アトリ
=That, what I really want〜
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部屋に戻ると(といっても宴会場の隣だが)、暗いリビングのテーブルの前にはルックが座っていた。
後ろ手に閉めたドアで、まだ騒がしい向こうの部屋の音が遮断される。
「……お疲れ」
静かなルックの声。
それがなんだかものすごく嬉しい。
「うん、ちょっと疲れたね。…ただいま」
「ただいま〜」
笑うと、レイとシーナはどちらからともなく椅子をひいて座った。
灯りはつけないままだが、今はなんとなく目からの刺激はほしくない。
「でもあれだね。今、すごくルックの声聞いて安心したよ」
「レイも? だよなぁ。オレも、ルックの声すごく好き〜v」
「はいはい」
嬉しげに伸ばされたシーナの手は、呆れたような声で拒まれた。
が、そのルックが何か考え込むように黙り込む。
そして少し迷うようにして、
「ごめんね」
と口にした。
「え? なにが?」
きょとん、とシーナが問い返す。
レイもびっくりしてルックを見る。
「いや…だからさ。ああいう系統の騒ぎってさ、レイも嫌いだろ。なのに僕だけが逃げてるなんて…」
滅多にないルックの態度。
レイとシーナは顔を見合わせた。
「別に……僕たち全然気にしてないけど?」
「そうそ。だってルックが一番ああいうの苦手なのって知ってるもんな」
「うん、だから気にしなくていいのに」
さらっと言い放つ。
ルックはそっと目を伏せた。
「………うん」
答えた声は、静かな声。
3人で騒ぎに巻き込まれるのもありだけれど、こんなふうに待っていてくれることも嬉しい。
一部残った人たちによる宴会は続きそうだけれど、部屋の中はこんなに静かだった。
「まあ、なんにせよさ。とりあえず、お疲れさん」
宴会云々じゃなくて、収録な、とシーナは続ける。
レイが大げさに頷いて、
「確かに大変だったからね……。2か月めにはセカンドシングル、3か月めにはファーストアルバム…って、本当に間に時間がなかったもん」
そう言うと、ルックも眉をひそめる。
「…だね。大体が、このペースってどうなんだろう。あんまり早いのって息切れするだろうし…僕たちの体力だってもたないだろ?」
「そうだなぁ。次はちょっとあけるみたいだけど、それでも遠い未来じゃなさそうだしな」
「それよりもさ、きっとアレじゃない? ……イベントがあったり。………ライブがあったり」
「げげっ」
指折り数えるレイにシーナはばたりと机に突っ伏した。
そうだ、録音して世に出してりゃいいというものでもない。
「うっわ。それか! イベントだけでも意識どっかに飛ばしそうになるのに、ライブか……」
「…僕、倒れる」
「ルック…倒れる予告? 冗談にもならないぜ〜」
「……僕も冗談言ってるつもりもないしね」
冗談で済まない、リアルな会話。
まだライブの話は来ていないが、おそらくナナミがそのうちさらりと話題に出してくるのだろう。
だとしたらいきなり聞いて心臓を止めるくらいなら、今から覚悟しておいた方がいい。
しかしライブとなると、持ち歌は現在インストルメンタルを含めて11曲、だが。
「ね、ルックにシーナ。追い討ちかけていい?」
「…なっ…なんだ?」
「…どうぞ」
レイは組んだ指にそっと額を乗せる。
「11曲…ってことは、ライブだと足りない、とかって言って増やされたりするのかなぁ」
「あ…っありえる…!」
「しかもさ、ダンス、つけるんだよね…?」
「………」
「それでもって、ソロコーナーもある……と」
3人はちら、と視線を交わした。
あるんだろう……。
なにせ今回のアルバムでも、それぞれが1曲ずつソロを持ってるわけで。
その上、集まるだろう子たちはアトリビュートのファンとはいえ、個人のファンも当然いるのだから。
「…僕が? 3人でようやっと出られる、僕が?」
「だっ…だれかこの状況…救ってくれないかなぁ……」
「こうなったらお空に向かって正義のヒーローでも呼んでみっか…?」
「それで本当に来てくれるんなら、いくらでも叫ぶけどね」
アルバム人気、第1位。
