〜Deir Paidir〜

第1章 黄泉(すなのまち)

September 28th, 2000

★ ★ ★




 威勢のいい褐色の肌の男たちの間を、すり抜けるようにしてティルたちは神殿に向かう。
 さらに機嫌の悪くなってしまったティルを、フィンが必死でなだめるものの、アリルの入れるちゃちゃで功を奏さない。
 それでも、ついてきてくれるから今日はいい方か。
 機嫌が最低の時は、何も言わずに帰ってしまうヤツだから。


「ああら、少年たち! そろってお祭り見物?」
 何気なく空気が悪いな、とフィンなんかは思っていたので、その甲高い声を聞いた瞬間ついほっとした。
「エヴァ」
 言ったのはティルだ。
「なあに、ティルったらまた暗い顔しちゃって。祭りだろうがなんだろうがアンタの性格変わんないわねぇ!」
 そう言ってからから笑うのは、体格のいい中年の女性だ。
 未だ独身なのを、「私、若いからいいのよう」などと粋がっているが、実際のところどうなのかはわからない。
 彼女は遠慮なくティルの肩に体重をかけ(そんなことが出来るのはアリルと彼女くらいかも知れない。怒られてしまうので)、フィンとアリルの顔を交互に見つめる。
「それで? 今日は何を見に行くの? 南の舞踏団かしら、それとも東方の奇術?」
「俺たち、これから神殿に行こうと思ってるんです」
「あらあら、グッドタイミングだわ!」
 パン、とエヴァが手を打った。
 え、と不思議そうにしたのがフィン、ぴんときた顔で逃げる方法を探すのがアリル、いかにも嫌そうに顔をしかめたのがティルだ。
 エヴァは持っていた鞄からひと抱えもありそうな瓶を取り出す。
 それは普通の瓶のように円形ではなく、いくつもの平面が規則的に並ぶ角柱の形をしていた。
 透明なそれには同じように透明な液体が満たされている。
 しかしそれが光に当たると、鮮やかなプリズムを描き出す。
 大振りではあるが繊細な作りだ。
 その瓶を、いちばん嫌そうにしているティルに手渡した。
「これ、ディアン様に渡してきて。うちの母からです、って」
「あんたが頼まれたんだろ……あんたが渡しに行かなきゃまずいんじゃないのか」
 素直に受け取ってしまって、ティルはますます嫌そうな声を出す。
 が、エヴァは怯(ひる)まない。
「いいのいいの。誰が持ってったっておんなじよ。だったらついでにでも頼めればラッキーってものでしょ? よく言うじゃない、立ってるものは親でも使えって」
「オレあんたの親になった覚えないんだけど」
「気にしないで。それじゃ、頼んだわよー!」
 おほほほほ、と高笑いをしながら、エヴァは人混みの中に走り去ってしまった。
 唖然、としながらその背を見送る3人。
 いつの間にか周りの人々もその大騒ぎに「なんなんだ?」という視線を送っている。
「……ったく、恥ずかしいったらねえぜ」
 ぼそりとつぶやいたアリルの言葉に、思わず頷いてしまうフィンとティルであった。
 んで? と、溜め息まじりにアリルが2人を振り向く。
「で、ってなんだよ」
「どうすんだって。これ、ホントに持ってくのか?」
 ティルの持っている瓶をチラリと目で見て。
「渡されたもんは、仕方ないんじゃないのか。これを返しにいったらそっちの方が大変だし。どうせオレたちもついでなんだから」
 もう諦めたらしい。
 それはそうかも知れない、エヴァもなんだかんだ若い者たちに絡んできてそのあげくに頼み事をするなんてことは日常茶飯事と化している。
 特にティルなんかはターゲットとばかりにからかわれているから、もう慣れてしまっているというか。
「ほーんと。根が素直なヤツってやってらんねぇなあ」
「あ? なんか言ったかよ、アリル」
「べっつにい。さあ、行こうぜ」
 そらっとぼけて、アリルはさっさと歩き出す。
 フィンが持とうか、というのを断って、ティルもそのあとに続いた。
 アリルのセリフが聞こえていたら、また大騒ぎになってしまったことだろう。
 仕方なさそうについてくるティル。
 彼らの目には、遠くそびえるように神殿の建物が見えた。






