November 12th, 2000
★ ★ ★
どこまで続くんだ? この壁は。
きっちりと、俺の背では向こう側が見えない高さで続いている。
それこそ、見渡す限り。
右を見てみても、どこまでも続いて、果てさえ見えないくらいにぼんやりとかすんでいく。
左を見てみても、同じように遥か彼方に点に見えるくらい遠くに消えていく。
薄い灰色の壁。
本当は白いのだろうけれど、作られる影が、それを灰の色に見せる。
誰が作ったのかなんてわからない。
いや、そんなものには興味すらない。
ただ無機質な壁は、全てを拒むように黙ってそこに立っているのだ。
それこそ、時が果てるまで。
気が遠くなるほどの時間を。
意味も、理由も、価値も、もうこの壁にとってはどうでもいいのだろう。
その壁には、窓がある。
たったひとつだけ。
それは、今俺が立つ、すぐ隣にぽつんとある。
どうして窓があるのか、そんなことは知ったこっちゃない。
ただあるからある……そんなものなのだろう。
それに意味があるのなら、ここに俺がいる理由もあることになってしまう。
そんなもの、何一つないのに。
そうだ、俺はいつからかこの場所にいるようになった。
ずいぶん昔のことだ。
その頃から、この景色は変わりない。
目の前に、ただ何もなく広がる丘。
両手の方向に、果てなく伸びる壁。
ふと見た隣に、はめ殺しの大きな窓。
明けることのない、星空の夜。
ただ、それが少しずつ変形しているようにも思える。
けれどその違いは微弱すぎて、どうやら俺にはわからないようだ。
俺はその頃から、ずっと。
この壁にもたれかかって、景色を眺めている。
そうやって景色を眺めていると、目の端に映っているはずの壁が不思議と見えなくなる。
空を眺めていると、まるで空の全てが夜のように見えてしまう。
とりあえず、ここは俺の常識が通用するような場所ではない。
それだけは確かだ。
つ、と窓を覗き込む。
窓の向こうには、俺がいつも見ている丘と、まるきり同じ景色が広がっている。
まるきり?
いや、窓の向こうはいつでも太陽が照っている……『昼』だった。
こちらには月が、向こうには太陽が天上に輝く。
この向こう側……昼の丘と、俺のいる夜の丘は同じだ。
全てが同じ割合で、同じ意味でもって存在している。
左右対称、鏡の世界。
どちらが『現実』で、どちらが『鏡像』なのか、そんなことはどうでもいい。
ただ、お互いが現実であり、お互いが鏡に映った虚偽なのだ。
なぜなら、全ては同じなのだから。
……けれど。
それなのに、俺がいない。
向こうの世界には俺がいない。
…そうだろうな。
あっちは、俺が捨てた世界。
俺が逃げてきた世界だからだ。
暖かく、穏やかな光の降り注ぐ『昼』。
優しい力を得る『昼』。
だが、その反面、『昼』は背後に『影』を作り出す。
同じ世界でありながら、背反するモノを、一番近くに作るのだ。
それが怖かった…そう言ったら、誰だって俺を非難するだろう。
それでも、それから逃げたかったんだ。
俺は、『向こうの世界』から逃げ出した。
『向こうの世界』を全て忘れてきた。
きっと。
だから。
俺は、気が付いたらこんな所にいたんだろう。
いつまでたっても『明けない』夜、永遠の『影』。
けれど、背後には怯えなくてもいい。
『影』の中にいるなら、『影』を恐れる必要はないのだから。
俺は、また自分の世界に視線を戻した。
風に髪がなびく。
足元の草がさぁっとそよいだ。
風を聞く耳の奥に、かすかに音が鳴り響く。
そしてそのまま空に戻っていった。
ここは“思い”の帰る場所。
人の抱いた“思い”が“風”に乗って帰ってくる。
『夜』と『昼』にわかれているのは、“思い”に『夜』と『昼』があるからなのだろう。
一体どちらがどんな“思い”を帰結させるのか。
そんなことはどうでもいい。
さっきも言っただろ?
『夜』と『昼』は鏡を隔てた世界。
まったく同じ世界。
とすれば、同じ気持ちが帰ってきてもおかしくないだろう。
まったく同じ“思い”でも、“抱いた人間”“抱いた場所”“抱いた深さ”、そんなもので“意味”はまったく異なってくる。
“痛み”“苦しみ”“悲しみ”“喜び”“切なさ”“優しさ”“虚栄”……、そんなたくさんの“思い”の“言葉”。
どんなに同じ“言葉”で表しても、それが同じ“思い”であるはずはない。
だから、どうでもいいんだ。
今日……いや、朝なんて来ないから、1日、といってもどれくらいの時間かはわからないが…とにかく、“風”が吹いた。
俺は溜め息をついてそれを眺める。
ぶつかって、つむじ風、足元に消えた。
やれやれ。
だが……少しは気が楽なのだ。
嘘をつく“言葉”とは違って、“思い”だけは正直だ。
表面に現れないものでも、深層ではいつだって。
そう、誰に見られることもないから。
その分だけよけいに純粋で。
形にしたらどんなに汚く澱んだ“思い”でも、それを思う気持ちは“純粋”だ。
だから、この景色を邪魔するものはない。
どこまでもまっすぐに、明瞭に。
そんな時俺は、ここが『夜の丘』でよかったと思う。
そんな小汚い“思い”でも、ここでは見えないから。
『昼の丘』だったら、影となって見えてしまうだろうから。
澄んでいるような澱んでいるような風に抱かれて。
丘は続いている。
この“気持ち”たちはどこから来たのだろう?
誰のものだっただろう?
でも、そんなことはわからない。
悲しみも、喜びも、この世にある“思い”は全て、この丘に帰ってきたら、皆同じものなのだから。
あぁ、風が……帰ってくる。
月は満ち欠けを繰り返して。
星座は形を変えていく。
銀河はどんどん広がっていく。
こうして夜を繰り返しながら。
全てを知っている白い壁。
俺は、ここにいる。
End
<After Words> |
久しぶりに引っ張り出してきました。1995年11月17日初書きのショートストーリー。 これらのショートストーリー群っていうのは、『未知・不可解・幻想』がテーマなわけですが。 ただ不可解なわけじゃなくて、どれも一応隠しテーマというか……謎解きが隠されてるわけです。 それって突き詰めてくと一言で終わっちゃうことにもなりかねないのですけどねー。 一応深い話らしい…と言うにとどめときます。なにせ自分でもよくわからないし(!?)。 → Inspired by Zabadak「風の丘」 |