〜Deir Paidir〜

第2章 幻惑(であい)

November 26th, 2000

★ ★ ★




 まちは相変わらずの熱気に包まれている。
 昨日よりも更に凄味を増した出し物や見せ物や、あからさまに良い品を置く出店。
 そして歩きにくいというより、すり足でしか歩けないくらいの見物人。
 中には本気で掘り出し物を探し回る客もいるようだが、そのほとんどは祭りの雰囲気に浮ついた冷やかし半分の連中だ。
 キャラバンたちもそれを了解していて、笑い混じりの掛け合いのやりとりがあちこちから聞こえてくる。


 その喧噪の中を、昨日と同じようにアリルに引っ張られて、ティルはぼーっと歩いていた。
「それじゃ、行こうか」
 約束を破ったティルにそれだけ言って、アリルとフィンはティルを連れ出した。
 大抵約束を破った次の日というのは、バツが悪いらしく誘いに乗ることはないティルだが、今日はいやにすんなりとついてきた。
 なんだろう、と思ったものの、そんなこと意に介さないアリルにつられてどうでも良くなってしまったフィンである。
 しかしさすがのアリルも、いくら人が多いとはいえ、人にぶつかりまくってその反動で進んでいるようなティルに目を丸くした。
 が、ティルは何も言わないし。
 聞いても答えそうにないので、取り敢えず聞くのをやめた。
「なあ。どうかしたのかな。ティル」
「さあな。オレにゃどーもよくわからんが。まあついてくるだけ良し、じゃねえ?」
「そういうもんか?」
「そういうもんじゃねえ?」
 一方のティルは、自分が話題の中心になっていることにはまったく気付かない。
 自分がわけのわからない感情に支配されていることに戸惑いだしたせいもある。
 それが、半分。
 あとの半分は、その感情に麻痺させられているせい。
 自分の中で答えの出ない問いが、ティルを混乱させていた。
 一体自分はどうしてしまったのか。
 それがわからない。


「あ。昨日の人。ほら、あの人が来てる」
 一番先頭を歩いていたフィンが言った。
 その指先を目で追うと、そこには昨日の吟遊詩人の青年が同じようにサテンの布に座って楽器を鳴らしている。
「どうする? ティル。声かけてみないか」
 少しでも反応を得ようとフィンが顔を覗き込んでくる。
 その視線にはっと我に返ったらしいティルが、目をしばたかせた。
「え? あ、うん」
 おそらくつい頷いてしまったのだろうが、フィンはティルが返答したことが嬉しかったらしい。
 驚いた顔をして、すぐににこりと笑った。
「んじゃ決まりだな。アリル、いいだろ?」
「おお。オレは構わねえ。どーせ陽光祭の始まる時間はもうちっと後だしな」