 白のまちの神殿は、市街地からは少し高い丘にある。
 独特の、中央に丸みを持った柱は、大理石に似た白い石。
 数え切れない彫刻で飾られているが、その意味はよくわからない。
 水瓶を肩に負った娘や矢をつがえる若者、大きな丸を支えるように身を起こす女性、おそらくそれは昔語りに出てくる話をモチーフにしたものなのだろうが。
 やたらと床と天井の間があいているというのも神殿のよくある形式なのだという。
 空の青に映える白ではあるが、どこか閉鎖的な空気なのはいただけない。
 その前にもまちの人々がいて、世間話をしていた。
 それも隣の人が協力的ではないだの向こう三軒隣の家が新しい祭具を買っただの、いつもと変わりない下世話さで、ティルが溜め息を付くのをフィンは仕方なさそうに苦笑した。
 彼らの横には幾つもタルが並べてあったから、祝い酒を運んできて休んでいるのだろう。
 その中に顔見知りがいたから、形式的に会釈をして神殿の中に入った。


 しん……。
 とたんに、涼しい空気が肌から熱を奪う。
 寒いくらいの、空気。
 それは静謐(せいひつ)さ、というものだったかもしれない。
「静かだな」
 アリルが、さすがに声が響くのを遠慮したのか小声でつぶやく。
「いつもこんな感じだけど。でも祭りの時だって言うのにこんなに静かだなんて」
 ティルがそれに同意する。
 フィンも頷いて、
「なんだか入っちゃいけないような雰囲気があるよな。でも、俺たちはディアン様に呼ばれてるんだから大丈夫だよ」
 2人に言ったが、最後の方はまるで自分に言い聞かせているようなニュアンスになっていた。
 なにせ、床は歩いていく3人の姿をそっくりそのまま映し出すくらいに綺麗に磨かれている。
 それが一歩歩くたびにこつん、こつんと音をたてた。
 その音が響き渡る。
 その無機質さが、神殿に入る者を拒んでいるような気がしたのだ。
 もちろん、それは気のせいだと思いたい。
「大聖堂かな」
「じゃねえの? なんかみんな忙しそうで聞くのも悪(わり)ィし、行って見ようぜ」
 所々に点されている篝火(かがりび)で神殿の内部はそれなりに明るかったものの、大きな窓のない建物の醸し出す雰囲気は重苦しくてならない。
 広い廊下に差し込んでくる明かりは幾筋にも別れた細い通路だったりあらゆる書物を集めたという図書室のものだったりした。
 その通路の前を通ると人の働く気配がするが、そのときにだけ聞こえてくる音がまたばたばたと忙しそうだ。
 やはり祭りに備えてそれなりに忙しいらしい。
 このまちは、砂漠とはいえ湖の水と生命の神の力で涼しさが保たれているのだそうだ。
 それがどこまで本当なのかは知らないが、それでも砂漠の暑さから比べたら例えようもないくらい涼しいのだという。
 そこよりも神殿の内部がさらに涼しいということは、神の力云々というのもあながち嘘ではないのだろうか。
 それとも、ただ建物の造りからそうなっているということだけなのだろうか。


 ティルはそんなことをぼんやりと思いながらフィンとアリルの後を歩いていた。
 アリルは神殿の内部が珍しいらしいし、フィンもどうやら頻繁に来ているというわけでもないらしい。
 だが、ティルはけっこうここには出入りしているのだ。
 それは、神殿の、この人を拒むような空気が好きだったからかも知れない。
 あるいは、何かこの清浄さが心地よかったのか。
 どちらでもいいが、とにかくティルは事あるごとに神殿に出向いていた。
 それだから大神官ディアンとも気軽に話せるし、神殿の中には仲の良い神官もいた。
 けれど、それだけのことだ。
 結局、ここにだって自分の心を全て明かせる者なんていない。
 それでもティルは、それが当たり前なのだということに気付いている。
 他人(ひと)には決して他人(じぶん)の心はわからない。
 そうやって、出来るだけ面倒を避けて生きていくものが人間なのだということに。


