〜水晶の森〜

June 2nd, 2000

★ ★ ★







 この青い星のどこかに、そこはあるという。
 すべてのファンタジーが辿り着く場所。
 すべてのノスタルジアが帰り着く場所。
 最後の理想郷。





 どうやら最近空間のひずみがハデに開くようになっているようだ。
 ここのところ立て続けにお仕事が舞い込んでくる。
 今も一人送ってきたところだ。
 休む暇もなくて、短く息をつく。
 何と言ってもアレだな、ここのところ目立って科学とやらが発達してるから、自然が狂ってきてるんだよなぁ…ぶつぶつ呟いて。
 とりあえずは気に入りの定位置に戻ることにした。


 不思議なところに迷い込んでしまった。
 辺りを見回しながら、少年はゆっくり歩いていた。
 森はすべて白と黒で出来ているよう。
 木の一本一本が透けて、きらきらと光を反射している。
 歩く足もとでは、パリンと高い音が響く。
 どこを目指すわけでもない。
 だって、どっちに進めばいいのかわからなかったから。


 どんっ。
「「わっ!!」」
 ステレオ効果。
 片方がぼんやりしていて、もう片方はきょろきょろしながら歩いていたのだから、ぶつかっても無理はなかった。
 小さい少年の方がバランスを崩しかけて、大きい方が慌てて支える。
「ったく。ちゃんと前見て歩けよっ」
「ごめんなさいっ」
 そんなふうに普通に会話してしまって、小さい子供はふと気付く。
「…って。あっ、やっと人に会えた!」
 へ? 突然そういってにっこり笑うから、度肝を抜かれてしまう。
 さすがにこんな小さな子供をここで見かけたのは初めてだったし、こんな所へ来て笑うヤツなんかいるとは思わなかったし。
 大体、普通の人間はここへ来たらまず驚いて声も出ない。
 確かにここは尋常な世界じゃない。
 闇色の大地、星もない漆黒の空、無機質な木。
 それだけじゃない、その木は幹も根も葉も枝も、すべてが研ぎ澄まされた鋭いクリスタルで出来ていた。
 これでは驚くなという方が無理だ。
 大抵の人間はそれで腰を抜かしてしまうから、面倒なことにならないうちにお仕事をしてしまうのだが…。
「ねえ、ここってどこ? 僕はおうちに帰ろうとしてたところだったんだけど」
「え? ああ、ここは常世の国だよ」
「とこよ?」
「そ。けど、すぐにもとの世界に送り届けてやっから。安心しろよ」
 この森には他に生き物もいないし、食べるものもない。
 放っておいたら即あの世行き、な場所なのである。
 そんなことになったら、カミサマに叱られてしまう。
 まぁ、ここはその世界に一番近い場所ではあるのだが…。


 しかし少年は、いたって楽しそうに言った。
「僕、まだここにいたいな」
「…はあ!?」
「だって綺麗なんだもん。もう少し見てみたいな。いいでしょ?」
「いや、そんなこと言われても…」
「お兄ちゃんがちゃんと送ってくれるんでしょ? それなら大丈夫じゃない」
 にこにこ。
 すっかり呆気にとられてしまった。
 どうやらこの様子では引きそうにもない。
 というより、こんな不可思議な場所に来て笑っていられるこの子供に興味が湧いた。
(…カミサマからは「見つけた人間はすぐに送り返せ」って言われてるけど。別にその「すぐ」が何分間なのかは聞いてないしな)
 もう一度、息をつく。
 仕方なく、黙認することにした。
 頷いたのは、降伏の印。
「ほんと? わーい、やったあ! ね、お兄ちゃんの名前、なんて言うの?」
「……キラ」
「キラ兄ちゃん、だね。僕はルカ。8歳だよ♪」
 音符マークをつけられても困るな、と思うキラであった。
 そんなふうに溜め息をつくキラの目を、不意にルカが下から覗き込んでくる。
「? なんだよ。オレの目が、どうかしたか?」
「キラ兄ちゃん、瞳が赤い…。ウサギさんみたいだね」
「ウ、ウサギ? そんなこと言われたの初めてだぜ…ふつーはみんな不気味がるからな」
 ルカは不思議そうに首を傾げ、
「そう? 綺麗だけど。なんで赤いの?」
「んー…それはだなあ。遺伝子がそういうふうに設定されてるからで、たぶんオレの親がどっちかでも……って、面倒だな。ま、簡単に言うとオレは妖精だから、かな」
「ふーん。キラ兄ちゃんって妖精なんだ。だから耳がとんがってるんだね」
 ルカは宝石でも見るかのようにキラの瞳をじっと見ている。
 ルカのまなざしはまっすぐで、純粋で、無垢だ。
 そう、キラがもう捨ててしまった……。


