アトリ
=Scandalous Blue=
− 2 −

 夜の静けさがしんとした音を作り出す。
 涼しい空気を胸一杯に吸い込んで、レイは大きく伸びをした。
「っ……はー。終わったー」
「打ち上げも長かったもんなぁ」
「今回は1日だけだから、それで助かったね」
 実は今日のライブは突発ライブだったのだ。
 ハイランドとの小競り合いでかなり被害を受けてしまった地方があり、ある日それをマネージャが報告してきた。
 忘れかけていたが、同盟軍はハイランドといまだ戦争状態にある。
 そういうことがあるのは当然だ。
 そして、レイはともかくルックとシーナは同盟軍に籍を置いている以上、戦いに出ることは義務であると言っても過言ではない。
 だから最初それを聞いた時は、戦闘要請かと思った。
 ところがナナミの言葉はその予想をすんなりと裏切ったのだ。
「復興支援のためにチャリティーライブをやるからね!」
 戦闘とライブでは真逆の意味がある。
 一瞬、そのふたつが頭の中で繋がらなかった。
 あくまでも一瞬で、その意味はすぐに理解したけれど。
「……あぁ。それが、僕たちに出来る最大のことなんだね」
 思わずレイがぽつんとこぼした言葉。
 ナナミはにっこり笑って頷いた……。
 それが承諾と取られてしまったようだ。
 とはいえ、とっさに「ライブなんていやだ」と思ったルックも、レイの反応に頷かざるを得ない。
 レイにとって、被害を受けた人がいるということは何よりいやなニュースだろう。
 なにせそれが許せなくて解放軍を率い、そのまま強大な帝国を打ち破ったほどの人物なのだ。
 たとえこの活動が己の意思とまったく無関係の場所にあるのだとしても、それが誰かを救うことになるのなら、レイがそれを断るはずはない。
 シーナもそれを理解しているから、特に何も言わずに了承した。
 そうして、ライブの日程は1日のみとはいえ、告知の時間も公演までの日にちもまったくなかったのにもかかわらずチケットは即日ソールド・アウト。
 改めて自分たちの影響力に驚く3人だ。
「なぁ、マジで収益、全部寄付なんだってな」
「うわぁ……じゃあ今回のステージ費用って」
「ライトスフィア軍持ち。それでもそんなに赤字出さないみたいだぜ」
「相変わらずあの軍師商才あるよね。見事だよ……」
 話によれば、ライトスフィア軍に入る前はかなり儲けていたらしい。
 その手腕でどうにかすればこんなことを僕たちがする必要はなかったんじゃ、と思うレイだがおそらくそれは間違いではないだろう。
 ほとんど例の軍の中心者たちによる道楽なのだ。
 そこにつっこむのも今更どうかと思うのであえて口にはしないが。
 その話題の犯人たちはといえば、まだサウスウィンドウホールの近くにある酒場で打ち上げの真っ最中のはずだ。
 レイたちもしばらくはその騒ぎに付き合っていたが、さすがに疲れたので丁重に辞してきた。
 そんなわけで馬車の手配をしてある宿まで、夜道を3人でのんびり歩いている。
 アイドルは狙われるから危険だろうとか護衛をつけようだとか言われたが、それも断ってきた。
 彼らは元解放軍リーダーと魔法のエキスパートと今や立派な魔剣士の3人組を一体なんだと思っているのやら。
 そこらへんの兵が束になってかかってきたとしても切り抜けられる自信はある。
 そりゃあ今は疲れ果ててはいるが、相当の実力があるのだから。
 むしろそっちが本業なのだが……。


 ふいにシーナがレイの首に抱きついた。
「!? ちょ…っ。なんだよいきなりっ!?」
「んー? 疲れたぁ……」
「そりゃ僕だって疲れたよ。だから、そんなふうに体重かけたら重いっつってんだろ」
 文句と同時に肘で突っつくが、まったく意に介した様子はない。
 さらに肩にすり寄ってくる顔を覗き込むと心底嬉しそうな顔で、レイは苦笑した。
「……ったく。ほんとにしょうがない奴だよな」
「レイー。好きだよー」
「はいはい」
 軽くいなして視線をそらすと、隣のルックは冷めた目。
 目が合うと大きく溜め息をつく。
 それを聞きつけてシーナが顔を上げた。
「あ、ルック、どうしたのー」
 ちらりと一瞥したルックの2度目の溜め息。
「呆れてんだよ。僕もレイとまったく同じ感想」
「え? それってルックも抱きしめて欲しいの?」
「…っ! 僕はそんなふうには思ってないよ! ルックが同意してるのはおまえが仕方ない奴だってところなんじゃないの!?」
「その通り。あんたって自分勝手な解釈するよね」
「ポジティブシンキングだからさ!」
「……もう一回辞書引いて出直してこい」
 えええ、とシーナが笑顔で抗議する。
 気持ちがいいくらいに前向きだ。
「シーナっ。歩きにくいんだけど。そろそろ離れろよ」
「いいじゃんかー。な、ルックもおいでってばv」
「やだよ。なんでこんな往来で」
「じゃ、帰ったらね。約束〜」
「! 勝手に決めるのは約束って言わないんだよ!」
 人通りのない道。
 夜だから当然なのだけれど。
 近所迷惑以上にあまり聞かれたくない会話なので、一応声のトーンは抑えている。
 レイは辺りを見回して、誰も見ていないことをもう一度確認して息をついた。
 が、弱い風の吹く夜の闇の中で、道端の茂みがわずかに動いたことにはさすがに気付かなかった。