 廊下の突き当たり……大聖堂に入ると、何か罪を悔い改めたような、そんな不思議な気分になる。
 それが『神聖』な気配というものなのだろうか。
 高い天井、それを支える壁には高い位置に窓があって、そこから心地よい陽射しが遮るものなく降り注いでいた。
 白い壁を彩る、神話をモチーフにした壁画。
 とは言っても、神話なんてもう語り継がれなくなって長いから、はっきり知っているわけではないけれど。
 そして、正面には赤い布が張られている。
 その前に白い、3人が通う学芸舎にもある教卓のような大きな机。
 その前面に彫られた丸い形は、この神殿を表す印なのだという。
 その前にたたずむ、真っ白な帽子とローブを纏う人影……。
「ディアン様」
 フィンが遠慮がちに声をかける。
 その声に初めて気がついたように、人影は振り向いた。
 人のよさそうな、白髪の老人だ。
 この人が、生命の神殿の長であり、まちの長でもある大神官なのである。
「フィンくん、アリルくん……ああ、ティルくんも一緒ですね」
 にこり、と大神官は笑う。
「宝物を見せていただきに来ました」
 フィンがいうと、あぁ、と納得したように彼は頷いた。
「そうでしょうね。特にアリルくんは、そういうことでもない限り滅多に神殿(ここ)にはいらっしゃいませんからね」
「なんだよ、じいさんそれ嫌味ー?」
「こ、こら、アリルっ! どういう口きくんだよお前はっ!」
 相手が誰だろうといっこうに気にしないアリルにフィンが慌てる。
 だがディアンは長生きしているぶん人が出来ていた。
「いいんですよ。みんな私にとっては孫のようなものですから。憎まれ口もきいていてくれるうちが花というものでしょう」
「へえ、随分悟ってるんだ」
「アリル!!」
 混ぜっ返し方の絶妙なアリルに思わず口元を緩ませそうになって、ティルははっとした。
 勢いよく頭を振って、冷静さを取り戻させて。
「そんなことより、これ。イーヴから、渡してくれって」
「イーヴから?」
 漫才のような2人のやりとりをにこにこしながら見ていたディアンは、ティルがなんの脈絡もなく差し出した瓶を見て一瞬不思議そうな顔をした。
 しかし、すぐに合点がいったように頷く。
「なるほど。イーヴはエヴァに頼むと言っていたのですが。そのエヴァに押しつけられましたね?」
 イーヴ、というのはエヴァの母親だ。
 イーヴは大神官であるディアンと仲が良く、占い師という商売柄連携を取ることも多い。
 長年の付き合いだ。
 そのため、約束を違えないイーヴの性格を熟知しているからディアンは不思議そうにしたらしい。
 ティルは、ディアンがそう言うのを少し嫌そうな顔で聞いて、
「押しつけられたってのは言葉が悪い気がするけど」
 とだけぼそりと呟いた。
 ディアンはそれをにこやかに見る。
「わかりました、ありがとう。ではそれを受け取りましょう」
「それよか、宝物ってどんなの?」
 フィンが例の説教モードに入りそうになったらしい。
 ほんの少しばかり慌てた口調でアリルが割って入ってきた。
 しかし、自らのセリフで「そういうことでもない限り滅多に来ない」ことを証明してしまったのには気がついていないようだ。
「そうですね。それでお呼びしたんでしたっけ」
 ぼけてんじゃねえのか、なんてアリルのつぶやきに、後ろからフィンが突っ込みを入れた。
 だが、ディアンが正面の布の方に向き直る前に、ティルの瞳は卓の影にひっそりと置かれたそれに釘付けになる。


