〜今宵、星の満ちる丘で〜

July 2nd, 2000

★ ★ ★







 その音楽は、プラネタリウム。
 目に見えないほど 遠いものでも見える。
 目に見えないほど 小さいものでも見える。
             形のないものでも見える。
             ないと思っているものでも見える。
 日本にも
 フランスにも
 北極にも
 宇宙にも
 どんな場所にも行ける。
 過去(きのう)へも
 現在(きょう)へも
 未来(あした)へも
 地球(ほし)が消えた時へも
 どんな時間へも行ける。
 その音楽は、
     すべての場所に辿りつく。
     すべての時間に辿りつく。
     すべての世界に辿りつく。
     すべての生命に辿りつく。
 その音楽は、プラネタリウム。
         宇宙(コスモス)。
         生命圏(バイオスフィア)。
         森羅万象(生きとし生けるもの)。
       最後のノスタルジア。
           久遠の王国(ティル・ナ・ノグ)。
           永遠の息づく場所。





 星は巡る。
 太古の昔から。
 それはこの宇宙に生命が現れる遥か前からの摂理。
 変わらぬ事実。
 少しずつ位置を変え、決して同じ並びをしない、うつろいゆくもの。
 その気の遠くなるような時間に比べたら、ひとつの生命の存在する時間のなんと短いことか。
 この広い宇宙(そら)の中では、まばたきにも満たない刹那のできごと。
 うたかたの幻。
 でも、
 それでも、
 ここに存在している。
 からだ中を巡る水がある。
 涸れることのない思いがある。
 尽きることのない魂がある。
 生命の誕生とは、偶然のできごとであったかもしれない。
 けれどそれはいくつもの偶然が重なって生じた、確かな必然。
 そこに理由はなくとも、
 意味はある。


 風を渡る生命の気配。
 星は魚色。
 あおられた木々の葉が、影の色でどこまでも舞う。
 それは群れなし泳ぐ小魚。
 びくとも揺らがない大きな木。
 光に縁取られて鮮やかなエッジ。
 それは夜に映える大振りの珊瑚。
 大地に根付いた草花。
 柔らかくなびく静かな音。
 それは波に踊る小さな水草。
 風は吹く。
 すべてを洗い流そうとするように。
 それは波。
 すべてが水に閉じ込められたように静まりかえる。
 紫の夕べが過ぎたあとには、深い紺があたりを染める。


『この辺も住みにくくなったね』
 どこからか声がする。
 わずかに、微笑む。
 答えを待たずに別の声が聞こえる。
『空気が汚くて。息をするのも大変だよ』
『特に最近酷いよね』
 囁くように小さな声。
 何気なく日々を過ごしていたら、聞こえないかもしれない。
 ほら、耳をすませてごらん。
 心をそっとすませてごらん。
 今はとてもか細くなってしまったけれど。
 …あしもとから聞こえてくる声を聞きながら、眼下に広がる景色に魅入る。
 よどんだ闇は、涼しげな風に払われて。
 空と大地、闇色のコントラスト。
 しかし確実に汚れていく土、加速度を増す崩壊。
 死にゆく惑星は、気付かぬうちにそこまで迫ってくる腐蝕の気配を隠し続けて。
 もうほとんどの生き物たちは気付いている。
 気付かぬものだけが、いずれ崩壊する大地に飲み込まれていくのだろう。
 終末の予言───。
 それは、古(いにしえ)の民の警告だったのか。
『世界は滅びるの?』
『全ては消えてしまうの?』
 そっと振り向いて。
 密やかに、それでも見渡す限り咲き乱れる小さな花。
 小指の先ほどの大きさしかない花。
 けれど、それが幾千幾万と集まれば、ほらごらん。
 視界は淡い白に染まる。


