〜死せる街へ〜

June 17nd, 2000

★ ★ ★







 とうとうここまで来た……。
 川辺に立って、男は流れゆく水を見つめていた。
 その川は、草原と砂の大地に、ぽつんと取り残されたように横たわる。
 右から左へと緩やかに流れる川。
 どうやらこのあたりが中流のようだ。
 ゆったりとした、穏やかな色。
 それでも、一秒ごと……。
 いや、もっと細かい時間のうちに、全く違う色になる。
 それだけ……この世はあてにならないものなのだ。
 現に、今はこれだけ静かな川が、過去には幾度となく氾濫した。
 その時の川は、凶暴な顔。
 うねりをあげて全てを飲み込んでいく、雑食性の化け物。
 生命を育む水(もの)が、生命を奪う水(もの)になる瞬間だ。
 だがしかし、氾濫はまた肥沃な土地を運んでくる。
 実りの大地をもたらす。
 そうしてまた、生命を育む水(もの)へと姿を変えるのだ。
 いったいどちらが本物の顔なのだろう?
 考えても仕方のないことを考えて。
 男は、つい…と、足を上流に向けた。





 そこに足を踏み入れる。
 一見、岩が無造作に転がっているだけのように見えた。
 大きな岩、小さな岩。
 それがひっそりと、集まるように重なっている。
 川と同じように、突然現れる景色。
 よく見ると、縦横無尽に岩のない、道のようなものが走っている。
 広いもの、狭いもの。
 いつ降った雨のせいなのだろう、そこには幾筋もの水の跡。
 ここは、廃墟だ。
 男がそっと顔を上げると、気が付いたように風が吹いた。
 ふう……っと。
 魂を乗せた風。
 今は滅んでしまっているけれど…時の流れをさかのぼれば、ここには人々が息づいていた。
 目を閉じると浮かんでくる。
 笑い声。
 泣き声。
 威勢のいい声。
 楽しげな声。
 歌声。
 愛を語らう声。
 子供たちのはしゃぐ声。
 子供たちを呼ぶ母親の声。
 夕餉の香り。
 それが今は、ただ荒涼とした景色……。
 すべては変わっていく。
 あの川のように。
 男はひとりたたずむ。
 その瞳がどんな色をしているのか…隠されていてわからないけれど。
 空の色だけではない、不可思議な青が空気を支配している。
 それはあの川と同じ色?
 太陽は…今はどこにもない。





「昨日からいらっしゃるようだが…お前さん考古学者か何かかね?」
 近付いてきた老人が男に尋ねた。
「いいえ、違います」
 男は答える。
 老人は怪訝な顔をして、
「では、何か探し物でもしとるのかい」
「それも違いますよ」
 男はわずかに微笑んだ。
「そうかね。いや、お前さんがあまりに熱心な目つきをしておったからの」
「そうですか…」
 ふと男は視線をそらす。
 昔は家の一部だったろう、岩、岩、岩……。
「わたしは…ここに来なければならなかったのです。……ここで、失ってしまったものがあるんですよ」
「なんだ、それなら…探し物があるんじゃないか」
 男が驚いたように目を見開いた。
 が、すぐに笑んで、
「……そうですね。そうかも、しれませんね……」
 本当に今気付いたように、言った。
 さわさわさわ……。
 草木もないのに、木々のざわめきが聞こえる。
 男のコートが風に踊る。
「だが…お前さん。いつまでもここにいたって仕方ないぞ。ここは、もう何千年も前に滅びてしまった街じゃからのぅ」
「…………」
 男は、去っていく老人の背中を見つめた。
 そして、遥か遠い空を見上げる。
 そう……。
 ここは、滅びた街……。





 あぁ、生命(いのち)のざわめきが聞こえる。
 力強く大地を踏みつけるあの躍動感。
 死せる魂たちも、未だ輝きを失わない。
 けれど……。
 あの頃の暖かな雑踏は、もう、ない。
 今はただ静寂が存在するだけ。
 ──ここにいたって仕方ない……
 心の奥で、老人の言葉を繰り返す。
 そして男は背を向けた。
 自分が生まれ、育った街から。





End




<After Words>
95年11月10日初書き、でございます。わりと気に入ってる話ですね。
結局男の正体ってなんだったんでしょうね。つまりはそういうことだと思うんですけど。
まあ、たぶん色んな解釈はあるんじゃないでしょうか。
例えば不老不死だったり、生まれ変わりだったり、幽霊だったり。どれでしょうね。
しかし、いくら昔のリメイクだからって…この話、ぎりぎりに出来上がったんですよ。
登校途中の電車の中で浸りきって書いてたって噂もあります。
うーん。ヤバイ人?
   → Inspired by Zabadak「チグリスとユーフラテスの岸辺」



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