとつ、ふたつ、みっつ……。
心の中でカウント。
ご、を数える頃、ばたばたとやかましい足音。
ろく、でそれがぱたりと止む。
なな、で鍵ががちゃがちゃ鳴る。
はち、で鍵が開く。
きゅう、で扉が開いて、
「ぼ……ぼっちゃぁあああぁあんっっっ!!!!!!」
…ぴったり10カウント。
グレミオの肩口からかろうじて顔を上げ、レイは苦笑する。
「ただいま」
まあ無駄な心配だったな、と思う。
照れる間もなくグレミオは相変わらずの心配性なセリフをまくし立ててきたし、クレオはそれを呆れたようにたしなめていたし、パーンのセリフは開口一番「じゃあメシにしましょう」だったし。
家族とはそういうものかもしれない。
今だって、食後の時間をレイは綺麗に片付けられた机に何冊か本を並べて、あちこち飛ばし読みをしている。
向かいではグレミオがほつれたレイの上着の裾を繕っている。
あれやこれやと色々聞いてこないのが嬉しかった。
レイがどういう生活をしているのか聞きたいだろうに。
おそらくここまで帰ってくるのに疲れているのをわかってくれているのだろう。
この休みの間には、たくさん話してあげよう。
そう思いながら、ページをめくる。
ぱらぱらと、その乾いた音。
(……今頃……何してるかな……)
ルックには転移魔法があるから、きっともう帰っているだろう。
意外にマメなルックのことだから、休めばいいのに家事に専念してしまっているのではなかろうか。
シーナは自分より先に出たから、とっくに着いているはずだ。
またふらふらと遊びに行ってしまったりしていない限りは。
…待てよ、シーナならやりかねない。
あいつはひとりにすると糸の切れた凧になるから。
女の子を引っかけて町から町へ渡り歩くのは得意だったし。
もしかして、帰るという理由をつけて逃げ出してしまうかも。
(あいつだったら、充分考えられるんだよね。……僕とルックがいるんだから、まさかそんなことはしないと思うけど。あいつが僕らを置いて逃げ出すわけないもんな)
いや…シーナはそうだとして。
思ってはっとする。
……ルック?
そうだ、ルックは本当にこういうことが苦手だから。
もしかして戻ってこない、なんてことが。
(それも……ない。ないと思う。きっと……)
心配する反面、どこかで安心もしている。
休みが終わったら、またあの悪魔のようなスケジュールに追われるのもたしかだけれど。
「ぼっちゃん…?」
グレミオの声。
はっとレイは顔を上げた。
「あ、ごめん、何?」
「いいえ…紅茶でも入れましょう。ぼっちゃんが帰ってくるって聞いて、色々買ってきておいたんですよ」
「本当? ありがとう」
笑いかけると、グレミオはとろけそうな顔をする。
いつもにこにこ顔だが、それがさらに崩れる。
レイはそれを見て、とても安心する。
昔からそうだった。
この笑顔に支えられてきた。
グレミオの入れる紅茶が好きだった。
だからレイは紅茶派だ。
今日の紅茶は、ほーっと甘く、口の中に残る独特の芳香。
「マスカットティーにしてみましたよ。いかがです?」
「うん、美味しい…。ねぇ、グレミオ?」
「はい」
「これ……余ったら、持って帰っていい?」
「もちろんですよ。ぼっちゃんのために買ったものですから。おふたりにも是非飲ませてあげて下さいね」
「………うん」
温かい紅茶。
カップを手で包み込んで、波紋を見つめる。
レイはグレミオが好きだ。
でも、シーナとルックのことを思うときも心があたたかくなる……心の別の場所が反応する。
それを言葉で説明するのは、とても難しいのだけれど。