アトリ
=Scandalous Blue=
− 4 −
さんざん言い渋るルックに食い下がり、なんとかふたりが聞いた答え。
その答えにはとんでもない破壊力があった。
「…………え……? えぇえ……?」
レイはそう呟いたきり言葉を失う。
「お、オレ……そんな……うわ……」
さすがのシーナもどうコメントしていいのか困っている様子。
ルックは溜め息をつきながら首を弱く振った。
「だから、聞かない方がいいって言ったろ。僕だって倒れそうだよ……」
言ってちらりとふたりを見る。
「それとも……見てみる? 怖いもの見たさって奴でさ。……何よりリアルな肝試しだと思うけど」
リアルな肝試し。
たしかに、その言い回しがぴったりだ。
もちろんルックを疑うわけではないが、とりあえず、事実を目の当たりにした方がいいのか?
思わずシーナがすがるようにふたりを見るが、ふたりはすっと視線をそらした。
たぶん、それも無理のない反応だろう。
今までだって重かったこのドア。
だがこれほどに重く感じたことがこれまであっただろうか。
意を決して、レイがそれを開く。
……ぎぎぎぎぎぎぎ。
だからどうしてこの城のドアは気分次第で音が変わるんだ。
なんて忌々しいシステムだろう。
それを嫌というほど感じながら、3人は事務所を覗き込んだ。
そこには、さっきと変わらずナナミの姿。
あとナナミに向かい合うようにして座るアップルと、部屋の端の椅子に座って雑誌を読んでいるユウキ。
真っ先に気付いたユウキがにこっと無邪気な笑顔。
「おはようございます〜」
「……お、はよう」
警戒心をあらわにしたような声でレイが答える。
普段と変わらない事務所だ。
お化け屋敷に入る足取りで、まずレイが、シーナが部屋から出る。
そのうしろからどこか遠くを見つめるルックがついてくる。
最後に出たルックが後ろ手にドアを閉めると、机に向かって書き物をしていたアップルが顔を上げた。
「おはようございます。昨日のライブ、すごい収益になりそうですよ。よかったですね、これであの町も助かりますよ」
なるほど昨日のライブの収益を計算していたらしい。
こちらもにこりと見事な笑顔だ。
かなり前からの知り合いのはずなのだが、この他人行儀が怖いのだ。
それでなくともアップルはいつもは砕けた口調になったりするが、軍略に関することとなると特に丁寧な口調になる。
どうやらそれは癖らしい。
だからこそ、こうしてプロジェクト・アトリの経理事務要員として働く彼女が敬語になると、これは軍略の一部なのではと警戒してしまう。
とりあえずかなりの曲者には違いないが、この事務所に曲者でない人材がいるのかどうか。
強引で我が道を行っているものの、言葉がストレートな分裏がないナナミが一番付き合いやすいかもしれない。
もしかすると、だけれど。
ちら、と視線をやる。
ローテーブルの上には先程ルックが手にしたと思われる、青い薄手の本。
ごくりとレイは生唾を飲む。
「あ……あのさ……? その…テーブルの上にある……本って」
勇気を振り絞ってそれを聞いた。
「本? あ、それね。最近はやってるみたいねー。ファンの子が作ってくれた奴だよ」
コメント、不可。
「まだたくさんありますよ。一部ですけど、見ますか?」
さらにアップルが、追い打ち。
なにやら事務所の奥にある段ボールから何冊かの本を持ってきて、ローテーブルの上に置いた。
どれも綺麗な装飾の冊子。
大きさは様々。
鮮やかな色のイラストが表紙に描かれているものも………。
レイとシーナは、強張る手を伸ばした。
真っ白。
頭の中が画像として表現されるなら、もうそれ以外の表現はない。
目眩がして、思わずレイはシーナにすがりついた。
シーナがレイを支える。
ルックは遠い目のままふたりの肩を叩いた。
だから見ない方がいいと思ったんだけど、と無言で訴える。
目を見開いたままのレイとシーナがルックに向かって頷いた。
これは何も言わずに逃げた方がいいかもしれない。
それでもなんとかレイはその本を戻して、事情を知っているらしいナナミとアップルへ視線をやった。
ギリギリ残っていた、リーダーの精神力。
「……いくつか。聞いても構わないものでしょーか?」
「どーぞー」
明るい。
嫌気がさすほど明るいぞっ。
「これ…僕たちのファンの子が……?」
「うん。そうよ」
「……何…? 僕たちって……あの子たちから見ると……その…っ。つ…付き合ってるとか……に、見っ、見えるの……?」
「あはははは」
笑い事ではないのですが。
3人が心の中でつっこむ。
そりゃもうそこに積まれた本は、いわゆる同人誌、という奴で。
しかも「カップリングもの」と呼ばれる種類だったのでなお衝撃は大きい。
「だ…だって僕たち……ちょっと、えええっ……?」
「オレ…そんな、ふたりに、なんて…っ」
混乱のさなかにあるふたり。
けれどやはり当人たち以外からすれば他人事。
それは当然なのだけれど。
「流行だからね。一番多いのはシーナさんとレイさんかな。その次でシーナさんとルックくんでしょ。それからルックくんとレイさん……」
「3人だと組み合わせが色々あるものね」
統計が出来るほどある、ということか。
それにしたってしかし。
レイは頭を抱えた。
ナナミが「表向き」として「仲良し」を押し出してきたのは、これか?