(これは……)
 思ったきり、他に言葉が浮かんでこない。
「さ、こちらです。綺麗でしょう」
「へええ。これが宝物か」
「本当だ、すごく綺麗ですね」
 それは紫水晶(アメジスト)の原石に突き刺さった形で安置されている。
 その濃い紫の結晶は、陽射しを浴びてきらきらと眩(まばゆ)い。
 とても鮮やかで、高貴な存在感。
 何故かそれがとても心に深く沈み込んでくる。
 締め付けられるような感覚。
 懐かしいような……。
 これが技巧を越えた技巧が人に与える感慨、というものなのだろうか。
「宝物っていうからには、何かいわれがあるんですか?」
「ええ。これがわが生命の神殿に長く伝わる神剣(しんけん)なのです」
「これがそうなんですか」
「話には知っている人が多いのですが、実物を見たことがある人は少ないでしょう。それで、いい機会だと思って公開することにしたんですよ。伝説では、これは『神を護る剣』で、有史以前からこのまちを襲撃から守っているということです」
「有史以前ったってなあ。それじゃカミサマの時代からあったんか。それにしちゃ綺麗すぎやしねえ?」
「伝説では、ですから。伝説になぞらえて作られたものでしょうね」
 だとしても、その当時の最高の職人が作ったものなのだろう。
 深く紫水晶(アメジスト)に突き刺さったその剣は、どこか不思議な感じがした。 
 龍をかたどった黄金細工の鍔(つば)、龍の尾から垂れる真紅(しんく)の房、背に負われた深いサファイアの青、透きとおった水晶(クリスタル)の柄、何よりも今まで何度となく人を斬ってきたはずなのに少しも色褪(あ)せない白銀の刃(やいば)。
 人を斬った……?
 いや、宝物なのだからそんなことはない。
 一瞬そんなことを思ってしまった自分が不可解だった。
 そして同時に、ぽとんと心にひとつつの石が波紋を作る。
「そーいや……この神殿って、神像はないのか?」
 何気なくティルが言った言葉に、ディアンは心底驚いたような表情をした。
「……けっこう痛いところを突いてくるんですねえ、ティルくんは」
 いぶかしげに首を傾げるティルにディアンは笑いかけて。
「神殿のレリーフなどには神々の姿が描かれていますね。けれどあれは属神なんですよ。真実の神の像はこのカーテンの奥……ここに、誰の目にも触れないように安置されているのです」
「どうして神の像を隠すんですか」
「本来、神というのは人の目に触れてはいけないもの。人智を越えた存在なのです。ですから、その姿を目にした者には障りがあると言い伝えられています。過去にそれで飢饉が起こったという話で、それ以来は代々のまちの長のみが姿を拝するようになっているのですよ」
「そうなんですか」
 姿を見せない神。
 ティルは一応納得した顔をした。
 けれど、どこか嫌な感じが拭えない。
 人智を越えた……つまりそれは、自分たちが想像も出来ない巨大なものに支配されているということ。
 慈愛の象徴であるべきはずの生命の神とは、一体どのような姿をしているのだろうか。
 神様、とは実体のない偶像にしかすぎないのか。
 偽物の信仰に、嫌気がさす。
 だからティルは、このまちが……いや、古い思想にがんじがらめにされた砂漠が嫌いだった。
 それで余計に、ここから逃れることを望んでいる。
 宝物を見たのだから、もうここには用はない。
 フィンとアリルはまだディアンと話しているが、元々自分は宝物が見たくてついてきたのだから、これ以上付き合う理由もつもりもなかった。