 ようやく事務所の奥に辿り着いたのは、かなり夜半になってから。
 日付はとっくに変わっている。
 それどころかしばらく待てば次の太陽が昇ってきてしまいそうだ。
「なんかさぁ、ここが家ってわけじゃ全然ないんだけど、ここに戻るとほっとするなー」
 3人のためのプライベートスペースに入るやいなや、シーナが感慨深げに言う。
 それには異論はないから、レイとルックも素直に頷いた。
 ときどきマネージャが飛び込んでくるこの場所は、完全なプライベートスペースではないと思う。
 けれど、3人だけでいられる時間はここでなら得られる。
 表に出てしまえばスタッフをはじめたくさんの人間に囲まれたり注目されたりで、気の休まる暇がないから。
 多少慣れてはいるものの、人の視線が苦手なレイ。
 静かな場所が好きで、人を鬱陶しいと思っている感のあるルック。
 注目も視線も大歓迎だが女の子限定を自覚するシーナ。
 世の中にはなりたくてもなれないアイドル志望者が多くいるだろうに、とことん向かない(と本人たちは思っている)自分たちが何故アイドルを、というのはきっとこの先も残り続ける疑問だろう。
 3人でいられることが嬉しくて仕方ないシーナは放っておくとして、レイとルックがその中にシーナがいることを容認しているのは、外にいる人間が多すぎて中側の人間に対して少し気がゆるんでいるのだろう、とふたりは分析している。
 あくまでそれは自己分析に過ぎないのだけれど。
 なんとなく複雑な心境のふたりをよそに、シーナは部屋の端に置かれたソファにまっすぐ向かう。
 そしてそのままばたりとそこに倒れ込むのにレイが気付いた。
「あ、シーナ。寝ちゃ駄目だよ?」
「うん、だいじょーぶ。とりあえず休憩」
「そう言ってこの前のライブのあとそこで寝ちゃったろ。寝るならちゃんと部屋戻って寝なよ」
「わかってるってー」
 ひらひらと手を振る。
 手触りがよくて沈み込むくらいに深いソファが心地よいのはわかるけれど、風邪でもひいたら大変だ。
 前回は自分がそれで熱を出してしまったレイは余計に心配なのだ。
 やれやれと肩をすくめて、壁に掛けてあったカレンダーに目をやった。


 するとシーナ、今度はルックに向かって手を挙げた。
 ルックが首を傾げると、シーナは小さく手招きをする。
 一体なんだろうと近付く…と。
「ルック、ここ、座ってー」
「は? なんでだよ」
「さっき約束したでしょ。今度はルックに抱きつく番vv」
「……っ!」
 らしくない大仰なリアクションでルックがあとずさる。
 思いっきり不信感をあらわにして睨み付けるが、最近のシーナは本当に動じない。
 延々と手招きし続けるシーナ。
 ものすごい根性だと思う。
「…あんたねぇ…。そのさっきにちゃんと言っただろ。一方的に決めるのは約束って言わないんだよ」
「いいじゃんか、抱きついたところで減るもんじゃないんだからさ」
「何かが減りそうでいやだ」
「えー、オレの愛受け止めてよー」
「そんなもんいらないよっ」
 突っぱねて、背を向ける。
 まったく疲れているというのにどこにそんな元気があるというのだろう。
 特に体力のないルックは実は疲れて倒れそうなくらいなのだ。
 今日はさっさと休もうと足を踏み出しかけて。
 背中でまだ腕を上げたままの気配がする。
「………。あああっ、まったく! あんたもしつこいんだよ!」
 声になって出てしまうくらいの溜め息。
 ぐるりと振り向いて、足音も気にせずにソファまで歩くとすっと座り込んだ。
 とたんに寝ころんだままのシーナが腰に抱きついてくる。
 思わずルックは頭を抱え込んだ。


「これがこっちにずれるから……。明日は休みになるよ。…って、なにやってんだよ」
 カレンダーに向かってあれこれ考え事をしていたレイは、振り向いた光景に首を傾げた。
 不機嫌そうに腕を組んでソファに座るルックにシーナがまとわりついている。
 あまり自然ではない光景だが…。
 難問でも突きつけられたような表情のレイに、ルックが薄目でレイに視線を送った。
「あのさ。これ、引き取ってくれない? 鬱陶しくてさ」
「僕だってやだよ。…ルックも、わざわざそこに行かないで部屋に戻っちゃえばよかったんじゃ?」
「約束とかこのバカが言い出すからさ」
 だからって正直にそれに答えるか?
 詐欺に遭わなかったのは奇跡だとルックはレイに言ったが、その言葉はそのままルックにも当てはまるんじゃ、と思うレイだ。
 それは抱きついたシーナも思っているようで。
「ルックってさー、すっごい純粋だよね。もーかわい〜〜〜〜vvv」
「なんかあんたに言われるとバカにされたような気分になるんだけど」
「そんなことないってv いつだって一心不乱に愛だから!!」
 一体何を言ってるのやら。
 レイとルックの溜め息は相変わらずのシンクロ。
「だから、僕とルックのふたり相手でよく一心とかって言えるよね……」
「二心の上に乱れっぱなしじゃないか……」
 やれやれ。
 ふたりは肩をすくめた。



戻るおはなしのページに戻る進む