    人はなぜ 生まれし時より争うか
    それは遥か古(いにしえ)の 神代(かみよ)の昔に遡(さかのぼ)る

    血を流し 命を流して奪うのは
    それは遥か古の 神代の昔に遡る

    あぁ我らが王よ 片腕の戦士よ
    誰(た)がために戦うか 何がゆえに争うか

 誰に乞われてというわけでもないらしい。
 好きに弦(いと)を弾(はじ)きながら口ずさむ歌は、耳慣れない旋律。
 無造作に置かれた石の皿に、道行く者がたまに硬貨を投げ込んで、青年の歌に奇妙な拍子をつけていた。
 その音は雑踏の中で、不思議によく通る。
 3人が近付くのを気配で察したのだろう。
 青年がふと伏せていた目を上げた。
「……やぁ。また来てくれたんですね」
 青年は嬉しそうに笑った。
「こんにちは。こんなに人が多いと、逆に歌を歌う邪魔になりませんか」
 フィンがそう挨拶する。
 それを聞いて青年は少し困ったように笑む。
「そうでもありませんよ。ここは人がたくさん通りますからね。いろいろな人を見ることが出来て、それはそれで結構楽しいんです。様々な話も聞けますしね」
 そういって、辺りを見回す。
「それにね。こんな大勢の人を見たのは久しぶりですから」
「なんだかそれじゃ、めったに人に会わねえような生活してるみたいだな」
 アリルがふと言った言葉に、青年はにこやかに頷いた。
「そうですね。私はとてもさびれたまちの出身なんですよ。それに、キャラバンたちについて旅に出たのも初めてです。ですから、見るもの見るものがとても新鮮でね」
 砂漠の中には、この白のまちには比べられないくらい小さなまちもあるのだと聞く。
 家が2、3件集まっただけのまちもあるのだそうだ。
 この青年はそういったまちの出身なのだろう。
 砂漠は、広い。
 ティルは何となくそんなことを再認識していた。
「あの……あなたはどうしてキャラバンに加わったんですか」
「興味がありますか?」
「いえ、その……生まれたまちを出るのってどういう気持ちなんだろうなと思ったんです」
 質問をしたフィンの方が悩んでしまったらしい。
 ふと黙ってしまったフィンに、青年はわずかに考えるようにしてから、
「そうですねえ。歌を広めたかったのがひとつ。世界を見て回りたかったのがひとつ。あとは……ええ、探し物があったのだ、と言っていいかもしれませんね」
「探し物、ですか?」
「はい」
 ポロロロン、と弦が鳴る。
「でもね、もう見つかりました。だから……いいんですよ、もう。あとは様々なまちを見て回ることが私の旅の目的なんです」
 それがなんであるのか、もちろん3人はわからない。
 けれど、青年がそれ以上語らないのだから、それを知る術はない。
(人がまちを捨てるのには、いろんな目的があるんだろうな)
 青年の答えに、ティルはそう思った。
 それならば、自分がまちを捨てるとき……それは一体どんな理由が付けられるのだろうか。
 やはり心のどこかでそれを望む自分がいることに、いつしかティルは安心感を持つようになっていた。
 この息苦しいまちに、精一杯の反抗をしているのかもしれない。
 ティルは目を伏せる。
 その視線が、青年のそれとぶつかった。
 ぎくり、とする。
 柔らかな雰囲気にはそぐわないような強い視線。
 それがまるでティルの心を見透かすようだったからだ。
 しかしそれはすぐに和らいだ。
(なんなんだ……? 今のは、一体……)
「……何か、悩み事がありますね」
 今の一瞬が嘘だったかのように青年は笑いながら言った。
「え?」
「不思議ですか? 私みたいに音楽をやる人間にはね、人の心を敏感に感じる力が付くんですよ。だから君が悩んでいるみたいだってことが簡単にわかってしまうんですよ」
 ティルよりも、それを聞いていたフィンとアリルの方が驚いた顔をした。
 唖然とした顔で青年を見る3人に弦でもって答える。
 そして、ティルに向かってこう言った。
「流れる星に願いをかける、という話を聞いたことがありますか」
 その奏でられる音は、青年の言う流れる星を音楽にしたような、そんな感じがした。
「月に祈りなさい。月は願いを叶えてくれるから。流れるだけの星よりも、きっと月は答えてくれますよ」