「うっわーっ!! きれー!!」
 木の途切れる丘に連れて行ったところ、ルカはそういってはしゃいだ。
 この丘には、一面花が咲き乱れている。
 それは枯れることもない。
 …もちろん、森と同じくクリスタルで出来ているから。
 だがその美しさは異常なほどだ。
 綿毛のようにクリスタルの欠片が飛んで、まるで夢のような景色。
 空気がクリスタルの淡い光で白く霞んで見えた。
 何もない黒の空は、キャンバスのよう。
「あんま近付くなよ。怪我するから」
「うん、うん! でも、すごいよ、こんなの見たことない!!」
「だろうな」
 瞳を輝かせるルカに、ほんの少しキラが笑みを浮かべる。
 その理由に、キラは気付かない。
 同時に痛んだ胸のわけも。
 締め付けられるような思いも。
「黄色とか赤とかの花も綺麗だけど、こういうのも綺麗だよね!」
 振り向いてルカが言った。
 ふと、キラは複雑な顔をする。
「…黄色や、赤、か…」
「キラ兄ちゃん?」
「オレはこっから出たことはないからさ。見たことがないんだよ、そういう花とかって。ここに来たやつの話聞くと、ここが妙なところだって…それだけはわかるんだけどな」


「キラ兄ちゃん、キラ兄ちゃんはどうして一人でここにいるの? 何をしてるの?」
 ほんの少しの沈黙のあとで、ルカがそう尋ねた。
「オレ? 仕事だよ。お前みたいにここに迷い込んだ人間を送り返してやるのがオレのお仕事。けっこう忙しいんだぜ、ここんとこ来るヤツ多いから」
 そういってキラは笑う。
 だが、それは本当の笑顔だっただろうか?
 ルカは悲しそうな顔をした。
「…淋しくないの? ひとりぼっちで」
「な、何言ってんだよ。オレだって、ガキじゃないんだから、そんなの…大丈夫だよ」
「そういうのって、大人とか子供って関係ないんじゃないの?」
 ルカの深い深い、碧の瞳。
「僕はまだよくわかんないけど。でも、キラ兄ちゃん、すごく辛そうな顔してた。だから……」


 ……もしかしたら、ルカの言う通りだったかもしれない。
 常世の国、とは、永遠の王国。
 年を取ることもない久遠の楽園。
 けれど。
 もう、キラは気が遠くなるほどの長い時間をここで過ごした。
 誰もいない、孤独の時間を、痛みさえ叫べずに、ずっと、ここから抜け出すことだけを望んで……。
 ただ「誰か」を探して……。
 ルカは、突然ポケットを探り出す。
 そのまましばらくごそごそやっていたかと思うと、そこから赤い車の小さなおもちゃを取り出した。
 そして、それをにっこり笑ってキラに差し出した。
「キラ兄ちゃん、これあげる! 僕の宝物…」
「え…そんな大切なもの、オレが貰うわけにいかないだろ!?」
「いいんだ。友達になった印、ね? これでもう一人じゃないよ」
 キラは何も言えずに、それを受け取った。
 優しさが、しみる───
 …もしかして、オレが探していたのは…?


「またいつか、どっかで会えるといいな」
「いいな、じゃなくて、また会おうよ。だって友達でしょ? いつか、この外でね」
「あぁ…今はまだ出られないけど…いつか必ず、な」
 ルカが楽しげに笑った。
「…じゃ、元気でな」
「うん。キラ兄ちゃんも元気でね。その時まで、僕の宝物大事にしててよね!」
 キラは笑って頷いた。
 そうして、足もとに咲き誇っていたクリスタルの花を一本摘み、ルカに渡した。
「…これは、オレからの……友達の証。お前も大切にしろよ。…じゃあな……ルカ!」





 あれから、何年がたっただろう。
 今では、あの時もらった花の名前もわかるようになった。
 脆く儚げで美しい、ハマユウの花。
 ……花言葉は、「どこか遠くへ」…。
 あの時のキラの、泣き出しそうな笑顔が忘れられない。
 キラは、今でもあの水晶の森にいるんだろうか。
 今でも泣き出しそうなウサギの目で、誰かを待ってるんだろうか……。





End




<After Words>
その昔書いたショートストーリーの改訂版のさらに改訂版です。
一番初めの原稿を見てみたら、95年の11月10日と書いてありました。そんな昔のことだったのか…。
そうですね、こういう系統の話はわりと好きみたいです。桜下迷宮(オリジナル)と同じ筋が通ってますね。
この「水晶の森」は、ホントにあったらどうでしょうねえ。やっぱり危ないことこの上ないですね、うん。
でもきれいでしょうね。見てみたい気はしますけど、たぶん転んだらアウトだろうなあ。
   → Inspired by Zabadak「ガラスの森」



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