トライアングル13
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そんなわけで、意外に簡単に僕たちは出てきた。
たしかに空は真っ青で風も気持ちいい。
なんだか気持ちがすうっと楽になるような感じがする。
思い切り背を伸ばすと、重たい立場が一瞬頭から抜けた。
…もしかするとそれは、もう着慣れてしまった近衛の服を脱いだからかもしれない。
どうせ本気で仲間集めをするわけじゃないなら目立たない方がいい、とルックが言ったからだ。
普通に暮らす人たちと変わらない服装が、当たり前だったはずなのにどこか新鮮に思える…特にルックがさ。
「ルック、こういう服も可愛い〜」
「……そう言われて嬉しいと思うわけ」
どうやら本心らしいシーナのセリフを呆れたようにルックが切る。
僕も笑って、
「たしかにね…ってシーナにまるきり同意するつもりはないけど。いつもルックって法衣だもん。ちょっと不思議な感じはするよ」
「…僕はレイみたいに『解放軍のリーダー様』だって服装でわかられるほど有名じゃないけどね。でも、あれじゃ目立ってしょうがないだろ。街の中じゃ、やっぱり特異に映るから」
だろうな、ちょっと鍛えれば誰にでも宿せる力が紋章だとはいえ、街の人たちが積極的に持とうとするものじゃないし。
それにやっぱり、ルックだって僕と同じように少しは重いものを軽く感じてるかもしれない。
僕たちは、そこも「目立つから」って理由で町から少し離れた場所に降りた。
町の喧噪はそれでもここまで聞こえてきてて、人の行き交う音や話し声が楽しそうだ。
このあたりはもう解放軍が押さえてる場所だから…なのかな。
まだ戦争の中ではあるけれど、それでも僕たちが来る前とは明らかに雰囲気が違う。
僕がじっとその町並みを見ていると、それに気が付いたのかシーナが楽しそうに笑った。
「さぁて。どうしよっか?」
「うーん、そうだなぁ。とにかく、どっかで休もっか。どっちにしてももうすぐお昼の時間だろ?」
「じゃあ宿かなんかの食堂かな。ルックは? それでいい?」
「いいよ。別に僕はなにがしたいってわけでもないし」
「決定ね。えー、宿宿……」
シーナはきょろきょろと辺りを見回す。
それなりに大きい町だから、宿もいくつかあるみたいだ。
前に泊まったところは避けたいよな、さすがに。
覚えられてたら面倒だからね。
だから僕たちはいくつか路地を曲がって、そんなに広くない道に面した小さな宿屋のドアを開けた。
きぃ、とドアの小さく軋む音と、窓から差し込む光だけの穏やかに明るい室内。
お客の姿は見えないけど、それがかえって落ち着いててよかった。
カウンターにはあったかい感じの女の人がいて、ワイングラスを磨いていた。
その人が目を上げて、笑う。
「いらっしゃい。お泊まり? それともお食事?」
…マリーさんに似てるな。
僕がまだグレッグミンスターにいた頃…遊び疲れて飛び込んだ宿と、同じ香りがした。
「食事しに。あっちこっち人が多くて歩きにくい町だよなぁ。ね、おかみさん、なにがオススメ?」
「そうね、今日は魚のいいのが入ってるよ。お兄さんたち、旅の人?」
「魚かぁ…じゃ、それでお願いしようかな。料理法はお任せで。そうだね、まぁ旅っつっても遊学の旅ってヤツ」
シーナが手慣れた様子でカウンターに座る。
そして僕たちに向かって手招きをした。
僕とルックは顔を見合わせて、シーナに誘われるままにカウンターにつく。
なるほど、ひとりでうろうろしてたときもこんなノリだったわけか。
そのころの話は聞けば聞くほどどこが遊学なんだ、ってつっこみたくなるけどね。
それにしたって、シーナのこのあっという間に人と打ち解けるしゃべりはすごいよな…。
食事を終えてもなんだか話をやめるのがもったいなくて、僕たちはそのおかみさんと話をしてた。
たち、って言っても喋ってるのは僕とシーナで、ルックはただ聞いてるだけだったけど。
それでも別にルックはそれをいやがってる様子もなかった。
そんなふうにただ喋ってるとき……ふいに大きな音がして、すぐに子供の泣き声がした。
なんていうんだろう、火がついたような泣き声、っていうの?
