October 13th, 2000
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5
「それじゃ、行って来ます」
薄手のマントを羽織って、扉を開ける。
「気を付けてね。出来るだけ明るい道を通るのよ。それから、人気の少ないところには行かないようにしなきゃダメよ」
「わかってるって。なるたけ早く帰るから。それじゃ」
いつまでも心配そうに見送るティルテュにそう言って、ティルは家を出た。
さすがにそんな子供じゃない、とも思うのだが、母親にとって子供はいつまでたっても子供なのだろう。
だから、言葉通り早く帰ろう、と自分に言い聞かせて、もうだいぶ人気の少なくなった通りを走る。
たぶん、前夜祭が始まる時間を少し過ぎているから、ほとんどの人が遺跡に集まっているのだろう。
それ以外の人も、店も閉まったこの時間ではうろつくこともない。
なにせ娯楽の少ないまちだ。
(しかし、時間には遅れてるからな。あいつらうるさいだろうし……大通り抜けるより一度森を通った方が早く着くな)
まちは森に囲まれていて、その森の中には砂漠で一番大きな湖であるラー泉(ルツフ)がある。
その側を通ると、人にも会わないし、意外に近道になる。
森を通ることはティルテュの言いつけに背くことになる。
しかも「森に必要以上に足を踏み入れてはならない」というまちの掟さえある。
おそらくそれは、常に他のまちの襲撃の危険性があるからということなのだろう。
それにも逆らうことになってしまうが。
だが、今日は前夜祭。
自分以外の人間がたくさん森に入っている。
前夜祭の会場ホーン遺跡は森の中にあるからだ。
ティルの家からまっすぐに西に向かうとラー泉。
泉にぶつかって、直角に曲がって北を目指し、まちの外につながる大通りを横切ると遺跡に着く。
曲がる回数が少ないというだけでも近い気がするから不思議だ。
しん……。
森に走り込むと、濃い緑が全ての音を吸収したように静かになる。
空には、満ちきった淡い山吹色の月が真珠のように輝いていた。
夜の空気は柔らかく、耳が痛くなるくらいに冴えわたっている。
程なく木々の隙間から見えた泉の表面の、硬質なきらめき。
月光の重なり合う、神秘の景色。
泉の手前、森が切れて視界が広がる。
一瞬目がくらんだ気がして。
その刹那(せつな)に。
短い、信号を受け取ったような奇妙な感覚がティルの胸を貫いた。
聞こえない声で、名前を呼ばれたような……感覚。
それが確かに自分の名であった気がして、ティルは振り向く。
けれどそこには当然、誰もいない。
揺らぐのは、ただ静かな水面。
…………!!
本当は、見てはならなかったのかもしれない。
でも、目が離せない。
身体(からだ)が、いうことを聞かない……。
時間は、その時に止まった。
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