「たとえ滅びたとしても…消えるものは何もないわ」
 微笑みながら、そっと呟く。
 ざわ…と騒ぐような音。
「万物は流転する…。形あるものもないものも、いずれは滅びてしまうもの」
 うたうような、リズムで。
「でもね、それは“姿”を変えるだけ。それを構成(つく)っているものは不変なのよ」
 高く高く澄んで、どこまでも暖かなその声。
 イノチの喜びを、そっと語るように。
 あざやかに柔らかに、とても自然にそれは響いて染み込んでいく。
 空気に。
 木に。
 草花に。
 大地に。
 そして、心に。
「例えば、海には常に川から水が注ぎ込んでいるわ。でも海はあふれないの。どうしてだかわかる?」
 さああっと風が吹く。
「それは水が“姿”を変えているからよ。“水蒸気”になって“空”に還り、“雲”になって、そうして“雨”になってまた大地に川に戻ってくるの。流転って、つまりはそういうこと」
 夜。
 それは大きな惑星(ほし)の影。
 昼には見えなかったものが、そっと瞬く時間。
 夜と昼。
 それもまた繰り返す。
 この世界はそうやって、巡ることで出来ている。
「……だから、もしこの大地が崩壊(こわ)れたとしても、それをつくっていたものは消えないの。生命が滅んでも、その要素がいつか他の惑星(ほし)に辿り着いて、そこで新しい命を育んでいくんだわ」
 空を彩る星々の、かすかな光。
 そうやって、どこかの惑星(ほし)が爆発(こわ)れて。
 鉄も、窒素も、炭素も、生命をつくりあげているそんなものはすべて。
 長い長い間、広い宇宙を彷徨って。
 そうして流れ着いたから。
 この地球(ほし)は、生命の星になったんだ。
 だから人が
 星で飾られた空を見上げるとき、
 どうしようもなく切なくなるのは、
 あの広い宇宙(ほしぞら)が、
 僕たちの故郷(ふるさと)だからなんだね。
「そうして壊れた星は、小さな岩になって、長い永いこの宇宙の歴史を、誰にも知られず語り伝えていくのよ」
 小さな惑星、と名前を変えて。
 果てのない悠久の時間を、旅していくのだろう。


 見上げれば、空には紅い月。
 すべての終わりを告げるような、紅い紅い月。
 この広い大空を悠然と泳ぐ鯨。
 人は昔、魚のように、あの空を泳げたのだろうか。
 今は足首におもりをつけて、夜の底に沈んでいるけれど。
 昔、夜は海だったのかもしれない。
 魚の群、珊瑚の森、揺れる水草、果てない波、大きな鯨。
 静かな海、光の海。
 生命のあふれる海。
 そしてその頃、誰もが自由にこの空を泳いでいたのだろうか。
 あぁ、だから。
 夜は碧い水の色をしているんだろうか。


 目に見えないほど遠いけれど。
 目に見えないほど小さいけれど。
 でもその小さな惑星は、確かに宇宙の中にある。
 そしてその身体の全てで、
 覚えているのだろう。
 空が海だった頃のことを。
 覚えているのだろう。
 生命の奏でる音楽(メロディ)を。


 そう、永遠(とわ)に。





1991年   南米チリで、
   ひとつの小惑星が 発見された。
       とても小さな、小さな小惑星。
           遥か遠く 4億キロも離れた場所で、
                ゆっくりゆっくり公転していた。
   けれど、その小惑星は
      それから 約3年あまり
           行方不明になった。
                    そうして人知れず、
               ゆっくりゆっくり宇宙を巡っていた。


   そして
     1994年に 
         また姿を現した その小惑星は
                       1999年  5月
                名前を与えられ
                     全世界の認める
                           小惑星となった。


小さな小さな、
     わずか直径12キロあまりの小惑星。
             その名前は、
                                 Zabadak───。





End




<After Words>
はいっ!! 2000年6月17日満月の晩に行われましたZABADAKの
コンサートの帰りに一部(最初と最後ね)書いたものでございます。
なにせ舞い上がってるもので、なんだかよくわからなくなってますねー…。
でもこの話!!! 本当なんですよう!!! この宇宙には、Zabadakという名前の
小惑星があるんですよう!!!!!



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