 青年のもとを離れてしばらくは、ティルも彼の言葉について考え込んでいた。
 しかしそれも、神殿に着く頃にはすっかり気にならなくなっていた。
 大勢の人々が集まって作られる不思議な雰囲気に飲まれたせいかもしれない。
 あたりはしんとして、わずかに足下で砂のざらつく音がする。
 日もだいぶ傾き、あたりはオレンジ色に染まっていた。
 そこに集まる人は皆、ただ黙って神殿前にもうけられた舞台の上をじっと見つめていた。
 舞台の上では、ディアンが大きな半球状の宝石の上に聖水を撒きながらなにか祝詞(のりと)のようなものを唱えていた。
 粛々(しゅくしゅく)と、粛々と儀式は進む。
 これが陽光祭の一番中心とも言うべき神事なのである。
 とはいえ、それは古い言葉で綴られているから、何を言っているのかはよくわからない。
 そのせいだろうか、人々の興味は別の方向へ向いていた。
 その時ディアンがひときわ高く言葉を連ねたと思うと、どこからかなにかを叩くような乾いた音が聞こえてくる。
 神殿の側に控えていた楽団の音色だ。
 ディアンはにこりと笑むと頭を下げ、両手を奇妙な形に組んで、そのまま後ずさるように舞台を降りた。
 途端に音楽が鳴り響く。
 人々がもっとも楽しみにしていた儀式が始まるのだ。
 わぁっと人々は歓声を上げる。
「おお、出てきたぜ」
 アリルが呟いた。
 神殿の入口から、柔らかそうな絹を幾重にも重ねた巫女姿の少女たちが静かに歩み出す。
 神に捧げる踊りを踊るのである。
 この踊りは随分と昔からあるといい、このまち一番の芸能だ。
 優雅でたおやかで、それでいて命の躍動に満ちたこの踊りはこのまちに住む人にとっては誇りであり、外からやってきた人にとっては憧れだった。
「うわ、昨日に増してすっげえ見事な衣装だな」
「今日がメインだからね」
 くるりと身体を返すと、肩に掛けたショールのような薄布が風にゆるくなびく。
 特に聖巫女の衣装は夕日に映える純白で、眩(まぶ)しいくらいだ。
 もちろん、それは着ているエーディン自身の美しさも手伝っていたのだろう。
「今年の聖巫女はほんとに綺麗だなあ」
「今まで何度も祭りは見てるけど、あんなにあの装束が似合う子は初めてだよ」
「親御さんもさぞかし鼻が高いだろうよ」
 周りの人は口々にエーディンたちを誉める。
 確かに、昨年までの巫女たちとは一線を画してるような気もした。
 手足に付けた飾りの微(かす)かな音も愛らしい。
 側で見ていたアリルが溜め息混じりに、
「エーディンってさ、ほんとに美人だよな。あんな娘(こ)彼女にできたらいいと思わねぇ?」
 などと言う。
 フィンはまたか、というような顔をする。
「……俺は、別に。今特に彼女が欲しいとは思ってないから何とも言えないね」
「そりゃお前はいいよ。女の子だったらよりどりみどりっぽいとこあるもんな。お前に聞いたオレがバカだった。……なぁ、ティル、そう思うよな?」
 急に話を振られたティルは、舞台から目をそらしてアリルを見た。
 そのどこかきょとんとしたような顔で、ティルは首を傾げる。
「……綺麗だとは、思う。思うけど……それ以上は、特に……」
 それを聞いた途端、フィンが狐につままれた顔をした。
 アリルが豆鉄砲を喰らった鳩の顔をした。
 自分を見たまま固まってしまった2人を見てティルは不思議そうにする。
「どうした?」
 固まっているから、2人は数瞬答えを返せない。
「なんなんだよ」
「いや……お前がそういうこと言うのって珍しいもんで。お前、どっちかっつうとこのテの話題って好きじゃねえじゃんか」
「そうだっけ?」
「うーん、確かそんな気が……」
 これは本当になにかあったに違いない、そんな風にアリルは思った。
 しかしティル本人は別にそれに対して思うことはないらしく、さっさと舞台に視線を戻す。


 が、ふと思い出したようにフィンに向き直った。
「そういえば、この陽光祭って神話をベースに作られてるって聞いたんだけど」
「! あ、ああ、うん。そういえば、そんなことを聞いたことがある」
 呆けていたフィンは慌てて頷いた。
「フィンは神話ってどういう話だか知ってんのか?」
「そうだなあ。昔曾祖母が話してくれたけど。でもよくは覚えてないな」
 どうやらそれについて聞きたいらしいティルに、フィンは唇に手を寄せて真剣に記憶を辿り始めた。
「……遥か昔、神様がこの地にやってきたんだ。そのころ神様は、自らが直接人間のまちを治めてたそうだよ」
 彼らは一人前になるとひとつのまちを与えられ、その地を平和にすることで神々の世界で認められたのだという。
 その頃はまちとまちの関係もよく、諍(いさか)いなどは起こらなかった。
 ところが、神の中に派生したある一族の最も力の強かった若者が、近くにあったふたつのまちを自分のものにしようとある時争いを起こした。
 そこでふたつのまちの神は協力して若い神を退けた。
 だがその戦いで傷ついた2人の神も神々の世界に帰り、残された人々は自らの力だけで生きていかなければならなくなったのだという。
 そして、帰ってしまった神に力を借りるべく毎年祭りが行われるのだそうだ。
「って、そういうわけで、白のまちと黒のまちと銀のまちが戦ってるんだ、っていう説話になってるみたいだね。でもどうして急に神話なんだい?」
「いや……昨日、神像が隠されてるって話を聞いただろ? そんな風に隠されてるカミサマって一体どんな奴なんだろうって思ったから」
 ティルが答えると、フィンははっとしたように何度も頷いた。
「そうか、そうだよな。俺たちのまちの神って、ハッキリと姿は見えない気がしてたけど。確かに悪魔を倒すだとか、前妻の子供たちを湖の鳥にした悪妻の話だとか、そんな神話は聞くのに。ただ昼と光と生命の神だって、そのくらいしか聞いたことないね」
 ほとんどが忘れ去られている。
 だからもう、そこに秘められた古人(いにしえびと)たちの思いは何も伝わってこない。
 一体彼らは、争いの理由をどんな思いで神々に託したのだろう。
 そしてそこには、一体どんな真実があったというのだろう。
 あでやかに踊る美しい少女たちを眺めながら、ティルは失われた心を思う。
 そして心の片隅に不思議なくらい強く刻まれた記憶を。