それはとてつもない期待の重さだったりもする。
もしかしたらライブの告知がそろそろ…と怯えながらのある日。
その日はちょうどファーストアルバムの発売日だ。
青空にはぽかりと大きな雲がひとつふたつ浮かぶくらいのいい天気。
今日は午後からファーストアルバム発売のイベントがある。
レイは身支度を終えて事務所へ出た。
ルックは近頃人前に出ることがさらに嫌いになったようで、まだダイニングでお茶を飲んでいる。
と、ドアを開けたレイの目の前。
どーん、と。
「……は?」
事務所のローテーブルの上。
そりゃもう色とりどりの包装紙の山、山、山。
ほんの少し呆けてから、レイははっと我に返った。
頭の中でカレンダーを大急ぎでめくり、状況と照らし合わせて納得する。
納得するが、しかし。
「ああ、おはようございます、レイ殿」
「おはようございます……」
思わず律儀に挨拶をしてから唖然とその人を見る。
ソファに座って悠然と新聞を読んでいるのはシュウだ。
しかももくもくとチョコレートを食べている。
「あの……社長?」
シュウはユウキ率いる『スフィア=レーベル』内の事務所『プロジェクト・アトリ』、すなわちレイたち3人の所属する事務所の社長なんだそうだ。
だから思いっきり嫌味も含めて(シュウも首謀者のひとりだし)強調してそう呼んでみた。
が、シュウはまったく動じる気配もない。
「なんでしょう。…あぁ、今食べてるこれですか。大丈夫です、これはアップルが個人的に持ってきてくれたものですから」
「ああそうですか……って、あの、僕が聞きたいのはそういうことでは」
わざわざ丁寧な口調でもう一度聞き返す。
「これって、もしかしなくても、もしかしますか」
対してシュウはやはり飄々としている。
「何が仰りたいのでしょう」
「……バレンタイン、ってヤツですか」
「そのとおりです。それ以外のなんだと思いましたか」
「……そうですね」
この軍師は…っ。
レイは心の中でひっそりと拳を握る。
そこに、もはや聞きなれた足音。
ばたんっ、と外に通じるドアが開く。
「あ、社長〜。おっはようございまーす。レイさんもおはようございますっ!」
レイとは違って、「社長」と呼ぶ響きが楽しそうだ。
どうやらこの一連の騒動を心から楽しんでいるらしい。
いや、そんなことは最初からわかってはいたが。
「じゃあ今日のイベントはそういうことで」
「あ、はーい。伺ってますっ! この敏腕マネージャナナミちゃんに任せといてくださいっ!」
ピシッと敬礼のポーズを取るナナミ。
シュウはそれに頷くと、アップルからだというチョコレートを持ったまま部屋を出て行った。
レイはそれをただ見送る。
(…何この小芝居)
小さく溜め息をつくのは忘れなかったが。
レイはシュウのいなくなったソファに座った。
それはいつもよりも沈み込むように感じる。
「…っはあ」
ナナミがにこにこと笑いながらそばに立った。
「どうしたの、レイさん。お疲れ?」
「お疲れ、もなにもさ。…目の前のこれ…見てるだけで疲れる」
さらにナナミは笑い声を上げて。
「やだなぁ、これ、10分の1にも満たないよー」
「はっ!?」
「だって、レイさん、既にトップアイドルなんだよ? こんな量ありえないってば。もっともっと、見上げるくらいに多いって!」
明るくそう言うが。
レイは頭を抱えた。
今までだってそれなりにもらってきた。
一応軍のリーダーだったから、そう言った意味でも人気があったかもしれない。
びっくりするほど、見上げるほどもらったことだってある。
しかし。
おそらくこれは、規模が違う。
レイの想像が正しければ、0の数からして違う。
「そう、それでね。たぶん午後からのイベントでまた増えると思うんだよね。だから、イベント後に撮影入るから」
「撮影? なんの」
「もちろん、チョコと3人の。それで、これは寄付って形で各地の施設に配ることになってるんだよ。だって、無駄にしちゃったら悪いし、配る施設の人たちにも名前知ってもらえるしね」
「…ふぅん」
なんだか、ナナミの声がもう遠い。
すべてが遠い異世界で起きているような錯覚にとらわれる。
レイは本当にそうだったら楽なのにな、と思いながら長く息を吐いた。