驚いて見ると、2階へ続く階段の下に座り込んだ小さな子供が大声で泣いてる。
額には血が付いてて……ルックがとっさに立ち上がった。
僕たちもルックに続いて駆け寄ると、2階からすぐに赤ちゃんを抱えた女の人が悲鳴をあげながら駆け下りてきた。
たぶん足を滑らせたか何かして階段から落ちたんだな。
傷にそっと触れていたルックが顔を上げた。
「…大丈夫。切っただけだと思うよ。心配なら、一度医者に連れてって診てもらった方がいいかもしれないけど」
見ると、子供の傷はふさがっていた。
ルック、今、紋章…使ったんだ。
「あ…あの……っ! ありがとうございますっ…!」
女の人…お母さんなんだろう、取り乱してるみたいだけど僕たちにそう言って頭を下げる。
僕は思わず首を振った。
「いえ、僕たちはそんな。それより、どうしますか?」
「あぁ…そうですね、一度、お医者さまに…。でも、この子が……」
お母さんは腕に抱いた赤ちゃんと子供を交互に見る。
声を上げたのはルックだ。
「行ってもらったら? 僕たちでもどうにかなるんじゃない」
「え! よろしいんですか!」
お母さんが驚いたような申し訳ないような声を上げるけど、正直、びっくりしたのは僕とシーナだ。
だって…その申し出をしたのがルック、なんだよ?
「あー…そうだな、うん、上のお子さんも心配でしょ? オレたちでよければ見てましょうか。お姉さんは安心して行ってきて下さい」
我に返ったシーナがそう告げる。
その笑顔に少し落ち着いたらしい、お母さんは頷いた。
そうして何度も何度も頭を下げながら、その子の手を引いて出て行ったけど…。
腕の中の赤ちゃんに目を落とすと、今起きた騒動に動じもせずに笑っていた。
おかみさんに部屋を一室用意してもらって、僕たちはそこへ移る。
一応部屋を借りるんだからお金を、って言ったんだけど、おかみさんはいらない、って笑ってた。
で、僕の腕の中には赤ちゃんがひとり……。
だけどそれよりも何よりも、僕が呆然としちゃってるのは…。
「いやー…しかしさ。ルックがああ言うとは驚いたな」
僕の呆然の原因を、シーナが代弁してくれる。
それだよ。
ルックってあんまり人と関わるの好きじゃないよね?
それが見ず知らずの人だったら余計にさ。
するとルックは困ったようにそっぽを向いた。
「僕だって……面倒に関わるのは嫌いだし。子供の泣き声にもうるさいって思ったけど」
「けど?」
「……だけど、レイだってシーナだって、同じ行動に出たはずだろ? ……今日は、ただ単にあんたたちのお人好しが感染しただけだよ」
………うーん。
出会った頃って、ルックは全部斬り捨てるような鋭い刃を持ってるような気がした。
今はそれが、鞘に収まってる感じがする。
そんな感じがするって、それだけなんだけど。
でも僕がどう感じてようが、ルックがそう言ってくれることが嬉しい。
ちょっと照れくさいけどね。
シーナも僕と似たようなことを思ったのか、突然ルックに抱きついた。
「ルック〜〜〜〜!!!」
「わっ。なんだよあんたは突拍子もなく!」
あははは。
ほんとにさ、出会った頃、ルックがこんなふうに感情を返してくれるなんて思ってなかったよ。
「あぁもう、そこで終了っ。せっかくこの子が静かにしてくれてるんだからさ」
僕がそう言うと、くってかかろうとしていたルックが動きを止めた。
そしてそれでもひっつこうとしてたシーナには打撃攻撃を加えて。
「…ああ、そうだね。いくら僕たちが見るから、っていっても誰も子供育てたことないんだ。泣かれでもしたらどう対処したらいいかわからないね」
「でしょ?」
それでなくとも、赤ちゃんってお母さんがいないとそれを悟って泣き出しちゃう、っていうしね。
歩けないししゃべれないけどそれはわかるんだって…誰が言ってたんだっけな。
すごいよね。
と、赤ちゃんがふゃぁん、と声を上げた。
不思議そうにきょとんとした目で僕を見上げてくる。
きらきらしてて、すごく綺麗な目。
「でもホントに可愛いなー。はーい、ラナちゃんv シーナお兄ちゃんだよー」
……シーナ?
赤ちゃんを覗き込んででれーんとしてる。
いや…たしかにこの子、女の子なんだけど。
それってマジ?
僕は思わずシーナの顔をまじまじと見つめた。
「? どした、レイ?」
「ううん…。シーナってそんな守備範囲広いんだなぁって。これはちょっと僕、犯罪起こされて事情聞かれる前に縁切った方が正解かなって」
「げ。ち、違うってば。そりゃ、女の子って聞いて一瞬おっと思っちゃったけど、そうじゃないって〜」
「やっぱり…」
「だから違うよ、なんつーかな、ほら、ちっちゃいのを可愛いって思うのは、動物の本能っつーかなんつーか!!」
そう来たか。
聞いてたルックが溜め息をついた。
「もしかしてさ。もういるから、なんじゃないの」
「へ?」
「…あー。なるほどね。遊び歩いてたわけだもんな、ふたりや3人、既にいるかもしれないね」
「うっわー…。ない! ないって、それはないっっっ!!!」
「ムキになって否定すんのってどうなんだろうね」
僕たちのやりとりを見ていた(?)赤ちゃんは、きゃたきゃたと笑った。
この子……大物になるなぁ。