 そう思って踵(きびす)を返そうとしたとき。
 奥の入口の方から、静謐な空気にそぐわない甲高い嬌声があがった。
「きゃあああ、フィンくん、来てくれたのぉ!?」
 とたん、雰囲気がぱったりと俗世間に染まるのだから、面白い。
 大聖堂に入ってきたのは、まちの女の子たちだった。
 皆純白のゆったりとした巫女装束を纏(まと)っている。
 今年の陽光祭で巫女に選ばれた彼女らが、今夜の前夜祭のためのリハーサルに訪れていた、ということらしい。
 思わず振り向いて、うち1人の少女と目が合った。
 しまった、と思うがもう遅い。
「珍しいのね、ティル。あなたが誰かと一緒に神殿に来るなんて」
 目をわずかに細めて笑う少女は、他の少女たちとは少し違う、裾の長い装束に身を包んでいる。
 その笑みは一つ年下とは思えないほど婉然(えんぜん)として美しい。
 艶やかな黒髪に鮮やかな黒目がちの瞳。
 肩までの髪がふわりと揺れ、柔らかな頬のラインをそっと撫でる。
 このまち一番の美少女として名高い少女が今年の聖巫女に指名されたのだ。
「……知らねえなあ」
 喋るのも億劫げにティルがそっぽを向く。
 フィンやアリル以上にしつこく絡んでくる彼女が、どうも苦手なのである。
 しかし彼女はそんなティルの様子を気にするでもない。
「ねえ、今夜の前夜祭来るんでしょ?」
「場合による」
「私の出番もあるの。良かったら見に来てね」
「そう……」
 さすがに相手もむっとしたらしい。
 その形のいい眉を少しだけ歪めて、
「嫌なひと。そんなに私と話すのはいや?」
「……別に」
 プライドの高い少女には、いつもよりも更に取っつきにくいティルとの会話が耐えられなくなったのかも知れない。
「ああもう! 少しはあわせてくれてもいいじゃない!」
 つん、と顔を背けた。
 そこに、ひょこひょことやってきたのはアリルで。
「よ、エーディン。俺とお茶しようぜ」
 相変わらずの無愛想でそう切り出されては、プライドの塊なお嬢様でなくとも、相手にしない。
 特に実はプライドの高さでも(裏では)有名なエーディンでは睨んでさえ貰えないアリルであった。
 そのまま不機嫌そうにエーディンはディアンのところへ歩いていった。
 すると懲りないアリルはフィンの周りに群がっていた少女たちに焦点を定めたようだ。
「なあなあ、ティレン、オレにセカンドネーム教えてよ」
「どういう意味かわかって言ってるの?」
「おおよ、セカンドネームを知るってことは一生を共にする誓いの証だ」
「だったらなおさらお断りよ」
「マーナはどう?」
「え……」
「ちょっと! マーナは内気なんだから変なこと言わないでよっ」
「んじゃしょーがねえから、フレンダ。お前のセカンドネーム教えてくんねえ?」
「しょーがないって、それはこっちのセリフ!!」
 アリルの乱入で、その場はあっと言う間に大騒ぎになってしまった。
 だがそれのおかげで自由になったフィンが溜め息混じりにティルの側に寄る。
「やれやれ……。アリルにも困ったもんだよな。あの無愛想で女の子を見たら口説くのが礼儀だと思ってるあたりが始末に負えないよ。彼女が出来ないって本人は躍起になってるけどね、原因なんて分かりきってることじゃないか」
 ぶっきらぼうで愛想が悪いんだから、当然かもしれない。
 それで『セカンドネームを教えて欲しい』なんて、一番定番なプロポーズを連発するのだ。
 つまりそれは『第二の人生を自分と一緒に送って欲しい』という意味を持つ、この辺り一帯の風習である。
 そのため、セカンドネームは自分以外には親と配偶者しか知らない。
 愛する人と共有する秘密、というちょっとロマンティックな風習でもあった。


 その雰囲気に一番先に根負けしたのはティルだ。
 それと同時に何も言わずに外に向かって歩き出す。
 だがそれがティルにとって苦手だとわかっているフィンは慌てない。
「帰るのか?」
「ああ」
 言って、ほんの少し迷ってから、
「……いや。ちょっとイーヴのところに寄るよ。ちゃんと渡したって報告もあるし。……そうしたらいったん家には帰るけど、でも、前夜祭には行く」
 滅多にないセリフに驚いたフィンだが、そんなことを言ってはまた一悶着(ひともんちゃく)あることだろう。
 なんとかいつもの冷静さで、笑うことが出来た。
「そっか。じゃ、まちはずれのホーン遺跡で。あそこで前夜祭やるから、夜になったら来いよ」
「……あぁ」
 俯(うつむ)きがちにそう答えて、ティルは足早に大聖堂を後にした。
 フィンとアリルは動きを止めて、その背を見送った。
 そして、同じような深い溜め息を同時についたのだった。



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