アトリ
=Home, Sweet Home=
Side B
Part.6 Side Luc...
休暇の最後の日。
レイとシーナの予想通り、ルックは早くに師の元を発った。
レックナートは何も言わず笑っていただけだ。
だから、普段と変わりない、近くまで出かけるくらいの感覚で帰途につく。
─── 誰に食べてもらいたくて……
久しぶりにルックの料理を食べたレックナートの言葉。
その言葉がずっと頭から離れなかった。
誰のために、なんて考えたこともなかった、はずだ。
いや……違う。
ルックにも、もうわかっている。
それを考えること自体忘れ去ってしまうほど、自然なことだったから。
すうっと掲げた杖を、とん、と地面につく。
とたんにふわりと淡い光が体を包み込んだ。
足が再び地面を捉える。
そこはバイオスフィア城ではない。
ましてや、グレッグミンスターでもなかった。
静かな静かな、山あいの小さな町。
誰も自分を知らないであろう穏やかな町の、田舎らしい素朴な雰囲気の朝市に、そのまま足を踏み入れた。
(僕が……誰に)
事務所にはちょうど誰もいなかった。
ルックとしては願ってもないことなのだが、鍵がかかっていないとは随分不用心だ。
電気はついていたから、ほんのわずか席を外したというだけのことなのだろう。
まだ早いというのに、事務所のスタッフはわりと働き者だ。
戦争のさなかの軍を率いる軍主と軍師、その補佐、あと軍主の姉……。
全員メインの仕事の方で忙しいだろうから、とっととそれに専念してくれればいいのに。
やがて戻って来るであろうスタッフに嫌味のひとつでも言いたいところだが、せっかく誰にも遭遇せず戻ってこられたのだ。
余計な時間を使うことはない。
ルックは事務所の奥にあるドアにつかつかと歩み寄る。
ノブをひねると固い感触。
さすがにここの鍵は開けなかったようだ。
ここから先は3人の部屋。
一応プライバシーに気を遣ってくれているのか、鍵は合い鍵含めて3本、すなわち3人分しかない。
とはいえ緊急事態だってあり得るのだから、事務所側で1本も保管していないとはルックも思っていないが。
いったん荷物を置いてポケットを漁り、鍵を出す。
緑の玉がついたキーホルダーには鍵が2本。
1本はこのドアの鍵、もう1本はさらに奥にある個人部屋の鍵だが、こちらの方はほとんど使ったことがない。
だって、今目の前にあるドアを開ければ3人だけの空間だ。
自分の他にはレイとシーナしかいないのに、鍵のかかったドアが必要なのか?
かちゃん、乾いた音で鍵が開く。
ドアを開ければ、すっかり馴染んでしまった部屋。
「ただいま……」
ぽつんと呟く。
誰もいない薄暗い部屋は、その声を静かに呑み込んだ。
主のいない部屋は淋しい。
でも、それも今、終わる。
ルックの白く細い指が明かりをともし、人の消えた部屋は、誰かを待つあたたかな部屋へと変わるから。