 十六夜(いざよい)の月が西に傾きかけている。
 その光が照らし出す土の上に、音もなく影が走る。
 夜とはいえ、誰に見つかるかわからない。
 下手に見つかって騒ぎになってしまうことは避けたかった。
 そんなことで、止められたくなんてない。
 誰にも、邪魔はさせない。


 低い灌木(かんぼく)に足を取られ、ざざあと葉が鳴った。
 無音の森に、その音は寒気がするほどよく響く。
 風は、ない。
 温(ぬる)むような空気がわずかに湿り気を持って、肌にまとわりついた。
 それを振り切るような早さで森を駆け抜ける。
 はじめは人目を気にして足音を立てないように歩いていたはずが、いつの間にか急いてしまった心のせいで、息が切れるのも構わずに走ってきた。
 やがて木々の隙間に静かな湖面が現れる。
 昨日と同じ、景色。
 いや、少しだけ、違う。
 開けた視界に、影が躍り出る。
 月光を浴びてその表情までがはっきり浮かび上がった。
 ……もちろん、ティルだ。
 ティルは乱れきった息を整えることも忘れたように、泉に駆け寄る。
 けれど、この鼓動の速さは、走ったためだけでは、ない。
 それは急いてしまった心と同じ理由(わけ)。
 ───もしかしたら、『彼女』はいないのではないか。
 ───自分が見たのは幻だったのではないか。
 そんな不安が全ての感覚を狂わせる。
 水際に滑り込むようにして座り込み、瞬間なにかにおびえるように目を閉じる。
 痛いくらいに唇を噛んで。
 ───どうか幻ではありませんように。
 そんな小さな願いを込める。
 ゆっくり、数を数えて……目を、開けた。


(ああ…………)
 途端。
 言いしれぬ思いがティルを包み込む。


 手を伸ばしかけて、止める。
 水面に映った人。
 きっと届かないだろう。
 だけど、それでもいい。
 水の中で揺らぐ、美しい黄金の糸。
 『彼女』はティルを見ない。
 それでもいい。
 締め付けられるような痛みを訴える胸に押さえきれなくて、ティルはそっと水面に触れた。
 波紋……。
 それはそっと広がって、『彼女』の姿をかき消した。
 幾重にも重なり、遠くの月をも揺らめかせて。
 さらに早くなる鼓動に反比例するように、それはゆっくりと穏やかさを取り戻して。
 そうして水面は再び『彼女』を映し出す。
 ……届かない。
 それが、たったそれだけのことが、どうしてこんなに苦しいのだろう。
 ふれあうことも見つめあうことも出来なくて。
 そっと閉じられた瞳の奥には一体何が隠されているのか、それを知りたいのに。
 なぜそんな悲しそうな顔をしているのか、それを知りたいのに。


 まるで自分が水の中に閉じこめられているように、ティルは息が出来なかった。
(君は……誰?)



→ Next Story



第2章 幻惑 1 へ戻るおはなしのページに戻る第2章 幻惑 3 へ進む