その裏側にこういう見方ができる、ということか?
ルックは息を吐く。
中身を見た瞬間、ものすごい衝撃が来たことも事実だが、その瞬間にスタッフ側の立てた策略に気付いたルックだ。
おそらく、これは売り方の結果なのだろう。
自分たちで本を作るほどの情熱がある子たちなら、ライブやグッズで財布の紐をゆるめてくれる。
そうしてそこからまた裏の人気が広がるというわけか。
見事な作戦だ、と思う。
たしかに軍師連中の立てそうな作戦だ。
だからといって冷静になれるかといえばそうでもないのだけれど。
その犯人の一部であるナナミは、固まる3人に笑顔を向けた。
「気にすることはないよー。これって有名税だもん!」
望んでなった有名ならばそんな税もありかもしれないが。
望まざる税に納得しろと言われても。
レイは息をつく。
駄目だ、ここで完全に相手のペースにはまっては状況は悪化するばかりだ。
シーナの背をぽんと叩いて、目配せする。
ルックとも視線を交わす。
静けさを取り戻したレイの瞳に、シーナとルックもなんとなく落ち着きを取り戻した。
「……まぁ……。要するに、そういう売り方をしたってわけだね?」
「簡単に言っちゃうとね」
「了解。女の子たちの喜ぶシチュエーションがそうだったってわけか」
「全員がそうだとは言わないけど。購買意欲の問題だから」
「……うん」
はあ、と大きく息をつく。
ナナミも頷いて、
「そうだよ。違うなら慌てなくたっていいんだから。鷹揚に構えてればいいんだと思うよ。だって、変に慌てちゃうと妙に勘ぐる人だっているでしょ。だから『面白い話ですねー』って笑ってればいいんじゃない?」
なるほど、それは一理ある。
実際にそんな事実はないのだから。
けれど。
今まで雑誌から目を離さなかったユウキが顔を上げて、一言。
「え? 違うんですか? 僕、そうかと思ってました」
「!!!!」
その一言で3人の心に再び「逃亡」の二文字が浮かぶ。
真っ向からこの場でユウキと戦ってやろうか、とも。
直接戦闘になれば、この場では3対2、かなり優位でいけるだろうとそこまで考えてしまう。
と、そこに外からのドアが開いた。
我関せずの冷静な顔で入ってきたのはシュウ。
「なにやら騒ぎになっているようですね。……あぁ、それをご覧になりましたか」
この男、どこまでポーカーフェイスなのだろう。
カチンと来つつその手元に視線を落とすと、そこにはスポーツ紙。
シュウにスポーツ紙?
まったく似合わないが。
そう思っていると、シュウはその新聞の内側の紙面を大きく開き、ぱさりとローテーブルに置く。
芸能面……。
いや、それに気付くより。
そこに大きく。
───『アトリビュートホモ説』
真っ白再び。
しかしシュウは顔色ひとつ変えない。
「お逃げになりますか? 逃げて頂いても構いませんが。ご自分たちの知名度を侮っていらっしゃるならば、どうぞ。ちなみにその場合、『アトリビュート駆け落ち』という記事をリークさせて頂きますのであしからず」
この…この悪徳軍師!
レイの頭の中にテロップのように文字が流れる。
そしてこんどの追い打ちはアップルだ。
「仲のいいグループには必ずつきまとうんですよ。『実は仲悪い』説と『解散』説と『カップル』説って。カップルに見えるくらい仲が良く見えるってことですから、いいんじゃないですか? 良かったじゃありませんか、シーナさん?」
「そりゃないぜアップル……」
とたんにすっとレイとルックの周りの空気が冷たくなった気がする。
それにシーナが気付いた時にはふたりは何も言わずに踵を返し、ばたんっと大きな音をたてて部屋に戻ってしまった。
焦ったのはシーナだ。
「えっ? あ、ふ、ふたりとも?」
まさか自分が置いて行かれるとは思っていなかったようだ。
先程暴言を吐いたユウキがぱたぱたと近付いてきて、呆れたように囁く。
「シーナさんて、相当鈍いんですか?」
「へ? なんでだよ」
「だって…シーナさんいろんな女の子に声かけてますけど、一番気にかけてるのアップルさんでしょ?」
「え…っ? あー…そう…か?」
「でしょ。そのアップルさんが自分たちの関係を揶揄するようなこと言ったら、面白くないじゃありませんか」
「……って、さっきからユウキ一体何を…?」
やれやれ、とユウキは肩をすくめる。
本気でわかっていないのだろうか。
「あ、それよか、……ふたりとも!!」
はっと気付いて、シーナも大慌てで部屋に戻る。
とっさにシュウが置きっぱなしにしていたスポーツ紙を掴んで。
「…あの仲の良さじゃ、そう思われても仕方ないよね」
ナナミがアップルに呟き、アップルもこくりと頷いた。